カタルシス

□1.溺欲
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「う……ん……」


ゾロが少し動いたので、ナミは触れていた手を離し、そろりとベッドを降りる。

静かに衣服を身に着けると、いつものように渇いた喉を潤しに下に行くことにした。

窓から白々とした光が差しているところを見ると、どうやらもう朝のようだ。

あぁ、今日もあまり眠れなかったな、とナミは目を軽く擦る。

いつになったら夜という闇が怖くなくなるのだろうか。

それは、なぜか途方もない夢のような気さえする。

なぜなら、ゾロは自分を抱く間だけでもきっと、愛しく思ってくれていたに違いないからだった。

愛を感じる事ができれば自分は変われると、勝手に思っていた。

しかし、やはりあの男は訪れた。

安心して眠る事など、決して許さないように。



キッチンに近づいてくると、静かな船内に不釣合いな音が耳に届く。


「あれ? ナミさん、早いね!」


サンジだった。

今朝も早くから忙しそうに手を動かしている。


「サンジくん……おはよ」


いつものように笑顔を作ったつもりだったが、サンジは少し怪訝な目を向けた。


「どうしたの? ……あんまり眠れなかった?」

「……ううん。大丈夫」


この男はいつも仲間達の様子によく気付く。

まぁ、それはきっと、職業病みたいなものだろうが。


「喉乾いたでしょ? はい、いつも美しい君へスペシャルドリンク!」


それはフルーツの香りが漂う見た目にも美しい飲み物だった。


「おいしい! ……いつもありがとう。サンジくん!」

「ナミさん……」


やはり、どこか様子がおかしいと思ったのか、サンジはナミを心配そうに見つめながら近づいてきた。


「あれ……どうしたの、そこ?」

「え……?」


サンジが示しているのは、どうも切れた唇の事のようだった。

ナミが何と言おうかと考えている間に、そっとサンジの手が頬に触れた。

突然の事に少々驚いたが、見上げた先には気遣うように視線を投げかけてくるサンジの優しい瞳があり、ナミはそのまま動けなくなった。


「サン……」


その瞳が近づいてきたと思った瞬間、唇に温かな感触が伝う。

それが軽く触れた後、痛みの残る箇所に柔らかな舌先がなぞった。

その少々くすぐったいような心地いいような感触を、ナミはつい目を閉じ堪能してしまう。


「ん……」


しかしそのやわやわとした動きはすぐに止み、軽い圧迫から解放されて目を開けると、そこにはどこか照れくさそうなサンジの笑顔があった。


「消毒だよ……」

「……」


その笑顔に、ナミは心臓が小さく跳ねた。

いつも際限なくナミに降り注がれているはずのそれは、なぜか今日に限っては特別なものに映った。

いや、いつもならまず、こんな隙は絶対に与えない。

あんな夢を見たからだろうか。

それとも。


「……これ、ごちそうさま! あたしもうちょっと寝るわ」

「あぁ……うん」


サンジにグラスを渡すと、ナミは逃げるようにその場から立ち去った。

ナミは、昨夜ゾロに抱かれたばかりだというのに、何時間もたたない内にサンジに一瞬でも心惹かれる自分に戸惑っていた。

しかし、ゾロの人を惹きつけて止まないハラハラするような魅力と、サンジの柔らかく包み込んでくれるような安心感は、確実に自分の心を満たしている。

誰かに助けてもらいたかった。

しかし、誰でもいいと言う訳ではなかったはずだ。

先程から頭痛と共に何度も木霊する声に、ついに足が止まり、ナミは目の前の自室のドアを開けられなくなった。


『お前は浅ましい女だ』


あの男が、また頭の中で笑っていた。
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