”アレ”はふらりといなくなることがある。 それは決まって……こんな雨の日。 一度振り返ってみるそれもまた強さ 「亜夢」 「あれぇ、土方さん。どうしたんですかぁ?」 傘も差さずに人気のない裏路地や空き地、屯所内でも人の入り込まないようなところで一人、雨に打たれているところを何度か目撃したことがあるが、声を掛けたのは今回が初めてだ。 不定期に訪れる情緒不安定な時期。 亜夢はよく雨に打たれていた。 普段は能天気で天然で、総悟と一緒に馬鹿ばっかりやってるが、こうなると一人ふらりと消えて存在を感じさせない。 昔から一緒にいるからこうなる原因は知っていた。 もちろん、他の隊士達も予想は付いている。 だからこそ誰一人として声を掛けることをせず、その間だけは見てみぬフリをしていた。 真選組に属する人間なら、 いや 人を斬った事のあるマトモな人間なら、陥ったことがあるだろうこの状況を。 亜夢が初めて斬った時も、空が泣いていた。 浴びた返り血を流す雨。 流した涙を隠す雨。 虚ろな眼をして、その流している涙にさえ気づかずに。 刀を握り締め、ただぼんやりと虚空を見つめて。 初めて人を傷つけた時、殺した時。 鬱のように陥るこの状態から脱却できた者はその後も真選組で働いている。 一時的な罪悪感は正義という大義名分に替えて。 それを抜け出せなかった者はすでに組を去っている。 心の弱い者はそのままでいれば次に消えるのは自分だと理解しているからだ。 死する覚悟を持った者。何が何でも守り抜くと、戦い抜くと決意した者。そんなやつらしかここにはいらねェ。 弱気になった者が一人でもいれば、それは隊の士気に関わる。何より他の者の死期にも。 亜夢のように、常に背負っている者はここにはいない。 こいつは唯一の女隊士だ。ガサツな俺たち男連中とは脳内構造が違うんだろう。 だが、誰もが知っている。 こいつがちゃんと「覚悟」を持っていることを。 毎度毎度こんな状況に陥っては、必ず戻ってきていることを。 だから何も言えない。言える筈がない。 「どうしたんですかぁ? こんなところまでお散歩ですか、副長も暇なんですねぇ」 声を掛ける前までの無表情とは一変して、ほんわかとした顔に切り替える。 いつもの見慣れた顔。 「てめェこそ、雨ン中ずぶ濡れで何してやがる。馬鹿か?」 人気のないところにわざわざ来ているのだ。何をしに来たかなんて一目瞭然だろう。 いつもなら見ぬフリをする自分がわざわざ声を掛けた。 それをコイツもわかってる。 わかってても、それを言わないのは触れられたくないから。 だったらこっちも触れてなんかやらねェ。 「いやぁ、だって。雨って気持ちよくないですかぁ? シャワーと一緒ですよぉ、……洗い流してくれる」 ふと浮かべた自嘲の笑みは見なかったことにしよう。 「だったら、屯所で風呂にでも入ってろ。だいたい雨なんて綺麗なもんじゃねェだろうが」 「やだなぁ、これだから風流のわからない人は……あ、そっか。土方さんは雨には当たらないほうがいいですよね」 「アァ?」 「だって、ハゲますもんねぇ。酸性雨、危ないですよぉ」 「ハゲてねェェェエエ!! ってかそれならおめェも一緒だろがっ!」 ヤベェ。心配した俺がアホだったかもしんねェ。 こいつはある意味総悟と同じ人種だ。テメェのアレコレは隠そうとしやがる。 それも、人をからかうことで。 「だって、それが心配だから傘差してるんでしょう? だって、ホラ。後頭部がうっすら……」 「ハゲてねェっつってんだろうがァァアア!! 大体、雨降ってンだから傘差すのは普通だ!」 「そうやってムキになるところがアヤシイ……」 「アヤシくねェし! 普通だし!! ふっさふさダヨォ!!?」 あー、マジ、ヤベェ。コイツ、殴ってもいいかな。 総悟の下につけたのがそもそもの間違いだったな。 「でも…」 呆れ返って、大きな溜息をついたソレに被せる様に聞こえた小さな声。 だが雨の音なんかには掻き消されないほどには強く。 「ありがとうございます」 こちらを見もせず呟かれた声に、さらに溜息をひとつ。 いつもとは違うしおらしい態度に気付かないフリはもうヤメだ。 「大体なァ」 ゆっくりと近づいて、傘の下に入れる。 遮られた雨に顔を上げる前に、亜夢の頭を抱きこんで胸に押さえつけた。 「雨なんかで隠さなくても、こうすりゃンなもん誰からも見えなくなんだろうが」 一人で抱え込まれるよりずっと良い。 そんな姿を見たからって誰も隊を抜けろなんて言いやしねェ。 もっと周りを頼れ。怒鳴っても、泣き叫んでもいい。 「もうイヤだ」と、口に出してもいいんだ。それがコイツの本心じゃないことは解ってる。 いや、本心だとしても、それを投げ出すようなヤツじゃないことはわかってるから。 さんざん喚いて、疲れたらゆっくり眠って、全て忘れりゃイイんだ。 「ついでに傘もありャア、誰もテメェだって気付かねェよ」 「―――――土方さん……」 「ンあ?」 「頭良いデスねぇ」 「俺を誰だと思ってやがンだ」 「ハゲそうな鬼副長」 「ハゲじゃねェって何度言わせンだ、この馬鹿亜夢がァアァァアアア!!」 泣き顔を隠してた胸の中からするりと抜け出し、掴もうと伸ばした手の届かない距離まで逃げる。 振り返った顔にはもう涙の跡はない。 憎たらしくて殴りたくなることも多々あるが。 「オメェは、笑ってた方がいいぜ亜夢」 この声はきっと、この雨が掻き消してくれるだろう。 |