カタルシス

□3.愛欲
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誰かに助けを求める事なんてなかった。

それは、希望ではなく、絶望を表すものだからだ。

しかし、初めて乞うたその手を、彼はがっちりと掴んでくれた。

そして掴んだまま、今も離さない。

これ以上あるだろうか。

こんな、幸せな事が。





「……」


ナミは見慣れた天井をしばし眺めていた。

先程から鳴り響く小さな鈍痛は、間違いなくあれが夢ではない事を示している。

船内は静かだが、どうやらまだ夜ではないらしかった。

体を起こしてみると、頭の痛みは思いのほか軽いものだと実感できる。


「あ! ナミさん! 気が付いた?」

「おっ! 大丈夫か、ナミ! 驚いたぜ、お前!」

「サンジくん……みんな……」


よく見ると部屋の中には、四人の男が所狭しと犇めき合っていた。

皆一様に心配してくれていたのだと、ナミは胸が詰まる思いだった。


「もう大丈夫そうだな。……じゃあ、俺は船の修理に行ってくるか! おい、ゾロ! 手伝えよ!」

「あぁ」

「俺はナミさんの為に何か作ってくるよ」

「おお! 飯か!?」


途端に目を輝かせたルフィを、三人の男は一斉に制した。


「てめぇは責任取ってここにいろっ!」


ルフィは口を尖らすも、拒絶するようにドアを閉められ、少し消沈した表情で座りなおした。


「みんな……」

「ちぇ……なんだよあいつら……」


二人だけの室内に静かな空気が訪れる。

ルフィは小さく息を落としてからナミの方をちらと見ると、どこかばつの悪そうな顔で近づいてきた。


「……もう、大丈夫なのか?」

「うん……。なんか、逆に悪かったわね」

「ナミ……」


ナミはその顔に少し重苦しいものを感じ、ルフィの次の言葉を張り詰めたような思いで待った。


「俺には、やりたい事がある。……その為には命も惜しくねぇ」

「……」


やはり、という思いと共に、やりきれないものが体を駆け巡る。

男の夢に、女は必要ないとでも言うつもりだろうか。


「……だから、何? あたしにもやりたい事くらいあるわよっ!」


ナミは焦れた思いから、つい喧嘩腰になってしまう。

しかし、ルフィの表情は変わらず、苦しいものを搾り出すように更に続けた。


「わかってんだろ? ……お前は、大事な『仲間』だ」

「……!」


その言葉を引き金に、だめだ、と思いながらも鬱積した思いが沸々と込み上げてくる。


「だったら、何なの!? 『仲間』だから、あんたに協力こそすれ、邪魔なんかしないわよっ!!」

「!」

「あたしは……!」


その時、ナミは突如蘇った痛みに体を強張らせ、頭を押さえる。


「う……」

「! ……大丈夫か!?」


ルフィが飛んできて庇うように肩を抱き、もう一方の手はナミの手の上にそっと置いた。

その手から伝わる気遣うような優しさが、ナミの心を一層締め付ける。


「違う……こんな事、言いたいんじゃない……」

「え……?」


ナミはその手を掴むと、未だ戸惑った様子のルフィの胸に飛び込んだ。


「好きなのよ……! ルフィ! ただ、好きなの。……どうしてわかってくれないの?」

「……!」


夢や、仲間である事など、関係ない。

プライドも恥も掻き捨てたようなナミの姿に、ルフィは思わずその体を抱き締めた。

ずっと半信半疑だったにもかかわらず、溢れるようなナミの気持ちが、触れた所から嫌でも伝わってくる。


「お前は……他のヤツが好きなんだと思ってた……」

「……え?」


確かに、色々と遠回りはしたが。

しかし、それで自分の思いをより痛感させられる事になったのも事実だ。


「おれで……いいのか?」

「ルフィが、いいの……」

「ナミ……」


二人は永遠とも思える時間、見つめあった。

いつも傍にいるというのに、こんなにお互いの顔を見たのは初めての事だった。


「……おれはこの先、死ぬかもしんねぇぞ」

「その時は、あたしもきっと死んでるわ」

「死なせるかよっ! お前らはおれが守るんだっ!」

「……あたしが守るわよ。あんた、放っといたらすぐ死んじゃうでしょ」

「ははっ! そうかもな!」

「そうよ……」


ナミは見つめたままルフィを引き寄せると、そっと触れるだけのキスをした。


「好きよ……ルフィ。ずっと好きだった……」

「ナミ……」


涙を溜めた潤む目を必死で向けてくるナミに、ルフィは自分の歯止めが利かなくなるのを感じた。

もう一度ナミを強く抱き締めると、今度はルフィが口付けた。

それはもう触れるだけでは終われず、お互いの存在を確かめるように激しく求め合う。

その瞬間、二人は感じていた。

『仲間』という箍が静かに、しかし、確実に外れていくのを。
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