まだ日が昇らないうちに目を覚ます。もちろんそうするつもりだったからなんら問題はない。用意をする前に喉の調子も整えておかなくちゃいけないから。 こういう時に完全防音の部屋はありがたいよね。周りを気にすることなく音を立てられるんだもん。 一旦お風呂で身体を温める。寝起きではさすがに声も嗄れ嗄れだ。 上がった後に軽くストレッチをして発声練習、それから今日の歌を歌ってみる。 一緒に歌うことになっているとは言っても、リハーサルも打ち合わせも何もない状態だから、とりあえずはメロに合わせて歌うのとハモリの部分の音取り。 音源はHAYATOの歌声(たぶんこれがCDに焼かれるんだろう)が入っていて、この曲でHAYATOがどういう歌い方をするのかはわかる。 歌うのはHAYATOにドッキリをした後、おはやっほーのコーナーが終わって番組の後半だから、その間にでもどういう風にするのか打ち合わせ出来るかな。 ひと通り喉を慣らしたところで、シャワーをもう一度浴びてさっぱりしてから出かける用意をする。 服装とかはそのまま私服でもいいし、制服を着てもいい。なんだったら用意もしておくからと言われているけど、ここはやっぱり私服かな。制服でもいいんだけど、今回は学園側からの要請じゃないし。 指定された時刻丁度に迎えの方が来てくれて、そのままテレビ局まで直行。このくらいの時間だと車はすぐにテレビ局へと到着する。 デビューもしていない私なのに、すごく良い待遇をしてもらっていてなんだか逆に申し訳なくなってくる。これもすべては学園長のネームバリューがあるからこそだよね。いつかきっと、自分の力で手に入れないと。 HAYATOに見つからないようにとスタジオから一番遠くの楽屋へと案内され、そこで本番までは過ごすことになる。 HAYATOの入り時間を考慮して、それより早く楽屋入りしてるからまだまだ時間はたっぷりある。 初めての楽屋に興味津々なわけなんだけど、まさかこんなちゃんとした楽屋をもらえるなんて思ってもみなかった。 きょろきょろと見回すと用意しておくと言った衣装が目に入る。けど……これ、HAYATOがコンサートとかで着るような王子様ルックというか、そういうやつとお揃いみたいな感じだよね。 んと……やっぱり私服でいいな。 時間が進むたび緊張でドキドキとはするんだけど、楽しみでもあるからそれとは違う胸の高鳴りがある。こういう時間はわりと好き。 生で反応が返ってくるステージなんかとは違うけど、体験したことのない新しいことにチャレンジ出来るのがすごく楽しみで仕方ない。番組の撮影は以前もやったけれど、スタジオでやるそれはきっと全然違うに違いない。 『お〜はやっほ〜! 全国一千万のHAYATOファンのみんなぁ、元気かにゃ〜?』 本番が始まるギリギリまでHAYATOの曲を聞いてイメージを高めてから、番組放送が始まる直前に部屋に設置されていたテレビをつけておいたんだけど、そこから定刻通りにおなじみの挨拶と共にHAYATOが喋りだす。 だけど……ほんの少しだけど喋りのトーンが低い、かな。でも普通に聞いてれば気付かない程度。 「秋く〜ん、そろそろスタジオに移動しておこうか〜」 しばらく放送が進んでから軽いノックの後すぐに扉が開いて、寮まで迎えに来てくれたADさんと同じ人が顔を覗かせた。 本番に入ってしまえばHAYATOの意識はカメラや指示を出すスタッフさんに集中するから、スタジオの後ろの方でスタッフさん達に紛れて、私の出番まで見学させてもらえることになっていた。 前は自分の出番と移動でゆっくり見ることが出来なかったんだけど、改めてこうやって番組を見ると、本当にいろんな方達の協力があって作られているんだなぁと実感する。 歌う私達が作曲家や作詞家がいないと歌えないように、表には直接出ることはないけれど、ひとつの番組を作るために何十人という人達が関わっているんだ。 すべては一人でやっているわけではない。そう思うととても感慨深く思える。 「今日はぁ、実はすっ…………ごいビッグニュ〜ス! があるんだよっ!!」 お、どうやらそろそろ出番みたい、HAYATOが発表の前フリに入ってる。それと同時に脇に付いてくれていたスタッフさんから移動するように声を掛けられる。 ギリギリまでは見つからない様にスタッフの影に隠れながら。 本来は子供向けの番組なんだけど、HAYATOのファンであれば大概見ているからここで新曲発表しても十分に効果はある。 彼は常にカメラの向こうの視聴者を意識した話し方をするから、見ている側も会話をしているような気分にさせられるんだよね。それはファンにとってとても嬉しいこと。全てのファンがコンサートなどでHAYATOに直接会えるわけじゃないから、こういう直接的じゃなくても擬似的に触れ合えることで、さらに彼のファンは喜ぶんじゃないかな。 前の時も思ったけど、こうした第一線で活躍するアイドルを直で見ることはものすごい勉強になる。特に生放送などは舞台と一緒で生ものだから、刻一刻と状況が変化する場合がある。 ……おはやっほーに関して言うならば、生の上、台本に進行は書いてあってもセリフやその時の行動はすべてHAYATO任せだ。