desire
□4.ジェラシー
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俺はいつものように夕食の仕度をしていた。食器を並べながら想うのは、料理の事ではなく、ナミさんの事ばかりだ。彼女は本当にコック泣かせだと思う。
「……サンジくん」
そこに、スープの器を持ったナミさんが立っていた。
「これありがとう。美味しかった!」
ナミさんはいつもの笑顔だ。俺を惹きつけてやまないこの笑顔が、今触れれば焦げ付きそうなほど、とても眩しく感じる。
「……そうか。よかった」
俺は食器を置く手を止めないままで、彼女に触れたい気持ちをぐっと堪えた。ナミさんはそんな俺に特別疑問を抱く様子もなく、ふと笑顔を収めて目を伏せる。
「今日は……ごめんね。あたし……、」
「――ナミさん」
俺は彼女の言葉を遮ると、少し真面目な顔で見詰めた。
「俺は、ナミさんが好きだよ」
少し強い口調で言ったせいか、怒っているように聞こえたかもしれない。ナミさんは戸惑うように頷いた。
「うん……」
言葉の続きを待つように何も言わない彼女を見て、俺はまた手を動かし始めた。
「……もうすぐ夕食できるから」
「わかった……」
目を合わせないまま忙しく動く俺を見て、彼女は何か言いたげだった。それがわかっていても、俺は彼女が去るまでその態度を貫いた。俺の方から何も言うべきではない。そんな想いが自分の口を閉ざしていたのだ。
翌日、新たな島に上陸できた。今までのと比べるととても小さな島だったが、それなりに町は賑わっている。あたしは久し振りにゆっくりとショッピングを楽しんでいた。最近色々あり過ぎて、こういう普通の事で発散したかったのかもしれない。
「……ふう。なんか疲れちゃった」
狭い通りの先にBARの看板を見つけたので、あたしは一息つく事にした。中心街から外れている為か、柄の悪い連中をチラホラ見かける。あたしはなんとなく足早になり、店内に入ると、すぐにカウンターに腰掛けた。すると、他の席から軽薄な口笛が飛んでくる。
「見ろよ! いい女だぜェ!」
「おォい! おねえちゃん! 俺達と遊んでくれよォ!」
店内に男達の下世話な笑い声が響く。せっかく一息つこうと思ったのに、これだ。あたしは気にせずオーダーすると、置かれた飲み物を口にした。相手にするだけ時間がもったいない。
そんなあたしの態度に腹を立てたのか、離れた席の何人かの男が近づいてきた。
「おいおい……シカトしてんじゃねェぞ?」
「こっちに来て一緒に飲もうぜ! な?」
一人の男がニヤニヤしながらあたしの腕を掴んできたので、とっさに睨みつけた。けれど、男達の視線がなぜか宙に浮いているのを見て、あたしは振り返った。あたしの背後には、凄まじい形相で男達を睨むゾロがいたのだ。
「……ゾロ!」
あたしの言葉を拾ったらしい男達は、途端に表情を変えた。
「ゾロ……、だと?」
「その三本の刀……まさか……」
先ほどまで緩んでいた男達の顔が、血の気を失ったようにみるみる青ざめていく。
「ロ、ロロノア・ゾロだァーっ!!」
「海賊狩りだァーっ!!」
店内にいた柄の悪い連中は慌てた様子で一目散に逃げていった。ゾロはただ立っているだけなのに、すごい。轟いた名声(悪名?)のお陰か、ただ単に顔が恐ろしかったのか。まだ驚いているあたしに構わず、ゾロは黙ってカウンターに腰掛けた。どうして、ゾロはここにいるのだろう。あたしが一人でいるのを見掛けて、心配してくれたのだろうか。黙ってグラスを口に運ぶゾロを見て、あたしは急に胸が熱くなった。
思えば、ゾロはいつもこうだった。愛は囁かない。優しく触れる事もない。なのに、あたしがピンチの時はいつも必ず助けてくれる。それがゾロの優しさだって事は、わかっていたはずなのに。
ゾロは、出されたグラスを空にすると、そのまま何も言わずに店を出ていった。あたしは思わず立ち上がると、すぐにその後を追った。
「ゾロ……っゾロ!」
呼び掛けてもなかなか止まらないゾロに駆け寄る。あたしが背後まで来て、ようやくゾロは足を止めた。
「ゾロ……! ごめんね! 今まで何度も助けてくれたのに……あたし、」
ゾロは、途切れ途切れに言葉を吐き出すあたしを制すように、そっと頬に触れてきた。ゾロがそんな行動に出ると思っていなかったあたしは驚いて、言葉を飲み込む。こんな触れ方も、あたしを見詰める目も、今までにないくらい優しいものだった。意表を突かれて固まったように動けなくなったあたしに、ゾロは唇を重ねてきた。
「っ……、」
それはゾロらしくない、とても優しいキスだった。あたしは突然の事に動けなかったが、すぐにサンジくんの顔が頭を横切って、思わずゾロを突き飛ばした。
