「喉の調子悪いみたいですね。時間まで休めておいた方がいいですよ」 こうやって私達以外誰もいないところでも彼はまだ私をHAYATOとして扱う。知っていても尚、彼は自分からその秘密を言うことはなく。 きっと私のことを思ってのことなのでしょうが、彼が、私を……トキヤの存在を否定しているような気がして……。 「お忙しいみたいですから、疲れも出たんでしょうね。人気も出てくると楽しいばかりじゃいられないでしょうし」 「やめてください、君は……もう気付いているんでしょう……」 もう、黙ってなんていられない。 「これ以上君の前ではHAYATOを演じられない。自分を偽っていたくない。君まで、私を否定して欲しくない…」 「否定なんてしませんよ。トキヤくんはトキヤくんです。どんなトキヤくんだってトキヤくんでしょう?」 「違うっ、HAYATOは私ではないっ!」 私とはまるで正反対のキャラクター、作られた存在がHAYATO。ですが、今のこの業界では私の存在こそが偽りでしかない。 初めのうちは良かった。HAYATOのオーディションも自分の意思で受けたものですから、当然やる気はありました。 しかしそれがきっかけで引き抜かれた事務所ではプライベートでまでHAYATOを強要される。 一ノ瀬トキヤの演じるHAYATOというのであれば、ここまで人気が出たことにむしろ喜びを感じたでしょうに。 常に偽りの自分を演じ続けなくてはいけないことは、私には苦痛でしかなかった。HAYATOは相当の精神力を使わなければ私には演じきれない。底抜けに明るく、いつでも前向き。そんなキャラクターを演じるには自分の全てを一旦沈めなくては出来ない。 私は常に殻を被り続け、あんなに憧れていた歌や演技の世界で閉塞感しか感じなくなりました。 どれだけ歌を歌いたくとも付け焼刃程度にしか練習させてもらえず、いえ、練習出来るのはまだ良い方で、その場で楽譜を渡され、短時間で覚えてすぐにレコーディングというパターンが増えてきた。 HAYATOというネームバリューだけで売り、歌そのものはなんだっていい。事務所のそういう方針が私を更に苦しめた。 もともとHAYATOは番組のプロジェクトとして生まれた存在。その性格さえも事細かに設定された仮想アイドル。 そのはずなのにこの学園で会った音也を見て、本物のHAYATOがここにいると思った。 私が必死で作り上げたキャラクターの性格そのものである彼。その存在に驚愕と嫉妬を覚えた。どんなに頑張っても私のHAYATOは本物にはならない。 私が自分の神経をすり減らして演じているそれを、彼は素のままで表現出来る。 「でも今は音也くん、そんなに嫌いじゃないですよね?」 「こっちがいくら邪険に扱おうとめげずに向かってくる。いい加減呆れました」 密かにライバル視しているこちらの気持ちなんて知らないで、懐いた犬のように寄ってくる。ずかずかと私の懐に踏み込んで傷つくことを怖れもしない。いつのまにか私が絆されていた。 もちろん今でもライバルだというのに変わりはない。だが朔夜という人物を繋いで私達は同志という存在になった。 「学園に入るように勧めてくれたのは早乙女さんです。彼は私が幼少の時、親子として映画で共演したことがあるのです。 満足に歌うことの出来なくなった私に救いの手を差し伸べてくれた。けれど芸能界は、早乙女さんは甘くはありません。私の実力で事務所へと入らなければ、結局は私はHAYATOという枠から抜け出せない。 けれどこの学園でそれを勝ち取るためには歌が必要不可欠。偽りの自分を演じさせられ、HAYATOとして歌うことを強要されていくうちに、私はいつのまにか歌うことの楽しさを忘れていきました。だからこそ日向さんにも魂がないと言われたんでしょうね。 限られた時間で歌うには正確さだけが必要だと、それだけを追い求めるようになって……」 そんな私の心を震わせた朔夜の歌。凍りついた魂をその歌声と素直な性格で溶かした。きっと彼の歌を初めて聞いたあの瞬間から、惹かれていた。 だからあのテストの時、早乙女さんに言われるまでもなく、一緒に歌いたいと思った。アイドルになる気がないと言い切ったレンの心までも動かした彼の歌声に、何も感じないはずがなかった。 どこか掴み所のない性格。言葉に表すと音也と同じような性格をしているのですが(明るいとか前向きとか、天然、なんてところもそうでしょうかね)、実際に彼に触れたものは惹かれずにはいられない。そんな雰囲気を持っていました。 他人を易々と信用することが出来なくなった私の心をあっさりと越えてきて、いつのまにか暖かい火を灯した。 「HAYATOのことがある限り、私はユニットへ参加するべきじゃないと思いました。しかしどうしても諦め切れなかった。君は私の心を歌わせてくれる。