desire

□5.それぞれの想い
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あたしは船に戻ったが、誰にも会いたくなくて図書室に直行した。勢いよくドアを閉めると、途端にずるずると座り込む。


「……ナミ?」

「え……」


よく見ると部屋の奥には、本を手にしたロビンの姿があった。


「……ロビン……」

「どうしたの……?」


ロビンはすぐそばに寄ってくると、あたしの髪を優しく撫ぜた。その途端、ずっと我慢していた涙が堰を切ったように溢れ出してくる。


「ロビン……ロビン……!」


あたしはロビンに抱きつくと、ついに子供のように泣き出してしまった。








一通り仕事が済んだ俺は、海を見ながらまたタバコをふかしていた。下のデッキでルフィ達がすやすやと昼寝しているのが見える。考え抜いた料理をこれでもかと振舞って、いつも以上に与えた。仲間の寝顔が満たされているのを見て、自分の胸にも同じそれが広がる。

そんな自分の仕事の成果をしばらく眺めていると、重めのブーツの音が近付いてきた。最近は特にこの音が邪魔に感じる。


「……なに黄昏てんだ、色男」


ゾロはなぜか俺の隣に並ぶと、意地の悪そうな笑みを浮かべて言った。


「失恋でもしたか?」


こいつはこれが言いたいが為に、俺の傍に来たのか。俺はすぐに答えずに、海に一度視線を戻すと、煙をゆっくり吐き出した。


「……そりゃ、てめェの事言ってんのか? 自分で言ってりゃ世話ねェな」


俺とゾロは並んで前を向いたまま、お互いをちらと盗み見る。ゾロとは歳が一緒で、身長なんかもほぼ変わらないが、まるで違う人間だと互いに認識している。しかし、今考えている事はもしかしたら、一緒かもしれない。

――一体、こいつのどこがいいんだ?









「……少しは落ち着いた?」


ロビンはあたしを椅子に座らせると、温かい紅茶を淹れてくれた。身体が少し温まると、どことなくほっとする。


「うん。ごめん……」


ロビンはあたしの様子を見詰めながら、隣にそっと腰掛けた。


「……でも、サンジは本当にナミの事が好きなのね?」

「え……」


ロビンはあたしを気遣うような優しい口調を崩さないままで、少し真面目な顔をする。


「それで……、ナミは想いをきちんと伝えた事はあるの?」


サンジくんはいつもはっきりとした言葉で伝えてくれていたが、自分はもしかして一度もないかも知れない。あたしは、キッチンでの彼の態度を思い出す。好きだと言ってくれた後、頷く事しかしないあたしを見て、彼は黙って夕食の準備を始めたのだ。思えば、あの時から様子がおかしかったような気もする。


「言葉にしないとわからないものもあるわ」

「うん……」

「たとえ伝えても、届かない想いもあるだろうけど……」

「え?」


聞き返したあたしに、ロビンはなんでもないわと言って笑った。あたしはカップを置くと、ロビンの方にあらたまって顔を向ける。


「……ごめんね。こんな事本当はロビンに話すべきじゃないのに……」

「いいのよ? ……わたしのは、恋愛にはほど遠いから」


そう言うと、ロビンはあたしから視線を外した。今のあたしにはその言葉の意味はよくわからなかったが、目を伏せたまま笑うロビンは、どこか寂しそうに見えた。








「だから、いるらしいぞ。沢山……」

「マジか!? フランキー!?」

「あァ。間違いねェ」


ルフィは先ほどから目を輝かせている。フランキーの情報によると、町の外れの森に大きな虫が出て、住民達が困ってるという事だった。虫嫌いな自分としては聞くのも嫌な話ではあったけど、今は特に心が動かなかった。


「よし! 飯喰ったら行くぞ!!」

「でもよォ、ルフィ。みんなが困ってるような虫って……とんでもなく凶暴なんじゃ……」


ウソップは恐々と言ったが、ルフィの目の輝きは留まる事をしらない。


「だーい丈夫だっ!! おれはその虫捕まえて飼うからなっ!!」


何が大丈夫なのかは知らないが、こうなると誰にも止められないだろう。


「ちょっとルフィ!! 変なものを船に持ち込まないでよ! ……そんなデカい虫なんて冗談じゃない!」


ナミさんが声を荒げたが、すでに耳には届いてない様子だ。


「絶っ対! 楽しいからみんなで行こうぜー!」

「わたしは遠慮するわ……」


ロビンちゃんはやんわりと、それでいてはっきりした態度で断った。角を立てないような断り方がうまいよな、といつも感心する。


「あたしだって嫌よ!」


本気で嫌悪している様子のナミさんと、ロビンちゃんの視線が不意に重なった。その時、いつも気が合う二人に変な間があったような気がして、俺は首を傾げる。

ナミさんは不機嫌なまま立ち上がると、


「とにかく、絶対にごめんだわっ!」


と言ってその場から出ていってしまった。


「なに怒ってんだ、あいつ? まァ、何でもいいや。行くぞ! 探検だァーっ!!」


そう言うと、ルフィは食べ物を口に詰め込んで忙しく出ていった。


「あれ? サンジは行かねェのか?」


俺にそう言いかけたチョッパーは、ウソップの声に遮られる。


「おーい! チョッパー早く行くぞ!!」

「……お、おう! 置いてくなよっ!」


慌てて追うチョッパーを含めた一行は、ルフィに続いて船を降りていった。俺は急ぐ事もせずに、ルフィが散らかした物を片付けている。そんな俺に、ゾロが席を立ちながら言った。