てっきり怒り出すかと思ったけど、ゾロはまるで何事もなかったかのように背を向け、また歩き始める。
「ゾロ……」
あたしはそんなゾロの背中からしばらく目が離せなかった。
あれからしばらく一人で悶々として、悩んでもどうにもならないとわかったところで、あたしは船に戻ろうと考えた。帰る道すがら、前方にルフィ達を見つける。
「いやァ、ここの食いもんもうまかったなァ!」
ルフィの腹が風船のように膨らんでいる。また何か食べていたのだろう。この人達はいつも呑気で羨ましい。あたし達の間に何が起こっているかなんて、まるでわかっていないのだろう。
「ここはワタアメがあるから、いい町だぞ!」
チョッパーは大好きなワタアメを頬張っているようだ。
「ところでルフィ! 最近の船内での事なんだけど……」
ウソップが何か言おうとした所で、あたしはみんなに声を掛けようとした。
「みんなっ……」
その時、後ろから何者かに口を塞がれ、あたしはそのまま路地裏に引きずり込まれた。
「ん……? 誰かなんか言ったか?」
「なんも聞こえなかったぞ?」
「だから、ちゃんと聞けよ、ルフィ! この状況はだなァ……」
仲間の声を遠くに聞きながら、あたしは夢中で抵抗していた。壁に押し付けられ解放されると、自分に乱暴を働いた人物を見て愕然とする。
「サンジくん……!?」
そこには、あたしを冷たく見下ろすサンジくんがいたのだ。
「サンジくん……どうして……」
いつも優しい彼がこんな強引な事をするなんて、とても信じられなかった。非難するように見詰めるあたしを前にしても、彼は何も言わない。あたしを映す目には、見た事がないような薄暗いものが広がっていた。あたしを壁に押さえつけたままで、彼は強引に唇を奪ってきた。
「……ん……!」
いつものような愛を感じるキスではなかった。自分の都合を押し付けてくるような、一方的な行為だ。抵抗した手を取られ、上着を剥ぎ取られながら乱暴に愛撫される。
「サンジくんっ……いやっ……!」
必死に訴えても、彼は何も耳に入らないかのようにあたしの脚を弄り始めた。
「っ……、」
その瞬間、自分の脳裏に以前ゾロに乱暴された時の恐怖が蘇る。あの時の屈辱や痛みで、視界が真っ暗になるような絶望を味わった。
「……やめてーっ!!」
あたしはサンジくんを思い切り突き飛ばした。純粋な恐怖や、やり切れなさに目には涙が溢れてくる。
「やめて……やめてよ、サンジくん! これじゃまるで……!」
「まるでゾロみたい――、か?」
「……え?」
そう言うと、サンジくんは笑っているのか悲しんでいるのかわからない顔でその場から姿を消した。
買い出しの途中でナミさんを見掛けた。一人きりで歩く彼女はなぜか薄暗い路地に入っていく。度胸があるのか深く考えていないのかわからないが、普通に考えて危険だろ。俺はそう思って後を追った。しかし、俺より早く、彼女の後を追っている人物がいたのだ。ゾロだった。こいつはいつも、いいタイミングで現れる。
思った通り店内で一悶着あったのか、ガラの悪い連中が飛び出して行くのが見えた。問題はその後だ。ゾロが出ていき、ナミさんが懸命にその後を追う。俺は、よせばいいのに二人をつけた。結局そこで見てしまったのだ。二人がキスしているところを。
正確に言えば、ゾロの一方的な行為だったようにも思う。ナミさんはさっき俺にしたみたいに、すぐにゾロを突き飛ばしていたのだから。けれど、去って行くゾロの背中を見詰める彼女の顔は、複雑な想いが入り混じっていたように見えた。
俺はタバコに火を着けると、いつもよりゆっくりと燻らせた。これを吸っている時だけは気分が落ち着くような気がするのだから、不思議だ。漂う紫煙の中に、俺を突き飛ばしたナミさんの顔が浮かぶ。目に一杯涙を溜めて、俺を見上げた彼女の顔が胸に重く圧し掛かった。
どれだけ優しくして甘やかして、ほんの一時振り向かせたとしても。自分の想いは結局、一方的なものなのだ。
「お! サンジだ! おーいサンジーっ!」
船上でルフィが叫ぶ。こちらにぶんぶん手を振っているのを見て、日常に引き戻される感覚に安堵した。
「腹減ったーっ!!」
「またかよーっ!!?」
俺は船に乗り込む前に、タバコを消した。仕事の時間だ。食材を調達した際に考えた料理の数々を思い浮かべ、作る前から腕が鳴った。
しばらく料理に没頭したい。コックとして当然ともいえるそんな事を、わざわざ考えなきゃならないのは、油断すると集中できそうにないからかもしれない。
色んな事に胸を痛めるのは、しばらくやめだ。俺は船内に戻ると、すぐに厨房へと足を運んだ。