「じゃあ、これは……」 「ああ、それはですね……となるわけです」 「なるほど!」 休み時間に入ると同時に朔夜はトキヤのもとに行き、彼の前の席に座り込んだ。 直前の時間帯に出された宿題のプリントで解らないとところがあったので、それをトキヤに質問するためだ。 トキヤは大概の質問を解りやすく教えてくれるので、朔夜は勉強に躓いたりすると必ずトキヤに聞きに来るようになっていた。 朔夜も出来ない方ではないのだが、誰にもでも苦手教科はあるもので、それが朔夜の場合は数学だった。 もちろんある程度は理解出来るが、一度嵌ると抜け出せなくなりぐるぐると数式が頭の中を駆け巡る。 その点トキヤはどの教科もオールマイティにこなすから、教えを請うにはもってこいの人材だった。 早乙女学園では一年という短い期間しか過ごせないため、毎日の課題はそれはもう膨大な量を課せられることがある。 アイドルコースはアイドルコースの、作曲コースは作曲コースの課題と共に、一般学校で教えられる科目なども、それに追加されるためだ。 学園ではアイドルの養成が第一だが、社会に出るにはある程度の知識も必要。 昨今人気の出ている「おバカアイドル」も、少数なら個性だが多数いれば埋もれてしまう。 それに学園からアイドルとしてデビュー出来るのは一握りの者達のみ。 それ以外の者は少なからず卒業後、一般学校に進む者もいるはずだ。その時に困らないためにも、必要な課題である。 「イッチーもアッキーもよくやるよね、休み時間まで勉強だなんて」 「まったくだぜ。んなもん寮に帰ってからでも十分だっつの」 勉強事において朔夜が解らないことをそのままにしておける性質ではないことを彼らも知っているので、こうやってトキヤと顔をつき合わせているのを大人しく見てはいるが、近すぎるその距離に内心穏やかではない。 「どこが十分なのですか。あなたはもう少し朔夜を見習った方がいいと思いますけどね、翔。こないだも赤点だったんでしょう」 「ううう、何故それを……」 傍らで話している二人の会話を聞いていたトキヤが、翔の発言を聞いてばっさり切り捨てる。 何故知っているかだなんて聞くのも愚問。この間の答案返却時に龍也自らがその場で翔に注意していたのだから、クラスの誰でも知っているはずだ。 だけどすっかりそんなことなど忘れていた翔は、グッと痛いところを突かれたといった風に胸を押さえる。 「良いものと悪いものの差が激しすぎるのですよ。もう少しそれを縮めるよう努力した方が身のためです」 「それってでも普通じゃね? 俺、暗記系とか全然ダメなんだよな」 「オレはアッキーと同じく数学は苦手だな。数式でなんて愛の大きさは測れないし語れないからね」 「それは……なんか違ぇんじゃねーかな……」 なんともレンらしい自論だが、それが本当に苦手な理由に繋がっているのかどうかはわからない。 「出来たっ」 満足げな笑みを浮かべて朔夜がパッと顔を上げる。 不意に見せられた笑顔にドキリとしてしまうのは、想いを自覚している二人にはしょうがないことと言えよう。 そしてすぐ間近でそれを見てしまったトキヤも例外ではなかったらしく慌てて顔を背けた。 「? どうかしましたか、トキヤくん」 「いえ、何でもありません」 ニヤニヤとレンと翔が笑っているのは見えている。見えているが敢えて見ない。 ここで下手に突っ込んでは墓穴を掘ることになるのは、今までの経験上学んでいる。 「それにしても、トキヤくんはどうやって勉強してるんですか?」 この学園の生徒の年齢は様々で、学校で得た知識としては中学の段階や、高校の途中までという個人差がある。 朔夜に関して言えば中学もまともに行ってなかったので独学と、あとは居候していた店に来ていた人達から学んだ。 元から勉強は嫌いではなく、新しい知識を得ることは楽しいことであったから水を得るようにそれらを吸収し、その結果、早乙女学園の受験にも見事合格出来た。 先々に困らないようにと、高校レベルの教材も使って教えられていたけれど、トキヤは朔夜のそれを上回る知識量だ。 いつも忙しいらしく、学校にもあまり来ていないトキヤが、いつどのように勉強をし、その頭脳を育てているのか純粋に興味があった。 