desire
□4.ジェラシー
3ページ/4ページ
二人で少し一緒に眠って、空が白々と明るくなってきた頃、サンジくんは朝食の仕込みの為にキッチンへ向かった。あたしも自分の仕事をしようと、久し振りに測量室に行き、海図を一枚だけ書き上げて部屋へ戻ろうと考えた。やはり、もう少しだけ眠ろうと思ったのだ。サンジくんといると、いつも時間を忘れてしまう。
結局ロビンはどこに行ったのだろう。そんな事を考えつつ、階段を下りていた時だった。逆に階段を上ってくる人の気配を感じて足を止めた。
「あ、ロビン……」
ロビンはあたしを見て少し驚いてるようだった。
「ナミ……まだ起きてたの?」
あたしは、なんだか急に恥ずかしくなった。
「ロビン……あたしとサンジくんの事……知ってたの?」
「あら、隠してるつもりだった?」
微笑むロビンを見て、顔が熱を持つのを感じる。
「その様子だと楽しかったみたいね?」
「……あ! ごめんね、今までどこに……」
ロビンは、あたしの言葉を遮るように手を振った。
「大丈夫よ。わたし達も楽しかったから……」
「え?」
それだけ言って部屋の方へと歩き出したロビンに、あたしは首を傾げる。わたし達も、とはどういう意味だろう。一人じゃなかったって事だろうけど、ロビンは一体誰とこんな時間まで一緒にいたのだろう。あたしは、なんとなく展望室の方に目を向けた。いや、まさかね。そんな風に笑おうとした。
しかし、ロビンは部屋のドアを開ける間際に振り返ると、
「寝てたの……ゾロと」
そう言ってまた微笑んだのだ。
朝になり、みんなが起きてくると、船は次第にいつもの賑やかさに包まれる。結局あたしはあれから一睡もできなかった。部屋に戻る前に聞いたロビンの言葉が、耳について離れないのだ。
「ナミさん……どうした?」
寝不足のせいか、朝食が喉を通らない。サンジくんがいち早くそれに気付いて、心配そうに覗き込んできた。彼には言える事じゃない。そう思って、あたしはつい黙り込んでしまう。サンジくんはそれを見て、さらに心配そうな顔付きになった。
「ナミ、食わねェならおれが食ってもいいか?」
ルフィが今にも手を伸ばしそうな勢いで聞いて来る。
「てめェは自分の喰ってろ!!」
すかさず言い返すサンジくんが可笑しくて、あたしはつい吹き出した。この人はホントに、男と女をきっちり区別している。
「大丈夫だから! ただのダイエットよ。心配しないで?」
部屋に戻ってるわね、と言って、笑顔を作ったまま席を立った。あたしを心配しているサンジくんの顔を見るのが、心苦しかったせいもある。
「なんだ、ダイエットかよ。女は面倒くせェなァ?」
「ナミさん、素晴らしいプロポーションですのに……」
みんなは気付かなかったようだけど、去り際にサンジくんを見ると、まだあたしを心配そうに見詰めていた。あたしはいつものような笑顔を返すと、彼にしか見えない位置で手を小さく振ってみせる。だけど、彼は最後まで何か言いたげな表情を崩さなかった。サンジくんはいつもあたしの欲しいものをくれる。って事はつまり、常に人をよく見ているという事だ。加えて、彼は勘のいい人だった。
あたしは部屋に戻ると、ベッドに潜り込んだ。さっきはゾロとロビンの顔を見るのが正直辛かった。まったく見ないのは不自然だと思うのに、見てしまうと、自分がどんな顔をしているのか不安で、結局二人の顔を見る事は出来なかった。
だけど、それよりも。あたしにはサンジくんがいるのに、どうしてこんなに心が乱されるのだろう。ゾロとの事はもう、過去の事だ。あたしは今は幸せだし、ゾロがロビンと寝たからって、自分には関係ない。そう思おうとすればするほど、頭から離れなくなっていった。こんな事で頭を悩ます自分が心底嫌になってくる。
言葉にできない苛立ちをため息に変えた時、コンコンとドアをノックする音が耳に届いた。
「ナミさん……大丈夫?」
サンジくんだった。普段だったら飛び起きるとこだけど、今は彼の顔を見る事ができない。
「大丈夫。……ちょっと眠いだけ」
室内に入ったきた様子の彼に、ベッドに潜り込んだまま返事をする。
「本当に……? でも何か食べないと……スープ作ってきたから少しでも身体に入れてくれ」
そう言うと、サンジくんはテーブルにその器を置いた。音を立てないように静かに置いた彼の気遣いに、心が痛くなる。こんなあたしに優しくしないでよ。そんな勝手な想いが自分を苛立たせていた。
「やっぱ……熱でもあるんじゃねェか?」
サンジくんはそう言って、あたしの額にそっと手を伸ばしてきた。
「……やめて!!」
しかし、その手をあたしは反射的に振り払ってしまった。ハッと息を飲む気配を感じて、とてつもなく大きな後悔の波に襲われる。あたしは自らの手を握り締めた。
「ごめんっ……。一人にして……」
それだけ言うのが精一杯だった。そんな身勝手なあたしに、サンジくんは何も聞かず、わかった、と頷いた。出て行く時も音を立てないよう静かに去る彼に、ごめん、と一人呟く。あたしは最低だ、とも呟いて、目をぎゅっと閉じた。
