Stalk
□1.suspicion
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あたしは船へと戻ってきていた。
自分の荷物をまとめる為だ。
時折声をかけてきた仲間など気にも留めず、一心不乱に荷物を詰め込む。
もうこんな船にはいられない。
一秒でも早くこの船から下りる為、目に付いた物だけを押し込むと、あたしは足早に部屋から出ようとした。
しかし扉を開けた所で、あたしの心臓は飛び出しそうな程、ばくんと跳ねた。
「……何してる」
「!」
目の前に立っているのはローだった。
いつも通りの暗い瞳は、あたしと荷物を交互に見つめている。
「キャプ……テン……」
あたしは自然と後ずさり、血の気がどっと引いていくのを感じながらも、その瞳から目が逸らせないでいた。
様々な思惑が交錯し、頭の中は最早正常には働かない。
「……」
ローはちらりと部屋を覗き、またあたしに視線を戻す。
乱雑に散らかされた部屋の様子と、衣類が飛び出したままの荷物を見て、大よその状況は把握したのだろう。
問いかけるような視線は、その状況の返答を求めているように見えた。
しかしあたしは、思わず口走りそうになる数々の言葉を必死に堪える為に唇は震え、腫らしたままの目で訴えかける。
なぜなのかと。
なぜ、あそこにいたのか。
なぜ、その手は血で濡れていたのか。
なぜ。
しかし、ローは見るからに異常な様子のあたしに近づくと、そっと手を差し伸べた。
「……!」
途端に、あたしの体はびくりと震えたまま動けなくなった。
「顔が蒼いな……」
「!」
すっかり冷たくなったあたしの頬に、温かい手がそっと触れる。
それと同時に、目の前の瞳が気遣うような色を放っているのに、あたしはやっと気がついた。
それは海兵の銃弾から救ってくれた時のように、あたしだけを見つめている瞳だった。
「どうした……?」
聞いてはいけない、という思いと、聞いて楽になりたい、という思いが葛藤する。
あたしはまだこの男を信じているのだろうか。
いや、信じたいのだろうか。
もしあたしの疑惑が真実ならば、きっとあたしは生きていられないだろう。
そして、空っぽの眼窩で宙を見つめるのだ。
あの亡骸のように。
「……!」
あたしは堪らず目をぎゅっと閉じた。
それは真実からどうにか目を逸らしたい、という思いからかもしれない。
「……」
しばらくあたしの様子を伺っていたいたローが、覗き込むように顔を近づけてきたのがわかる。
あたしは真実を問いただそうと、意を決したように目を開き、その瞳をもう一度見つめた。
「キャプテン……あの家で……」
その途端、触れていた指がほんの些細だが、ぴくりと動くのがわかった。
「……」
何をしていたんですか、とたったこれだけの言葉が、喉の奥から詰まったように出て来ない。
なぜならば、目の前の瞳には先程まであった、気遣うような色は一切消失していたのだ。
そのかわり悪戯っぽいものの中に、揶揄するような光がゆらゆらと浮かんでいるのが見える。
「……何か、悪いものでも見たか?」
「!」
それは動けない敵にとどめを刺す時のような、弱者を弄ぶような視線だった。
あたしは足元からゆっくりと崩れていきそうな感覚にとらわれ、頬に触れていたローの手が途端に赤黒く染まっていくようにすら見えた。
そしてそれはただの錯覚に留まらず、ローの指から滴ってきたものがあたしの頬をぬるく伝っては、ポタポタと床を赤く濡らしていく。
あたしの脳裏に、動けない人間からまるで宝物のように臓物を取り出す殺人鬼の血にまみれた笑みが浮かび、それはやがて目の前の男と重なっていった。
「やめて……」
「トゥルー?」
その場にへなへなと座り込んだあたしを見て、ローはその血にまみれた手を再度差し出した。
「やめてぇぇぇーっ!!」
あたしは目を閉じ、両手で耳を塞ぎ、肘で脚を抱え込むように体を丸くした。
もう何も見たくない、聞きたくない。
あたしは初めて、全身でローを拒絶していた。
「……ルー!」
「!」
その時、扉の方から呼ぶ声に、やっとあたしは目を開けた。
「……ゼル……」
「キャプテン? ……何してるんですかっ!?」
この異様な状況に、彼の目は明らかに一驚を喫していた。
しかし、すぐさま庇うようにあたしを包むと、ゼルは先程から静かに立っている男を睨みつけた。
「ルーは俺の大事な女ですっ!! いくらキャプテンでも何かしたら……許しません!」
「ゼル……」
ゼルは日頃からローに対して絶大な敬意の念を抱いている。
それは、この船に乗っている者なら誰でも知っている事だ。
しかし、ゼルは一歩も譲らない、といった風に、ローに刺すような視線を放つのを止めない。
「……」
ローは黙ってその視線を受け止めると、ふと口元を緩め、あたし達に背中を向けた。
「邪魔したな……」
「……」
ゼルはあたしを庇った体勢のまま、ローの足音が完全に遠のくのを待ち、やっと口を開いた。
「ルー……何があった?」
「……」
目を見開いたまま、いまだ震えるあたしに、彼は髪を撫ぜながら慰めるように見つめた。
その温かい瞳を見た途端、やっとまともに呼吸する事ができたあたしは、ゼルに縋り付き、大声で泣き崩れた。