「お前、行かねェのか?」

「あァ。虫は料理にゃ向かねェからな……」


そう言うと、俺は部屋に向かった。正直、今探検などする気分ではなかったのだ。








わたしは図書室から持ってきた本を読んでいた。みんながいない船は静かで、読書に向いている。先ほどの泣きじゃくるナミの顔がふと浮かぶ。自分もあんな風に素直になれたら何かが変わるのだろうかと考えて、つい吹き出してしまう。そんならしくない事を考える自分が、なんだか可笑しかった。

わたしは、ずっとゾロを見てきた。険しい表情を崩さない彼の、ふとした時に見せる優しさ。仲間を守る為に、自分が傷付いてもかまわないといった男らしさに惹かれていったのはいつからだろう。だから、皮肉な事に、ゾロの心がナミに向いているのもわかっていたのだ。

二人が幸せなら、それでよかった。けれど、苦しんでいる彼を、ただ見ているだけなのは嫌だった。最初は彼の心が少しでも軽くなればそれでよかったのに。一つ手に入れると欲が出る。人間とは本当に欲深い生き物だ。

わたしは一つ息を落とすと、読んでいる本を閉じた。静かだから、読書に向いているとは限らないようだ。

閉じた本を自分の横に置いた時、ここに近付いて来る足音が聞こえた。ナミだろうか。静かにドアが開いた気がしたので顔を上げて、そこで自分の目を疑った。顔を出したのはゾロだったのだ。


「ゾロ……ルフィと一緒に行かなかったの?」

「あァ。俺が行っても意味ねェからな」

「え……?」


彼の言葉も、彼がここにいる事自体も理解不能だった。だけど、わたしはすぐにいつもの表情を作ってみせた。自分の感情を隠す事には慣れている。


「それで……? ナミはここにはいないわよ」


皮肉を含めてそう言うと、閉じていた本を手に取り、また目を通し始める。そうすれば、ゾロを見なくて済むからだ。そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、ゾロはどかっと隣に座った。


「なに……、」

「飲むぞ」


ゾロはそう言って笑うと、手に持っていたグラスを二つ、テーブルに置いた。








俺はドアを閉めるなり上着を脱ぎ捨て、ソファーに座り込んだ。天井を仰いだまま、大きく息をつく。ゾロとナミさんがキスしたのを見て、俺は嫉妬に狂った。けど、それが乱暴を働く理由にはならなかったのだ。一時の感情とはいえ、彼女に働いた暴挙は、彼女に与えた恐怖は、取り返しがつかない。料理に没頭している間も、涙を溜めた彼女の顔が目に焼き付いて離れなかった。

ゆっくりと首を傾けると、ドアに目をやる。泣きじゃくるナミさんが飛び込んできたのが、今でも昨日の事のようだ。俺はあの時のゾロと同じ事をしたんだ。腹を立てていたはずの男と同じ事して泣かせちゃ、世話ねェよな。

俺は自他共に認める女好きだが、ナミさんは特別な存在であった。彼女のあの笑顔と優しさで何度救われたかわからない。

たとえゾロといたとしても、ナミさんが幸せなら別に構わなかった。最初は彼女の笑顔を守れれば、それでよかったのに。

俺はしばらく何もする気が起きなかったが、同じような考えが幾度も頭を巡り、やがて嫌気が差した。考えても何も変わらねェ。重い身体を起こすと、なんとか立ち上がろうとした。また厨房に戻って、次の仕込みでもするか。

そんな事を思った時、突然ドアが勢いよく開くと、誰かが部屋に飛び込んできた。


「っ……、」


ナミさんだった。そこにはいつもの笑顔はない。意を決したような表情の彼女を見て、俺は自分の胸が冷えていくのを感じた。ナミさんは部屋を見渡す様子も無く、真っ直ぐ俺へと向かってくる。


「ナミさん……、」


彼女の少し緊張したような面持ちに、俺は腹を括った。もう、二人でいられる時間は永遠に無くなるのかもしれない。だとしたら、せめて今日の事は謝っておきたい。


「今日は……本当に、」

「――好きよ、サンジくん」


こちらを真っ直ぐ見詰めて告白してきた彼女に、俺は大層間抜けな顔を晒しただろう。瞬きするのも忘れ、呼吸するのも忘れ、真剣な表情の彼女から、しばらく目が離せなかった。


「え……?」


ようやくそれだけ言った俺の足元に、追い打ちをかけるようにナミさんの衣服が舞う。


「ちょっ……!」

「大好きよ……」


全てを脱ぎ捨てると、ナミさんは唇を寄せてきた。あまりにも思いがけない展開に、慌てたのは俺だ。


「ナミさんっ……ちょっと待てよ! 誰か帰ってきたら……」


戸惑う俺に構わず、彼女は初めて自分から唇を重ねてきた。置いてきぼりだった心が、ここで急激に熱くなる。


「大丈夫……誰も来ない」


ゆっくりと絡ませてくる彼女の舌を味わうと、夢のような気持ちになった。俺は何一つ理解できない状況で、それでも彼女を抱き締めていた。
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