Stalk
□1.suspicion
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前の島である程度の物欲を満たしていたあたしは、この島での買い物は控えめだった。
もしくは、買う事で満たされていた欲求は、ゼルと楽しい時間を過ごす事によって解消されていたのかもしれない。
「明日はどこ行こうか?」
あたしは惜しみない笑顔を降り注ぐ彼の質問に小さく唸りながら、普通の恋人同士が交わすような会話に、照れ臭さを感じていた。
しかし、そんな普通の感情が沸き立つ手助けをしているのは、この島でまだ何も起きていないせいかもしれない。
もう永遠に、何も起こらなければいい。
「なぁ、明日酒の買出しすんぞ! 誰か一緒に来い!」
今尚、酒を飲みながら声を張り上げる仲間に、まったく、海賊というものは酒がないと生きていけないのだろうか、と、あたしは半ば感心する。
「……ゼル。お前行け」
「え……」
その時、ローがグラスを置きながら言った。
その声は極めて静かな口調であったが、服従させるには十分な響きを放っていた。
「あ……はい!」
「……」
返事をした直後に申し訳なさそうな顔を向けるゼルを見ながら、あたしの中に黒い感情が薄っすらと広がる。
先ほどのあたし達の会話はその耳にも届いていたはずだろう、とか。
なぜ、ゼルでなければならないのか、とか。
なんなら、自分が行ったらいいじゃない、とまで。
「悪ぃ……」
小声で謝ってくるゼルに首を振りながら、あたしはローの方をちらと見た。
しかし彼は悪びれた様子は一つもなく、いつものように淡々と酒で喉を潤している。
きっと、あたしが送るどす黒い視線にはまったく気づいていないのだろう。
その時、遅れていた仲間の一人が勢いよく扉を押し開け転がり込んできた。
「……海軍だっ!! やつら、いきなり撃ってきやがった!!」
「!」
「なに!?」
途端にばたばたと席を立つ皆を見ながら、あたしはなぜこの島に海軍が来たのだろうという疑問を抱いた。
「多分、海であった奴等だ!」
「ここまで追ってきやがったのか!?」
「……!」
海軍に追われる理由など、海賊であるという事だけでも十分だろうが、あたしの脳裏には例の事件が浮かんだ。
もしかして海軍は一連の事件の首謀者にローを選んだのではないだろうか。
「ルー! 行くぞ!!」
「……うん!」
ゼルに手を取られ、あたしは持っていたスプーンを投げ出すと、店の出口へと向かった。
扉の外ではもうすでに戦闘による轟然たる声が辺り一面に響いている。
「隠れてろ!」
ゼルはあたしの手を離すと、一気に海兵の簇りの中へと身を投じた。
なんて数だろう。
まだそう名も売れていないはずの一海賊団に、軍艦一隻分の海兵を送り込むとは。
あたしは家屋の間に隠れながら、その戦場の凄まじい様子を垣間見た。
この戦の庭には、あたしはきっと足手まといだ。
しかし、第一線に立つローは冷静だった。
数いる海兵は他の者に任し、恐らく大佐クラスであろう者と対峙している。
そしてきっと、ローは負けない。
あたしはその確固たる思いを抱く自分に少し戸惑った。
トラファルガー・ローという男に不信感を募らせながらも、結局の所、この場では絶大な信頼を置いている。
やはり、あたしはどこかで船長であるローを信じているのだ。
「ぐわぁっ……!!」
あたしの目の前でまた海兵が倒れた。
多勢に無勢にも関わらず、立っている海兵の数は減っていく一方だ。
この戦の結末に、そう時間はかからないかもしれない。
「うぐっ……! き、貴様……」
その時、ローと対峙していた男が膝をついた。
「……」
もう半ば戦意を失っている相手に対して、ローは静かに殺気を放つ。
「! ……くそっ……! ひ、退けーっ!!」
その一声で、海兵達のどうにか抗おうとする動きは止み、またすぐに静かになるのだとあたしは思った。
「……ルーっ!!」
突然、あたしに発せられたゼルの声にはっと振り向くと、倒れているままの海兵が銃口を向けているのが見えた。
「!」
咄嗟の事にあたしは目を閉じ身を硬くする事しかできない。
「……?」
しかし、必ず来るはずの痛みはいつまで経っても訪れず、かわりにあたしの閉ざされた視界は影に覆われた。
驚いて目を開けたあたしが見たものは、再び倒れた海兵と、ローの背中だった。
「……!」
「油断するな……」
ローはいつも通りの平静を極めた声だったが、その腕から流れる血の先には、銃創があった。
「キャプテン……!!」
あたしは思わずその腕を手で覆った。
「どうしよう……! あたし……!!」
「……」
狼狽しきっているあたしはふと、ローの見下ろす視線に気づく。
あたし達の体は、『診察』や『治療』以外で、久し振りに密着しそうなほど近づいていた。
いつも表情の見えない漆黒の瞳が今は、あたしだけを確実に映しているのがわかる。
それは何かしらの想いがこもっているように見え、あたしはその真意を見出そうと見つめ続ける。
いや、ただ逸らしたくないだけなのかもしれない。
いっそこの瞳の闇に捕らわれてしまいたいとさえ、この時のあたしは思っていた。
「ルー! 大丈夫か!?」
その時、ゼルが息を切らし駆けて来た。
「うん……」
心の底から心配している様子の彼を見て、あたしは胸が少し痛むのを感じる。
それと同時に、あたしの手が覆っていたものは離れ、いつの間にかローの体は少し先へと遠のいていた。
「待って!」
「……自分で処置できる」
ローはそれだけ言うと、勝利に昂ぶる皆の所へと歩いていった。
「キャプテン……」
「……ルー」
あたしは傍にいるゼルではなく、離れていく背中からずっと目が逸らせなかった。