カタルシス
□2.優欲
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昼間の喧騒が嘘のような船内に一人、サンジはラウンジへと向かっていた。
片付けや仕込みの為ではない。
そんなものはもう一通り済ませてある。
サンジは連日酒瓶を空にしているであろう犯人を制する為、足音を忍ばせ明かりが灯るそこへと向かっていたのだ。
勿論、それはゾロの所業に違いない、と踏んでいたからだったが、闇雲にただ叱責するつもりではなかった。
コックという仕事は、ただ腹を満たしてやるだけではなく、船員の健康管理全般を担う役割もあると自負していたからだ。
酒は楽しむ為のものであって、苦しむ為のものではない。
一コックがそんな事を考えるほど、最近山積みになっている空のボトルは尋常な量ではなかった。
しかし、ドアにある小さな窓からそっと覗き見た光景は、サンジの思い描いていたものとは全く違っていた。
そこには、普段は絶対に見せないような表情で酒を煽り続ける、ナミの姿があったのだ。
「ナミさん……!」
「!」
突如入ってきたサンジの姿を見て、ナミは口に運び続けていたグラスをがたん、と置いた。
「サンジくん……。あはは! バレちゃった?」
「……」
こちらに向ける笑顔は、いつもと変わらないものだった。
サンジは、それを見て逆にナミの身を案じた。
いつも笑っていられる人間などいないのはわかっている。
浮き沈みがあるのは人として別におかしなことではない。
しかし、ナミは笑顔を皆に向けながら、もしかしたら一人でいる時、いつもこんな表情なのではないか。
「ナミさん……」
「ごめんごめん! 少し控えるから!」
「いや……。何か作ろうか」
「え……?」
サンジは、敢えて何も聞かない事にした。
「おいしい! ……あ〜幸せ!」
ナミは天井を見上げ、笑っていた。
そんな仕草は、いつもより上機嫌にすら見えた。
それは、一見して、という範囲だが。
「幸せ……よね。あたし……」
「え……?」
「だって、優しい仲間においしい料理……この船に乗ってから楽しい事ばっかりだし!」
「……」
「ホント……幸せ……」
しかし、ナミは上を向いたまま両手で顔を覆った。
「ナミさん……?」
「なのに……どうして……」
「え?」
「どうして、まだあいつが夢に現れるの……?」
「……!」
覆っている指の隙間からは涙が溢れていた。
サンジは考えるより先にカウンターを飛び越えると、ナミを抱き締め、驚いた。
その体は酒を煽っていたとは思えないほど冷えており、微かに震えていた。
もしかしたら、ずっと震えていたのかもしれないと思うと、サンジの腕に自然と力がこもる。
「ナミさん……!」
ナミは相変わらず手で顔を覆っている。
時折漏れる小さな嗚咽は、サンジの心をかき乱した。
「優しく……しないで……」
「無理だ、そんなの」
サンジはまるで子供をあやすようにナミの髪を撫ぜ、背中を優しく叩いた。
「あたしは……汚れてるの」
「綺麗なだけの人間なんて、いるもんか」
「自分勝手で……嫌な女なの……」
「わがままなのは、いい女の証拠だ」
「いやらしい女なのよ……!」
「……誘ってるの? ナミさん」
「汚いの!」
「綺麗だよ……」
サンジはもう一度ぎゅっと抱き締めた。
ナミはやっと覆っていた両手を外し、涙で濡れた顔を晒した。
「ゾロとの……事だって……」
「……!」
「あたしが……!」
何を言っても優しく返すサンジに苛立ち、半ばやけに、自虐的な言葉を捲くし立てようと思っていたのにも関わらず、ナミはそれ以上何も言えなくなった。
それは泣いていた為ではなく、言葉に詰まった訳ではなく、サンジの唇が、それ以上言葉を吐き出す事を許さなかったからだった。