それを全て自分の頭の中で組み立て、時間枠内に収める彼は本当にすごい。 ひっぱって視聴者の注意をひきつけてからいざ発表! というまさにその時、カメラ脇にいたADさんがカンペをHAYATOに見せる。 差し出されたそれを見て、一瞬思考が停止する。こんな話は聞いていません。 「むむ、スタッフからの緊急情報! なんとこのスタジオにゲストが来てくれているんだってっ。僕も今初めて聞いたからびっくりだにゃ〜っ。一体誰なんだろうねぇ?」 HAYATOなら、こういう反応をする。ここに私の思考は必要ない。必要とされていない。常にHAYATOとして思考し、行動する。 だけど最近、それがますます苦痛になってきた。 私を見てくれる人が出来たから、私の歌が歌えるようになったから、歌に……心を込める意味を教えてもらったから。 彼と出会い、関わることで私は変わった。だからこそ余計にHAYATOでいることが辛くなった。偽りの自分をこれ以上演じていることが……。 「え……」 スタジオ内を見回すと、そこにいるはずのない人物が見えた。 「朔夜……」 思わず口に出てしまった名前は小さすぎてマイクには拾われなかったようですが、こちらを見ていた朔夜には口の動きでわかってしまったようで、にこりと微笑まれた。 (ああ。たぶん彼はもう私のことを知っているのかもしれません) 失言をしてしまったこともありますし、聡い彼のことならたぶんではなくきっと。 「わわ、朔夜くん!? え、えっ、どうしてここにぃっ!?」 彼の前でHAYATOを演じていなくてはいけないことに、ますます苦痛を感じる。これが本番中でなければ、私は彼に全てを打ち明けていたかもしれません。 「HAYATOさんにドッキリを仕掛けるということで、内緒でスタッフさんに呼ばれたんですよ」 ああ、そう言えば以前の撮影の時、プロデューサーが彼のことを気に入っていましたっけね。それに視聴者の反響も大きかった。それを考えれば読めたことかも知れませんが、まさかこのタイミングで来るなんて思いもしませんでした。 ふと視界の脇に指示のためのカンペが見える。 「ああっと、いけないいけない」 私としたことが彼の出現に気を取られてすっかり忘れていました。 「みんなは覚えているかにゃ〜? 前に早乙女学園ってところに行った時に、ボクのアシスタントを務めてくれた生徒さんの一人、朔夜くんだよっ。ふふ、きっとテレビの前のみんなは知ってるよね〜? みんながまた見たい〜って、たぁ〜っくさんお便りくれたから、その声に応えてこうして来てくれたみたいだよっ」 「今更ですがおはようございます。お話を頂いた時はすごく嬉しかったです、みなさんありがとうございます。こうしてスタジオに来れて本当に光栄です」 そう言ってカメラに向かって挨拶をする朔夜は堂々としていて、浮かべる表情もすでにアイドルとして申し分ない。 六月のあの日、私は彼と仕事をすることで、少しは辛く感じてきていたこの仕事も、楽しく思うことが出来るのではないかと思ってしまい、つい彼の名前を指名してしまった。 その思いは間違っておらず、彼と共に一緒に歌えたあの時、この仕事を始めた時の楽しさを思い出せた気がしました。 朔夜が今日こうして来たということは、きっと新曲を一緒に歌うことになるのでしょう。彼と一緒に歌える、そう思うと自然と気持ちが高揚する。けれど出来ればHAYATOとしてではなく、一ノ瀬トキヤとして彼とは歌いたい。 「実は新曲の発売が決定したことを伝えてみんなを驚かせようと思ったんだけど、ボクが逆に驚かされちゃったにゃ。んもうっ、聞いてなかったぞっ、スタッフ!」 「それが狙いでしたから大成功ですね」 「まんまと騙されちゃったにゃぁ。 それじゃ〜、ボクももういっこみんなをびっくりさせることを言っちゃおっと!普段ならボクのコーナーはそろそろ終わりなんだけど、番組の後半でその新曲、テレビ初披露しちゃうにゃっ!! 朔夜くんも一緒に歌ってくれちゃうみたいだし、チャンネルはそのままで、ボクの新曲聞き逃さないようにね〜っ」 番組内のワンコーナーとして始まったおはやっほーですが、人気が出ると共にその枠も拡大されてきました。 学園に行った時はスペシャル企画としてその番組枠を全部使ったのですが、反響はかなり良かったようです。 今回もそれに便乗した形で、後半に歌うことによって番組自体の視聴率維持を狙っているということですね。 コーナーが切り替わりこちらは一旦解散。次にここが動き出すのは歌う時。 「お疲れ様です、HAYATOさん」 「うん、お疲れ様〜。ちょっといいかにゃ、朔夜くん」 気付いているなら話しておきたい。姿はHAYATOでも、私と歌っているのだと知っていてもらいたい。 歌の打ち合わせのために朔夜を借りると言えばスタッフも付いてくることはありません。普段から私の楽屋にはスタッフは近付かないことになっていますしね。 見学に来ている人達に向けてHAYATOらしく挨拶をし、足早に楽屋へと向かう。 こうしている間に朔夜は一言も話さなかった。私がこれから何をしようと、話そうとしているのかそのすべてをわかっているのでしょう。 |