わたしはデッキで本を読んでいた。ふと気付くと、目の前にゾロが立っている。今日は特に機嫌が悪そうだ。こんな表情にも慣れたな、なんて考える。わたしが一味に加わった最初の時も、この人だけは、ずっとこんな表情で自分を監視していた。
「――お前、なんかしたな?」
ある程度予想していた問いだった。わたしは本から視線を外さないまま答える。
「いきなりなに? 人聞き悪いわね……」
「とぼけてんじゃねェ!」
苛立ったように声を荒げたゾロに、驚いたのは周囲にいた仲間だった。
「どうした、お前ら!? 喧嘩してんのか?」
大げさに狼狽える仲間の声で、比較的静かだった船が騒がしくなった。今日はこの本を読み進める事はできそうにない。わたしは何も言わずにその場を立ち去ろうとした。
「おい、待て! まだ話は……、」
ゾロはそんなわたしの肩を掴んで引き止めようとしてきた。その必死さに、少し腹が立つ。
「――わたしは真実を言っただけよ!」
掴まれた時と同じくらいの強さで手を振り解くと、わたしは船内に引っ込んだ。ドアを閉める際に、離れた位置にいるサンジが一瞬見える。彼は、様子がおかしいナミを心配していた。今のやり取りで、察しがいい彼にはすべてわかったかもしれない。
図書室まで来て、腰を下ろす。いつの間にか、持っていた本を抱き締めるようにしていたのを見て、ふ、と笑った。
「まだ……ナミの事ばっかりなのね……」
あたしはいつの間にか眠っていたようだ。今は何時だろう。時計を見ようと開けた視界に、スープの器が飛び込んでくる。
手を振り払った時のサンジの様子を思い出し、また心が痛んだ。あたしは冷え切ったスープの器に口をつける。身体にすっと染み渡るような、とても優しい味だ。彼がどういう想いでこれを作ってくれたのかがわかる。
「サンジくん……」
彼はいつもあたしを一番に考えてくれる。いつでも、真っ直ぐに愛を注いでくれる。なのに、自分は一体何をしているのだろう。あたしは彼が今までしてくれた事を並べ、また胸が締め付けられた。
その時、小さくノックする音が聞こえ、遠慮がちにドアが開いた。
「ロビン……」
「少しは眠れた?」
ロビンはまるで普段と変わらない様子だ。あんな事を言っておきながら、それでいてあたしを気遣うように優しく見詰めてくる。
「ロビンは……ゾロの事が好きなの……?」
あまりに唐突に質問したせいか、ロビンは少し戸惑っていたようだった。言葉を飲み込み、目を左右に揺らしている。こんなロビンは見た事がない。だけど、それはほんの一瞬の事で、すぐにいつもの表情に戻ると、ロビンは小さく息をついた。
「わたしの事より……ナミは一体誰を想っているの?」
「え……?」
今、自分に一番聞きたい事だった。
あたしは風にあたりたくてデッキに出ていた。辺りの海一面に夕焼けのオレンジ色が広がっている。深い青とオレンジのグラデーションがとても神秘的だった。
「奇麗……」
こんな景色は何度も見た事がある。だけど、今日は特別美しく思えた。手すりに持たれ、しばらく夕日を眺めていると、不意に涙が滲んでくる。情緒のある風景を眺めているだけで泣きたくなる自分は少し弱っているのかもしれない。
今日一日、ロビンに言われた言葉が頭を巡っていた。ゾロと寝たと言った事も、誰を想っているのか聞かれた事も。なぜ聡明な彼女がそんな事を言ってきたのか考えれば、答えはおのずと出た。自分はもう、はっきりさせなければならない。
ぼんやりとそんな事を考えていた時、懐かしい気配が自分を包んだ。
「――もう身体はいいのか?」
いつの間にか隣に立っていたゾロがあたしを気遣うように見詰めた。まともに話すのは久し振りなのに、ぎくしゃくした感じはしない。
「ゾロ……」
「泣いてんのか?」
声の震えに気付いたのか、ゾロが顔を覗き込んできた。とても、優しい目だ。
「違うわよ。……アクビしただけ」
「はっ……アクビかよ?」
ゾロは爽快に笑っていた。こんな笑顔は久し振りに見る。ゾロは元々、こんな顔で笑う人だった。
二人で無言のまま、沈む夕陽を見詰めていた。ただそれだけなのに、あたしは心が落ち着いていくのを感じる。この人は、サンジくんみたいにわかりやすい言葉はくれない。なのに、隣にいるだけで安心するのはなぜだろう。
ゾロはロビンには優しいのだろうか。ふと、そんな事が頭を過り、ゾロを見た。すると、ゾロもこちらを見ていた。珍しいほど穏やかな瞳に夕陽が映っている。色んな想いを抱えながら、それを互いに見詰めた。夕日が飲み込まれ、薄闇が広がってくると、あたしは一つ、くしゃみをした。
「冷えてきたな……。中に入るぞ」
あたしは、黙ってゾロの背中について歩いた。以前は二人でいて、こんなに気持ちが落ち着く事はなかった。ゾロの背中を見詰めながら、あたしは一人納得する。短い間にきっと、あたし達は変わったのだ。