カタルシス

□3.愛欲
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「ねぇ、ウソップ」

「ん?」

「顔も可愛くて、スタイルも抜群の、あたしに足りないものって何かしら?」

「……奥ゆかしさ?」

「ちょっと! 真剣に聞いてんのよっ!?」

「……なお、たち悪いじゃねぇかよ」


ウソップは辟易としながらも、多大なる殺気を放出してくるナミに向ける言葉を、それはそれは慎重に選んだ。


「あ〜……、しおらしさ? 純粋さ? いや! 違うんだっ! ……ん〜と……」

「何よ! ……他に無いわけっ!?」


あれこれ並べられる言葉の中に、自分が欲しいものはないようだ。

ナミは少し項垂れると、消沈してウソップの傍から離れようとした。

その時、思い悩んでいたウソップが、ぱっと顔を上げて言った。


「あ〜、やっぱ、あれかな! 『正直な心』!」

「……はぁ?」


ナミはその言葉を聞いて、少しは期待した自分が馬鹿のように思えた。

元泥棒でただ今海賊家業の女に、『正直』とは。

まるでどこかの坊主にお説教でも受けているような、盛大に滅入った気分になる。


「はぁ……、もういいわ」


ナミは半ば呆れた様子でその場を立ち去ろうとしたが、ウソップは背中を向けたまま尚も続けた。


「いいや! お前に必要なものはそれだ。ほら、見ろ!」

「……」


ウソップが顎で示したものを、ナミは溜息混じりにちらとだけ見た。

しかし、そこで見えたのは、心地よさ気に甲板で寝息を立てている男の姿だった。


「! ……え?」


ナミは驚いて、思わずウソップを見つめたが、まだこちらに背を向けたまま笑っている。


「な? 必要だろ?」

「ウソップ……でも、あたし……」

「大丈夫だ! 顔も可愛くてスタイルも抜群なんだろ?」

「……でも、どうして……?」


先程までとは別人のように、か細い声を搾り出すナミに、ウソップはやっと振り向いた。


「んなこたぁ、みんな知ってる事さ! ……もしかして、本人が一番わかってねぇんじゃねぇか?」

「……」


心に秘めた想いのはずが、いつの間にか周知の事実になっていたとは。

ナミは、気恥ずかしさに顔を上げられなくなった。


「行けよ! 『正直な心』で!」

「う……ん……」


ナミは少し頼りない様子でその場を離れた。

あれ以来、夢で苦しむ事は少なくはなった。

まったく魘されない、という訳ではなかったが、少なくとも酒に逃げる事はなくなった。

自分の中で、夢は夢だ、過去は過去なんだと、選別できるようになったのかもしれない。

しかし、かと言ってすべてがゼロになる訳ではない事もわかっていた。

いつも自信に満ちたように飾り立ててはいたが、その実、まるで正反対の自分が確実に居座っているのだ。

『正直な心』とは、恐らくウソップなりのエールなのだろう。

他にもきっと、色々とあったはずだ。

しかし、敢えてその言葉を選んだウソップの気持ちに、ナミは応えたい、と思った。

ふと見上げると、気を利かせてくれたのか、ちょうどウソップが立ち去る所が見える。

ナミはそれを黙って見送ると、麦わら帽子を顔に乗せて転がっている男に近づいた。


「ルフィ……ねぇ、起きてったら!」

「あ〜……? ……ふわぁぁ〜……。……なんだ、飯か?」

「違うわよっ! ……ちょっと、話があるの」

「なんだよ! おれ、食ってねぇぞ! お前の蜜柑なんかっ……!」

「……食べたのね? ……まぁ、それは今はいいわ……」

「いいのかっ!? じゃあ、もう一個食っても……」

「次、一粒でも食べたら殺すわよ……?」


ナミは込み上げてきた怒りを溜息に変えて吐き出すと、大きく息を吸った。


「だから、ちょっと、聞いてよっ!! ……あっ!」

「なんだよ?」


その時、ナミはしばらく安定していた気候が急激に崩れるのを感じた。


「……待って! 嵐が来る!!」

「えっ!?」

「皆を呼んでこなきゃ!」

「あ! おい!!」


その時、突然立ち上がったナミに突風が襲う。


「きゃあっ!!」

「ナミっ!!」


その嵐は思いのほか大きいようだった。

ナミは足を取られ、したたかに床に体を打ちつける。


「う……ルフィ……舵を取って……!」

「……わかった!」


空には大きな黒雲が広がると同時に激しい雨が降り注いできた。

自分のせいだ。

ナミは、自分の判断が一瞬でも遅れた事を悔やんでいた。

それは、正常な判断を鈍らせる状況だった事が理由の一つだとは思う。

しかし、海の上で船員の命を預かる航海士としては、決してあってはならない事であった。

指示を仰ぐルフィに応えようと、ナミはすぐに立ち上がろうとした。

しかし、その時船体が大きく傾いた。

どうやら荒れ狂う波が船を襲いにかかったらしく、ナミは濡れた床を滑るように転がってしまう。


「あっ……!」


周りに掴むものはなく、大した抵抗もできないまま、ナミは柵に頭を打ちつけた。


「うっ!」


その痛みで体から一気に反抗する力が奪われると、ナミは真っ逆さまに暗い海に吸い込まれそうになった。


「ナミーっ!!」

「……!」


その時、ルフィの腕が伸びて、ナミの体を寸での所で掴んだ。

一気に先ほどの風景を逆行すると、ナミはルフィの傍らで力強く抱きかかえられる。


「大丈夫かっ!? 指示できるか!?」


頭の痛みで半ば呆としながらも、ルフィの真摯な眼差しに、ナミは大きな使命感に追い立てられた。


「……うん」


船内にいた三人も、船が傾いた事で驚いて甲板に飛び出してくる。


「なんだっ!? 嵐かよっ!!」

「……って、てめぇ! ルフィ! 何でナミさんがぐったりしてんだよっ!!」

「だってよ、おめぇ……」

「いいから……! みんな早く持ち場について……!」


ナミはルフィに支えられたまま皆に的確な指示を出し、その体温を溢れそうな思いで噛み締めていた。

普段はふざけていてその面影もないが、危機が迫った時に絶大な信頼を寄せられる男。

それはやはり、今自分を支えているこの人しかいない。

思えば、最初からわかっていた。

あの時、自分の宝だという帽子を被せられた、あの時から。





「はぁ……はぁ……」

「何とか……逃げ切れたな……」


皆床に転がるようにして、疲労を訴えている。


「やったな、ナミ! おい……お前、顔色悪いぞ?」

「ルフィ……」


爽快に晴れた空に目を細めながら、ナミは眼前にあるルフィの目を真っ直ぐに見て言った。


「好きよ……」

「え……?」

「好きよ、ルフィ……。ずっと……」

「あ! おい、ナミ! しっかりしろっ!! おい!」


ナミはルフィに支えられたまま、暗がりの中へゆっくりと意識が奪われていった。
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