私がまだ一ノ瀬トキヤ自身の意思で歌っていた時の様に、君の隣でなら、それが出来る気がするんです」 アイドルHAYATOは事務所の意向で『歌わされて』いた。けれど朔夜の傍でなら、私は自分の意思で私の歌を歌うことが出来る。 「例え作られたキャラクターだとしても、その根底にはトキヤくんがいます。性格まで細かく設定されていたとしても、実際には『HAYATOならどうするか』を『トキヤくん』が考え行動してる。だからHAYATOの強さも弱さも、優しさも前向きさも、元々はトキヤくんの中にあるものだと僕は思うんです。 だってあなたは努力することを知っている人ですし、そういうところがHAYATOの負けん気にも繋がってるんじゃないでしょうか」 HAYATOの根底に私が……ですか。それは考えたこともありませんでした。私は私でありHAYATOは私ではない。お互いに必要としていなく、分かり合えないもの。どこまでいっても平行線で交じり合うことはない。 「僕ではトキヤくんの苦しみをわかってはあげられませんが、これだけは言えます。 HAYATOはトキヤくんなくしては有り得なかったと思います。他の誰が演じたとしても彼がここまでの人気を得ることはなかったと。トキヤくんだからこそ、HAYATOはHAYATOで在り続けられたんです」 「朔夜……」 全てを許容出来るにはまだ時間がかかりそうですが、彼の言葉のひとつひとつが何重にも張り巡らされた強固な柵をひとつ、またひとつ取り除いていってくれているように思う。 『私だからこそHAYATOがHAYATOで在り続けられる』 どれだけ人気を得ようとHAYATOはHAYATOでしかないと思っていたのに、彼は一ノ瀬トキヤをちゃんと見てくれている。 「でも僕ならトキヤくんとHAYATOのギャップも捨てがたいと思うんですけどねー? もったいない」 「……君は……本当に……不思議な人だ」 「この学園に入ってからそれ、よく言われるんですけどなんでですかね?」 真面目な話をしていたはずなのに、こうやって緊張で今にも切れそうになっている張り詰めた糸を、絶妙なタイミングで自然に緩める。それを無意識でやっているのですから、不思議以外の何者でもないでしょうに。 「もし君が、私がこの世界に入った時から傍にいたら……少しは楽だったのかもしれませんね」 自分の存在をしっかりと認めてくれる人がひとりでもいれば、こうまでして思い悩むことはなかったのかもしれない。 「ユニット、頑張りましょうね」 「………ええ」 「でもまずはその前に、HAYATOの新曲ですけどね〜」 朔夜に全てを打ち明ける前とは違った気持ちであの歌も歌えそうです。 「……僕だけトキヤくんの秘密を知っちゃったのは公平じゃないですね」 「それはどういう……?」 含みのある言い方の朔夜に首を傾げる。 「僕もトキヤくんに黙っていたことがあるんです」 「どういうことですか」 「HAYATOさーん、そろそろ時間でーす」 問い質そうとしたところでノック音が響き、扉の向こう側からHAYATOを呼ぶADの声がする。まったく……大事な話の最中だというのに。 「行きましょう、HAYATOさん」 まるで何もなかったかのようにすっと立ち上がり、扉に向かう朔夜を慌てて追う。こちらを気にせずさっと扉を開け、外にいたADによろしくお願いしますと軽く頭を下げる朔夜を見て、先程の発言は冗談だったのかと思ったところで手招きをされる。 「どうしたの朔夜くん?」 スタッフがここにいる状態では楽屋の中のようには振る舞えない。いえ、部屋から一歩でも出れば私はHAYATOにならなければならない。 私が楽屋から出てきたのを確認すると、そのスタッフも私にお辞儀をしてスタジオへと戻っていく。 そちらに気を取られていたらすっと朔夜の気配が近付き、耳元で囁いた。 「!!!!!」 「嘘じゃないですよ。詳しいことはまたあとで」 そう言って、まるで悪戯が成功した子供のような表情を浮かべ、呆然としている私を残して朔夜もスタジオへと向かっていく。 こんなことを聞かされて、果たして私は冷静にHAYATOを演じることが出来るのでしょうか……。 『実は僕、本当は女なんです』 「まったく早乙女さんは何を考えてるんですかね…」 「僕にもさっぱりわかりません」 「……それで、他にも知ってる方はいるのですか?」 「えっと、ユニットの方達はほとんどですかね。七海さんと音也くんはまだです」 「そうですか………(何故私は音也が知らないと知ってホッとしているんでしょう。これは……優越感?)」 今回はトキヤくん決着?編です。朔夜ちゃんは彼には自ら話しました。初、ですね。 トキヤに関してはゲームをしている時からいろいろ思うことはあったのですが、いざ書いてみると、うまく書けない;もっと楽になってもいいんだよって。 書いてて分からなくなってきたけど、多分そんなこと思ったのかな← |