触れる手、交わす言葉、繋ぐ心

□10月  −一難去って、その後は?−
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「ですが――――、すみません。私はもう、一ノ瀬トキヤとして歌うと決めました。本当に……申し訳ありませんっ」


声を震わせながら、社長さんに深く、深く頭を下げるトキヤくん。両者間の蟠りが消えた今、きっとその決断を再び告げるのは、さっきの何倍も辛いに違いない。


「わかってる。ずっと抑制してきたのは我々だ。今更この事務所でHAYATOではなくお前として歌わせると言ったとしても、お前は満足出来ないだろう?」

「――――はい。一ノ瀬トキヤとして歌いたい、それについては何も変わってはいません。が、私はあそこで、あの学園でかけがえのないものを手に入れました。今は……私自身として仲間と共に歌いたいのです」

「変わったな、HAYATO。HAYATOを演じてるお前でも見ることが出来なかった、熱い瞳をしている。悔しいが今のお前は、あの学園に通わなければなかったのだろうな」


その言葉に力強く頷くトキヤくん。それを見た社長さんもふぅと息をつき、そして柔らかくトキヤくんに笑いかけた。
きっとHAYATOというアイドルを失うことは、この事務所にとって大きな痛手になる。それでも社長さんはそれを認めた。そうすることが何よりトキヤくんのためになるとわかっているから。


「どうやらそっちは穏便にカタがついたようだな。――――で、もちろん朔夜のことに関しても、今後も公表しないでくれるんだろうね?」

「もしも公にするつもりならば……、こちらにも考えがあると伝えておかねばならんな」

「ちょっ、レンくんも真斗くんも何怖いこと言ってるんですかっ?」


とんでもないことを言い出した彼らを振り返る。その表情は冗談を言ってる風でもなく、じっと社長さんを見据えていた。


「持てる切り札を最大限に活用する、ただそれだけのことだよ。デビューしても朔夜が抜けるとなれば、オレにとっては無意味だからね。オレがユニットに賛成した理由をキミも知ってるだろ?」

もちろん知ってる。私と歌いたいからって言ってくれて嬉しかったんだから。でもそれとこれとは話が違う。

彼らはそうさらりと言うけれど、それは彼らの家の力を使うってことでしょう? 特にレンくんに至っては、忌避している財閥の力を借りることになる。レンくんや真斗くんに、私なんかのためにそんなことさせられないし、して欲しくもない。
私自身は社長さんがそんなことするとはもう思わないけれど、それを言ったところでレンくん達が納得するような雰囲気じゃない。なんとか二人に考え直してもらおうと上手い言葉を探すけど、こういう時に限って何も出てこない。


「秋くんにも言ったが過去のことはもちろん性別のことも、これから先、口にすることはない。すべてはHAYATOと組ませるために調べたことだ。その当人がうちを辞めるのだから、もう必要のないことでもあるしな。それに……君達が今後シャイニング事務所に所属するというのなら、あの人を敵に回したくはない。それこそ自分の首を絞める」

「だが今回は動いた。それでは信用出来ん」

「それは君達が未だただの学生にすぎないからだ。すでにこの件に関しては早乙女さんも知っているのだろう? だが動かなかった。それが物語っている。
しかしデビュー後ともなれば話は変わってくる。もし仕掛けなどしたら、我々などあっという間に潰されるよ」


学園長が、人ひとりを完全に芸能界から抹殺出来るほどの力を有するというのは、業界の人間なら誰もが知っていること。その危険を冒してまであえてその行動に踏み切るとは、たしかに考えにくい。


「しかもそこに神宮寺・聖川両財閥が関わってくるかもしれない、ともなれば余計に動くことは出来ん。うちのスポンサーには関連企業もいることだしな。それを知っていたからこそ、君達もHAYATOと一緒にここへ来た、と私は思っているのだがね」

「たしかに……。オレ達の行動はすべてお見通しのようだぜ、聖川」

「彼の言葉に嘘は見当たらん。理由にも納得がいく。……俺達が動くまでもなかったようだな」

「ああ。もっとも、オレ達が考えたこととはちょっと違うみたいだけどね」

あれ。社長さんの会話と今までの流れからして、てっきりスポンサーを降りるとか、そういう方向に持っていって脅すつもりなのかと思ったんだけど、どうやら違う……のかな?

ニヤリと人の悪い笑みを浮かべながら、こちらに向かってパチリとウインクするレンくん。


「最初はそう思ったよ。でも状況が変わった。そしてもし次に動くとしたら、それはHAYATOが抜けたことによって、事務所がどうにも立ち行かなくなった時だ」

「しかし潤沢な資金源があればそれも回避出来る。だから融資額を増やそうと、な」


彼ら二人はここで一切会話をしていない。それまでに財閥の力を持って、経済的に介入しようと決めていたにしても、ここに来て状況が変わった。それなのに、その後の対策まで同じ考えを導き出し、相手も同じ考えを持っていることを確認せずとも理解している。
普段からライバルだなんだと文句を言ってる割には、本当に……なんて似た者同士なんだろう。実は二人が提携したら、すごいことになるんじゃないだろうか。


「くっ、ははははは! いやまったく末恐ろしいな。圧制や弾圧は反感を買うが、逆ならば……ふふ、なるほどな。だがその方法では、それをネタに甘い蜜を吸われていることになるんじゃないのかね? 足元を見られてもっと要求されたらどうする?」

「飴と鞭は使いようってね。その辺のことは弁えてるつもりだよ」

「今までの言葉から事務所を、そして所属するタレントに対する深い情を感じた。それに本当にそうするつもりならば、黙ってこの話を受ければいいだけのこと。なのにそうしなかったことにすべての答えはある。もっともその場合は別の手を打たせてもらうつもりだったが」


それはつまり、彼らも社長さんを信じたってこと。


「ふっ、さすがにこの国を支える財閥のご子息だ。降参だよ。まぁ、もとから話す気などないのに、そんな話を受ける気は毛頭なかったがな。いくら弱小事務所とはいえど、まだまだやれることはたくさんある。たとえHAYATOが抜けたにしても、私を信じてこの事務所に入ってくれたタレント達は大勢いるわけだしな。
これからは……お前のように苦しむ者が出ないように、まずはもっと意思の疎通を図ることにしよう」


トキヤくんの才能をいち早く見出し、そして人気のアイドルへと育て上げた事務所。もともとが深い愛情ゆえの行き過ぎた行いだったんだから、その考えを改め直した今、これからは事務所とタレントの繋がりの強い、素晴らしい人達を輩出してくるに違いない。


「トキヤくんにやっぱり事務所を辞めるんじゃなかった。なんて後悔させないためにも、絶対デビューしてみせますよ」

「期待している」
「今までお世話になりました……と言いたいところですが、今年度いっぱいは仕事も入ってますので、それまでよろしくお願いします」

「ああ、すべての仕事が終了した時、お前のことを皆に報告しよう」

「はい」


晴れ晴れとした顔で、トキヤくんと社長さんが固く握手を交わす。これでなんの憂いもなく、トキヤくんは新しい一歩を踏み出せるんだ。


「帰りましょう、学園へ」


トキヤくんだけじゃなく、HAYATOを手放した社長さんに安心してもらうためにも、まずはこれから行われる学園祭を成功させて、その勢いのまま優勝を目指そう。


「秋くん」

「はい」

「HAYATOを……いや、トキヤをよろしく頼む」

「もちろんですっ」










実はこの後ももう少しあるのですが、今回も長くて半分ずつではおさまりきりませんでした。なので次回更新時にアップを回させていただきます。

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