Butterfly
□5.火拳
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本当は一人で船を降りたかった。
しかし、スタンレーは頑としてそれを許してはくれなかった。
自分が恐ろしい。
夢で見たように、いつか血に飢えた獣のようになるのかもしれない。
スタンレーは木に縛り付けないと寝ないと言い張るレインを前に、渋々ロープを手に取った。
しかし、やはりそれには抵抗があるようだった。
「だめだ……。もっと強く縛ってくれ」
「……」
言われた通りにロープを締めるスタンレーの方が、見るからに痛々しい顔つきになる。
レインは全く痛みがないとは言えなかったが、そんなスタンレーが少し可笑しかった。
「ありがとう」
苦痛の表情のままのスタンレーに笑顔で礼を言ったが、逆効果だったようだ。
泣き出してしまわないかとさえ思う程、その顔は歪んでしまった。
「レイン様……プレストンに着いたらディアナ様に会いに行きませんか……?」
プレストンとは戦争が始まる前まで国交があったそうだが、レインはまだこの国に行った事はなかった。
叔父は、この国には魔女がいるらしいと気味悪がって避けていた。
子供の頃は『魔女』という非現実的なものによく空想を膨らませたものだが、今自分の身に起きている事を考えれば、それは殊更信じられなくもない。
「面識があるのか?」
「えぇ、一度だけですが」
「そうか……。わかった。おやすみ」
「おやすみなさいませ……」
レインは最後に笑顔を作り目を閉じたかと思うと、何かが切れたようにがっくりとうな垂れた。
(レイン様……よほどお疲れに……。)
スタンレーは縛り付けられたまま死人のように眠るレインの姿が居た堪れず、やおら立ち上がった。
そして、周辺に異常がないかと少し歩き出した時の事だった。
「!」
どん、という発砲音と共に、激しい痛みが肩に走る。
「あれ? なんだこいつ。プレストンの人間じゃないな」
「なんでわかるんすか? 兄貴」
「ばぁ〜か! お前! プレストンと言や、魔女で有名な国だろうが!!」
その男達は見るからに海賊という風貌だった。
その場に倒れるスタンレーを撃った事などもう忘れているように、平気で取り留めの無い話をしている。
「く……ッ! なんだお前達は……!」
その時、十人ほどいるその海賊がスタンレーの方を一斉に振り向いた。
「おぉ……悪かったな、おっさん。ちょっとした間違いだ。俺達ゃ魔女に用があんだよ」
「……プレストンに……ッ何をしに行く気だ……!?」
「んん? なんだ、知り合いでもいんのか? そりゃ、気の毒だ」
「……何!?」
「ちょっと人から頼まれてねぇ……今から俺達は魔女狩りに行くとこよ!」
その時、海賊の一人がまるで宝を見つけた時のように、喜びに満ちた大きな声をあげる。
「兄貴ぃ!! ここに女が縛られてます!! すげぇいい女だ〜!!」
「!」
「ほう……こりゃ上玉だ!! 魔女の一人か?」
レインに近づこうとする海賊の足をスタンレーは思わず掴んだ。
「待て……! その方は……違う!!」
「なんだ? おっさんの女か? ……こんないいもん独り占めとは欲深いヤツだ。……やれ」
「……ぐわっ!」
海賊達はすでに傷を負っているスタンレーを痛めつけ、縛り上げた。
木に縛られていたレインを解放し、その顔や体をまじまじと見ている。
「ん〜いいねぇ〜! うまそうだ!」
レインはよほど深く眠っているのか、まだ意識はない。
「くっ……レイン様……!」
レインを見下ろす海賊達は皆一様に、美味なご馳走を目の前にしたかのように目をぎらつかせ、口元を舐め回している。
その時、レインの右手がぴくりと動いた。
「ん? ……おい、押さえとけ!」
海賊の一人が両手を押さえ、もう一人がレインに跨った。
「ふふふ……ショーターイム!!」
そう言うと、レインの胸元を一気に引き裂いた。
「お? なんだこの傷は……」
白い肌に不釣合いなその傷を見てしばし呆気に取られるが、こんな時代に傷がある女など珍しくもなかった。
気を取り直してレインの肌に指を滑らす。
その時、レインの目が開いた。
「……おお、お目覚めかい? 眠り姫! 今から俺達と楽しい事が始まるよ〜!! へっへっへ!」
「……」
しかし、レインの目は海賊を捉えてはいなかった。
開いている目はまるで闇に浮かぶ月を見ているようだ。
「なんだ? びびって声も出ねぇか! もっと泣き叫んでみろよ〜!」
その時、レインの手を押さえていた男が突如吹き飛ばされた。
「!」
「あ!?」
「何やってんだおい!!」
その吹き飛んだ男に一瞬目を奪われた隙に、レインは跨っていた男から抜け出すと、剣を抜き立ち上がった。
「!」
「お? やろうってのか?」
「……」
レインに跨っていたその男は焦れたように近づくが、その足取りはすぐに止まる事になる。
「あ、あ、兄貴ぃ〜っ!!」
「なんだ!? うるせぇな……!?」
振り向いたその男の両腕が、突如ずるりと落ちたのだ。
「……あ?」
そして、不思議そうな顔のまま、その首は大地に転がった。
「う、う、うわぁ〜っ!!」
「あ、兄貴ぃ〜っ!!」
レインの剣からは生温かい血がぼたぼたと滴っていた。