「特別なことをしている訳ではありませんが、しいて言えば……」 とトキヤが説明しようとしたところで授業開始のチャイムが鳴った。 慌てて机の上のプリント類を纏めて、席に戻ろうとする朔夜を手伝いながらトキヤは告げる。 「いい参考書があるんです。よければ見に来ますか?」 「行きますっ! トキヤくんのお勧めに間違いありませんからね」 「では夜にでも」 「お邪魔します」 トキヤの言葉に甘えて朔夜は部屋へと来ていた。するといるはずの同室である音也の姿が見えない。 「あれ、音也くんはどこに?」 「翔達と遊ぶと言って出ていきました。談話室にでもいるんじゃないですか? まぁ、いない方が静かで勉強はしやすいですからちょうど良かったです」 何かと話しかけてくる音也は、こちらが本を読んでいようが、勉強していようが関係ない。 朔夜を部屋に招いたはいいが、すっかりそのことを忘れていたトキヤは、寮に帰ってきて音也を見た時にそれを思い出し、どうするべきかと考えようとした時に音也が出かけることを聞いたので、余計なことは何も口にしなかった。 もし朔夜が来ることを知られれば、彼が予定を変更する恐れがあったからだ。 同じように静かに勉強するならまだしも、きっとそうはならないとわかりきっている。 ならばわざわざそうなる可能性があることを言う必要もない。 もし彼に何も予定がなかったなら、場所を朔夜の部屋に移すことも脳裏に過ったのだが、それもまた必要なくなった。 「ついでに今日の課題も持ってきちゃいました」 「私はほとんど終わらせたので見てあげますよ。効率よくやっていきましょう」 「うわ、もうですか? って実はそう思って期待してたんですけどね」 「だろうと思いましたよ」 はにかむ朔夜に呆れた声を返しながらもその瞳は優しい。 人を当てにしているように聞こえる発言だが、朔夜の場合それは言葉上のものだけで、自分で出来る範囲のことはきちんとすることをトキヤが知っているからこその反応である。 これが音也だったならば、一から十まで当てにされて自分の時間なんてあったのもじゃない。 だがその場合でも丁寧に答えてしまうのがトキヤという人間なのだが。 毎日、という訳ではないが数枚の宿題プリントと課題が被ることがある。 アイドルを目指すからには、さっさとプリントを終わらせ、なるべく課題の方に比重を置きたい。 「これが私が使っている参考書です。要点などが解りやすく載っていますので使い勝手はいいですよ」 「あ、本当だ! なるほど、教科書だけじゃなくってこういうのを使って予習してたのかぁ」 渡された分厚い参考書をパラパラと捲りながら、気になった点に目を留めてはほぅと息を漏らす。 「気に入ったなら差し上げますよ」 「え、でもこれ、今もトキヤくん使ってますよね? チェックや書き込みなんかもしっかりしてるし」 「ほとんど頭には入ってますから大丈夫です。それでもどうしても必要な時は……朔夜に聞けばいいでしょう?」 いつもはあまり見ることのないふわりとした笑みを浮かべるトキヤは、普段の無表情とのギャップゆえに一層魅力的に見える。 しかもその顔はアイドルHAYATOと瓜二つなのだから、普通なら見惚れてしまうなり顔を赤く染めるなりしてもおかしくないのだが、それを受けた朔夜ときたらトキヤ以上に満面の笑みを浮かべるものだから、逆にトキヤの方が見惚れてしまいそうになる。 「それじゃ、いつ聞かれてもいいようにしっかり勉強しないとですねっ」 「……ええ、今度は私が君を当てにさせて頂きますので」 ふふっと顔を見合わせて笑い合う。 何故こんなに心が穏やかになるのか、今までの自分ならけしてありえなかった心情。 だが嫌な気持ちはしない。常に張り詰めている感情が優しいもので包まれて、その中でなら緊張を解いても許されるようなそんな気持ちにさせられる。 「さぁ、さっさと済ませてしまいますよ」 「はいっ」 促されいそいそとプリント類をテーブルの上に広げる朔夜を見つめるトキヤの瞳が、まるで愛しい者を見守る目付きであることを下を向いている朔夜も、何よりトキヤ本人でさえも気付くことはなかった。 |