触れる手、交わす言葉、繋ぐ心

□7月  -ハプニング-
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私自身はとっくに昔のこととして良い思い出にはなっているんだけど、心優しい彼らはきっと話せば気を遣ってしまう。だから自分の身の上は聞かれない限り話さなかった部分もある。さすがに両親がいないあげくにたらい回しにされたなんて、聞いていて気分の良い話じゃないだろうしね。

私が家を出てからは、それはもう奇跡だか喜劇だかわからないくらい、とんとん拍子に落ち着くとこに落ち着けて、しかも今こうしてやりたいことをやれているのだから、どちらかと言えば恵まれてるんじゃないかと思うし、私自身は幸せだと思っている。

常に抜け出せない迷路に入り込んでしまったような、冷たい穴倉に閉じ込められてしまったような、誰とも接することなく過ごした、家を出る前の私の方がむしろ不幸だったと言えよう。

事前に掻い摘んでそんな話でも良ければ話しますよと告げると、彼らは一瞬押し黙ったけれど全員が同意した。

音也くんに話した時と同じように細かいところは省いてさっくり話すと、あまりにもさらりとしすぎていたためか、逆に呆気に取られたような顔をしてた。

何のあてもなく家を飛び出し街を彷徨った挙句、家に戻るのではなく頼み込んで居候という無謀な行動に呆れて言葉が出てこない、そんな感じかな。

そして話が私の居候場所に至ると、なんだか意外な方向で話が盛り上がってしまった。いや、意外でもないのかな。


「それじゃサクちゃんは毎晩、いろいろな音楽聞いていたんですねぇ」

「生の音楽を聞いて育ったのか。耳が肥えるはずだな」

「育った、と言ってもたった数年ですけどね」

「もともと音楽センスがあったと言うことでしょう。しかし、堅実だと思っていたんですが、意外と無茶をするのですね」

「堅実だったらアイドルなんて目指してませんよ」

「ははは、確かにアッキーの言う通りだ」


音楽に関しては下地が何もなかったからかなり苦労はした。まず鼻歌や普段口ずさむものなんかと発声の仕方からして違うんだから。それを教えてもらうにもそれまでの生活で体力も筋力も落ちていたから、まずは基礎体力作りから始めなきゃいけなかったほどだ。

背ばっかり伸びてたんだよね…。

別に強要されたわけではなく自分で進んでしていたことだったから、そういうひとつひとつもすごく楽しくて仕方なかった。

そして一度すべてを失くした私が、そこで自分の物だと言いきれる物を手に入れた。それが歌。


「ピアノは? やっぱりそこで教えてもらったのか?」

「ええ。ピアニストの方とかもいらっしゃってましたから、曲を作る時に楽器は弾けた方がいいからって言われまして、それだけは本格的に教えてもらいましたね。周りの方達が面白がって他にもいろいろやらされましたけど」

「え、じゃあギターとかも弾けちゃうの?」

「人並みくらいに、でしょうか。上手いとは言い難い程度のものですよ」


ギターやベース、ドラムなどバンドで使うようなものはひと通り教えてもらったけど、一番心惹かれたのはピアノの音色だった。楽器は相性があると思うから、私に合っていたのはピアノだったてことだ。


「ね、アッキー。例えばだけど、オレ達がそこに出ることは可能かい?」

「え? あ、はい。ほぼ身内で潤っているようなところですけど、基本はどなたでも出れますね。条件さえクリアすればですが…でも、」


レンくんが突然そんなことを言い出した。

あの店のお客から出演者までそのほとんどが常連ではあるが、もちろん出たいと言う人があれば誰でも受け付けてはいる。演者が常連になってしまっているのは、なかなかあの人の眼鏡にかなう人達がいないせいだからだ。

私がいた頃もすごい数の希望者が来ていたけれど、その中から新しくステージに上がれたのは、月に十組もいないかもしれない。

あそこで働くようになって一番に驚いたのは、その異様な認知度の高さだ。プロアマ問わず月に何十組ものステージ希望が来ていたのだから。

だからステージに出るためには、あの人に曲を聞いてもらって気に入ってもらわなければならないんだけど、その辺は心配ないと思う。
七海さんの曲はここにいるみんな、そしてプロである日向先生、月宮先生も認めているのだから。でも肝心な問題はそこじゃなくって…。


「それ、すっげーいいじゃん!」


私がその問題を言う前に、音也くんが瞳をキラキラと輝かせてガタッと立ち上がり、テーブルに身を乗り出してくる。


「楽しそうだし、夏休みの予定に入れちゃおうよっ」

「観客の反応が目の当たりに出来るとなれば勉強になるだろうな」


左手を顎に当ててふむ、と考え込む真斗くん。見てくれる人がいるというのはたしかに勉強になるとは思う。自分達だけではどうしても見えないところを客観的に見てもらえ、しかも誰ひとり私達を知らない中ともなれば、よりシビアな反応があるだろう。

それに舞台度胸をつけるというのはこれから先のためにもなるとは思う。でもみんなあんまり緊張とかしなさそうなタイプだから、舞台度胸よりも経験を積むという意味で実践出来るならばしたいところではある。







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