「朔夜、助けてくれ!!」 部屋でくつろいでいると、ノックもせずに翔くんが飛び込んできた。どこから走ってきたのかは知らないが額には大粒の汗。何か恐ろしいものでも見たかのように顔を真っ青にしている。 「どうかしましたか?」 あまりの慌てようにただごとではない雰囲気を感じたので、私もすぐに彼へと駆け寄った。 「お前ならなんとか出来る! とにかく一緒に来てくれっ」 尋ねはしたものの翔くんは答える間も惜しいとばかりに私の手を取り、部屋から連れ出された。ああ、無人なのに部屋に鍵……。 こちらを気遣う余裕もないくらいに全速力で走られ、時折転びそうになりながらもやっと一息つけたのは彼の部屋の前。そのまま部屋に入るのかと思ったのにピタリと動きを止めてしまった。 「入らないんですか?」 「ま、待てっ。心の準備が……」 怯えた顔で小さく深呼吸を繰り返す。何故部屋に入るのに心の準備が必要なのかはわからないが、とりあえず翔くんが落ち着くのを待つ。 だが彼が扉を開ける決心がつく前に不意にそこが開き、ぬっと伸びてきた腕に掴まれ、私は部屋の中に引っ張り込まれてしまった。開けられた隙間から私を滑り込ませると、「ああ!?」と翔くんが叫んでいるのにも気にせず、バタリと閉じる。 「よお、久しぶりだな」 驚きの声を上げることも出来ず、何か温かいものに顔が突っ込んだと思ったら、頭上から声が降ってきた。 この部屋にいる人物といえば、ここまで一緒に来た翔くんを除けば一人しかいない。だけどこれは……彼の声ではない。 「さ…砂月くん?」 下から顔を覗き込めば眼鏡のない那月くん…砂月くんがこちらを見下ろして笑っていた。 「チビが叫んで出て行ったかと思えば、お前を連れてくるなんてな。わざわざ会いに行く手間が省けて好都合だ」 「僕に会いにくる予定だったんですか?」 「言っただろ。俺が出てきた時は遊べって」 たしかに、前回砂月くんと会った時(といってもそれが初対面だったけど)に言われた。 それから那月くんは砂月くんに変わることもなかったので、このまま何事もなく過ぎるのだと思ってたけど、そうはいかなかったらしい。 「あの、翔くん締め出しちゃってますけど、いいんですか?」 「俺から逃げたんだから構わないだろう」 「よくねーよ! 開けやがれ、砂月っ!!」 ドアの前での会話は外にもしっかり聞こえていたらしい。 鍵を掛けたわけではないけれど、私を掴んでいる手とは逆側の手で未だにドアノブを掴んでる砂月くん。 そういえば彼はものすごい馬鹿力なんだと誰かが言っていたっけ。普通に考えれば、それだけじゃ外から開きそうなものなのにピクリともしていない。 ノブを引っ張るガチャガチャと言う音と、ドアを叩く音に眉根を寄せた砂月くんは、小さく舌打ちをしてからタイミングを見計らってノブから手を離した。 「ぬぉお、……っ!??」 突如軽くなったドアに思いっきり力を込めて引っ張っていた翔くんが、呻いたと同時に鈍い音が聞こえた。砂月くんの影から顔を覗かせてみれば、両手で額を押さえて蹲る翔くんが。 今のでぶつけちゃったんだね……勢いよかったし、すごく痛そう。 「だ、大丈夫ですか?」 「っく、……ぉ、おう……」 砂月くんもその様子を見てたけど、ふんっと鼻で笑って部屋の奥へと入って行っちゃった。それもそのはず、こうなるように仕向けたんだもんね…。 痛みが治まるまでその体勢のまま悶えていたが、開きっ放しのドアから見える砂月くんをキッと睨む。が、相手はこちらを見ておらずベッドの上で雑誌を広げている。 もし見ていたとしても額が真っ赤な上、目尻に涙を浮かべてる翔くんの状態では威力も半減。どころか大変可愛く見える。 「助けって、砂月くんのことだったんですか」 「ああ、最近おかしいんだよ。しばらく様子見てたんだけどもうダメだ、俺が耐えらんねー!」 バッと立ち上がり天を向いて叫んだ。だがその瞬間、砂月くんの鋭い眼光が翔君を睨む。ヒィッ、と怯えて私の背後に隠れる翔くん。これはこれで、なんか普段の那月くんを前にした彼の対応と変わらないような…。 聞きたいこともあるので、部屋に入って話をしようと翔くんを促す。自分の部屋に入るのにも恐る恐るだなんて滑稽だ。とりあえず怖がる翔くんをイスに座らせ、キッチンを借りて飲み物を淹れる。 すると今まで興味もないと雑誌を読んでいた砂月くんが、短く「俺はコーヒー」と伝えてきた。人格が違えば食の好みも変わるんだなと、ふと思った。だって那月くんはコーヒーより紅茶を好んで飲むから。 「それで、何がおかしいんですか?」 コトリとカップをテーブルに並べながら翔くんに問う。 砂月くんはベッドから離れる素振りをまったく見せなかったので、仕方なくサイドテーブルにコーヒーを置く。溢したらシーツとか大変そうなのに。まぁ、そんなヘマするわけもないか。 翔くんはおかしいと言ったけど、私の目には那月くんはいつも通りに思えた。それはテスト前もテスト後も変わらず、いつだって翔くんを構い倒し、それから私にも過剰なほどのスキンシップをくれる。 にっこりと春の陽だまりのような笑顔には、どこにもおかしいところはなかったはずだ。それに今こうして寛いでいる砂月くんからも切迫したものは感じない。 「あー、朔夜の前では変わってなかった気がするな。なんかしょっちゅう砂月に変わることがあってさ。Aクラスも大変らしいぜ? 大抵は暴れもせずに元に戻るって話だけど」 砂月くんが出るのは、那月くんの精神が耐え切れなくなった時。何かがあって、その何かから那月くんを守るために彼が出てくるはずなんだけど、那月くんからは不安を抱えているような素振りは見れなかった。 「砂月くんは原因わかりますか?」 「さあ?」 にやりと意地の悪い笑みを浮かべて、真面目に答えようとはしてくれない。 彼が那月くんのことをわからないはずがない。 知っていても教えてくれないとなると、自分で考えろってことかな。 だけどプール以来、こうやって変わったのを見たのは今日が初めてだし、その瞬間に立ち会ってもないので推測するにしても難しい。 「うーん、那月くんと話してみないことにはなんとも言えませんね」 「とにかく俺は、お前がいてくれれば砂月がおとなしいから助かる」 「おいチビ、聞こえてるぞ」 雑誌を閉じてカップを持ちこちらに移動してきた砂月くんを見て、翔くんがイスを引きずって後ろへ下がる。そこまで怖がらなくても、あの時のような威圧感なんてまったく感じないのに。 この部屋にはイスが二脚しかないから、砂月くんに席を譲るため立とうとしたら押し止められて、すぐ脇で床に敷かれた絨毯に座り、私の膝(というより腿になるのか)の上に腕を置きそこに顔を乗っけた。 そのまま私の顔を見上げてくるのを見て、なんだろう。初めての時も猛獣を手懐けたと思ったけど、今は気まぐれな猫が懐いてる感じだ。 |