Butterfly
□5.火拳
15ページ/18ページ
レインはマスタ国の船を借り、ラボルディ―という国に向かっていた。
アンガス王が治めるその国はレインが知る限り強大な国家だったはずだが、叔父によると、近頃戦争が盛んに繰り返されているらしかった。
(その戦争には必ずジュ―ドが絡んでいる……)
約束通りエ―スを待とうと思ったが、未だ港には海軍の軍艦が立ち並んでおり、海賊の侵入は許されない。
かといって再度陸路を通ろうと思えば大回りになる。
奇しくもラボルディ―はエ―スが行くといっていた島の先だ。
自分がその島に向かった方が早いかもしれない、とレインは考えたのだった。
そっと海岸に船を寄せた時、どんという衝撃と波を揺らす振動に決して小さくはない船が大きくぐらついた。
「……なんだ!?」
その時、海岸に大勢の人が避難してくるのが見えた。
「どうした!?」
「なんだあんた!? 早く逃げろ!!」
「黒ひげって海賊が暴れてこの町は今しがた無くなった! ……このままじゃ島自体どうなる事か……!!」
「なに……!?」
なぜこの者は今エ―スではなく、黒ひげと言ったのか。
レインは船から飛び降り、恐怖で慌てふためいているその島の住人だった者達に叫んだ。
「早くこれに乗って逃げろ!!」
「え……でもあんたは!?」
戸惑っている人々を手早く船へ先導すると、レインは先ほどから立ち昇って見える黒煙の方へと走り出した。
(エース……まさか……)
大きな岩山を抜けると、そこには膨大な数の木片が無造作に積まれていた。
よく見ると元は民家や店のようだ。
先ほどの話はどうやら本当の事だったらしい。
「はぁ……はぁ……」
木片の山を登ると、次第に焦げたような嫌な臭いがレインの鼻をついた。
「……エ―ス!!」
倒れているのは間違いなくエ―スだ。
そして向かい合うようにして立つ一人の男がこちらに振り向いた。
「んん? なんだこの女……?」
レインは木片に足を取られながら、半ばガラガラと落ちるようにしてその山を下り、エ―スに駆け寄った。
「エ―ス……! エ―ス!!」
(あの強いエ―スが……信じられない!)
レインが目を疑うほどにエ―スはボロボロにやられていた。
また愛する者が自分の眼前で命尽きようとしている姿は、レインの心を大きく揺さぶった。
その時、レインの呼び続ける声が聞こえたのか、エ―スは細かく震えながらもどうにか顔を上げ、薄く目を開けた。
「……レイン……!? ……逃げろ……!!」
「え?」
「闇水!」
レインの体は大きな闇に包まれ、突如一切の体の自由を奪われた。
「……!?」
そしてその圧倒的な引力は、瞬時にエ―スの所から黒ひげの腕へとレインの体を引き寄せた。
「う……ッ!」
「エ―ス……こりゃあいい女じゃねぇか! お前の女か?」
「く……! はな……せ……!」
エ―スはぶるぶると体を震わせるが、立ち上がるまでには到底至らない。
黒ひげはその様子をちらと眺めると、にやりと笑いながらレインに顔を寄せてきた。
「ふふ……この女をお前の目の前で犯してやろうか?」
「な……!? やめ……ろ……!!」
「……」
黒ひげはまるで品定めするようにレインを見つめていたが、ふとエ―スの反応を楽しもうと目を移した。
その一瞬を見逃さず、レインは自分を掴んでいる腕を素早く斬りつけた。
「!! ……痛ぇ―っ!!」
黒ひげは多少大袈裟なほど痛がると、大地を転げまわった
「レイン ……ッ!!やめろ! ……そいつには……!」
必死に何か伝えようとするエ―スを見た時だった。
何発もの大きな銃声が耳に届くより先に、レインの右半身に銃弾が浴びせられた。
「……うッ!」
「レイン……!!」
焼けるような熱さが引くと同時に激痛が体を駆け巡り、レインは耐えられず横に倒れこんだ。
レインの右腕に二発、腹に一発、さらに足までも正確に打ち抜いた男が姿を現した。
「船長……静かになったと思って来てみたら……何を遊んでいるんです?」
それは男ではなく、男達だった。
どうやら黒ひげの仲間のようだ。
それを見て、転がりまわっていた黒ひげがようやく起き上がる。
「あ〜痛ぇ! この女油断も隙もねぇな!」
「なんだ? この女」
「あぁ、どうやらエ―ス隊長の女らしいぜ……!!」
「くッ……!」
打ち抜かれた所からは容赦なく血が流れ、レインの右半身を赤く濡らしていった。
「で、この女どうする?」
「そうだな。大人しくなったようだし……みんなでいただくとするか!!」
「!」
「やめろ……!! ティ―チ……!」
その男達は倒れこんだレインにゆっくりと近づいてくる。
しかし、レインは手の中にある剣をほんの少し握る事すらできなかった。
流れた自分の血が剣の先まで伝っていく。
どうする事もできないレインは、それをしばし朦朧としながら見ていたが、その時、想像出来ないようなものを目の当りにしてしまう。
「!?」
剣に伝う血がすうっと消えた。
いや、正確に言うと吸い込まれたのだ。
腕から伝う血の道が剣の刃で一度途切れるが、それは流れ続ける血ですぐに補充された。
この剣は、まるでごくごくという音が聞こえてきそうな程に、実に旨そうに血を吸っている。
思えばノウマの戦い以来、レインが人を斬ったのはプレストンの森で会った海賊のみ。
この剣は、待っていたのだ。
ずっと。
この時を。
「……」
もう動ける力は無いはずの、レインがゆらりと立ち上がった。
その顔は妖しく、しかし、とても楽しそうに笑んでいた。