触れる手、交わす言葉、繋ぐ心

□6月  -アイドルのお仕事-
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僅かに空気が湿り気を帯びてきたこの時期、最初の大きな難関となるだろう課題が発表された。

メロディラインのみの曲を渡されたのだが、それを作曲コースは編曲し提出。アイドルコースは歌詞をつけ、七月に行われるレコーディングテストで歌うことになる。

作曲コースの者はそのテスト三週間前までに曲を作り上げ、アイドルコースの者はその後の三週間で曲を選び歌詞をつけテストに臨む。厳密に言えば、一週間で提出された全曲の中から一曲を選ばなくてはならないらしいのでかなり厳しい。

曲の提出期限の翌日からPCにアップロードされ、それを聞いて自分が歌いたいと思う曲を選ぶ。それだけでもかなりの時間を消費しそうだ。ただ私の場合、歌いたい曲を作りそうな子の目星はついてるから、その点では心配要らない。彼女ならきっといい曲に仕上げてくるだろう。

そして残りの二週間で歌詞を作り歌い上げる。課題曲のメロディーは個人的にかなり気に入った。編曲次第ではものすごくかっこいい曲になりそう。ちょっと編曲してみたい気になるけど、いくら本格的に取り掛かるのがまだ先とはいえ、初めてのことでどうなるかわかんないから我慢しよう。



作曲コースの子はもうすでに課題に取り掛かっているから忙しいみたいだけど、アイドルコースは曲が仕上がるまでやることなしってわけだ。

出来ることと言えばメロディーから歌詞をなんとなく考えること。ただアレンジひとつで曲の雰囲気は変わるから、折角作ったとしても曲のイメージに合わなくて無駄になるかもしれない。そういうところもきっと評価に入っているだろうしね。

けれどその曲で使えなくてもいつか使えるフレーズが出てくるかもしれないと考えると、無駄なようで無駄じゃなかったりもする。

というわけで、歌詞のインスピレーションを得るため、私は街に散策に来ていたりする。

フレーズというのはどこに落ちているかわからない。それは綺麗な風景を見た時だったり、素敵な恋をした時だったり、おいしいものを食べた時だったりと人様々だと思う。
日々の何気ない生活の中から湧き出てくるそれらはきっと、いろんな人に共感してもらえるものを生み出す可能性がある。
というのは私の持論。こうした雑踏の中からだってメロディーや言葉は降ってくる。

意識しすぎたら出てくるものも出てこないけどね。なのでこの外出も歌詞を考えるため一割、遊び九割というところ。

そんな感じで私はただふらふらとウィンドウショッピングを楽しんでたんだけど、何やら遠くで歓声が上がるのが聞こえた。

都心の方に出てくると、芸能人なんかがその辺でイベントしてたりお忍びで来てたり、または収録帰りだったりで稀に歩いてたりするから、きっとその類なんだろう。

基本的には私は人込みがあまり得意じゃないから、声がだんだんこちらに近付いて来るのを感じて、近くの人通りの少ない路地に入ることにした。
そこからさらに入り込むと人気はまったくなくなる。初めてこの辺りを通った時に人酔いをしてしてしまい、今回と同じように人込みから離れようとして路地に入ったことがあり、なんとなく詳しくなった。

複雑に入り組んでるように思えるが、慣れてしまえばかなり使える抜け道だったりする。

それにしても人込みが嫌いって、アイドルになるのに致命傷だったりするんだろうか…。あ、でも常になるわけじゃないし大丈夫……か?

なんてことを考えつつ、またふらふらと路地裏を通り抜けていく。


「あ、猫。おいで、おいで」


角を曲がったすぐ脇で猫が優雅に毛づくろいをしていた。野良、だとは思うけど毛艶がいい。

どうも人見知りをしないらしく、呼ぶとにゃ〜んと鳴いて近寄ってきた。しゃがみ込んで擦り寄ってくるその猫の顎の下を撫でてあげると、嬉しそうにゴロゴロ喉を鳴らし始める。本当に人懐っこい子だ。


「んー、手触りもいいねぇ。首輪はついてないけどもしかして飼い猫なのかな?それとも、エサをもらえて栄養が十分行き渡ってるからなのかなぁ」


甘えてもっと撫でてと頭を差し出してくるのを、ぐりぐりとおねだりに答えてあげながら至福のひと時を過ごす。

猫は良い、癒しだ。次第にとろりとし始めたその子を見ていると、なんだかこちらまで眠りに誘われる。だけどここは路地裏であり、そんなことしようものなら一躍変な人の仲間入りだ。


「よっし、なんか外にいるのも飽きてきたし、寮に帰って寝るかな。ごめんね、もうお終い」


そう言って最後に猫をひと撫でし立ち上がりかけたその時、


「うわっ」

「っ」


ドスンと背後から何かがぶつかってそのまま前のめりで倒れそうになる。

とっさに両手を突き出し、足元にいる猫を潰さないように構えたのだが、私が地面につくよりも早く猫は逃げ出し、なおかつその両手が使われることもなかった。

お腹に感じた強い衝撃、誰かにそこに腕を回され支えられていたからだ。

体育祭で負った傷も、やっとここ最近綺麗になったところなので、新たな傷をつけることがなくって安心した。


「ごめんなさいっ」


突然耳元で謝られた。ああ、そうだった。誰かに抱えられてたんだっけ、ほっとしている場合じゃない。
急いで体勢を立て直しその人にお礼と謝罪を述べようとしたのだが、なんだか妙に聞き覚えのある声のような気がして、恐る恐る振り返った。


「ト……キヤ…くん?」


にしては声が高かった。だとしたらこれは違う、HAYATOだ。
振り返った瞬間、HAYATOの身体が小さく跳ねたように見えたけど何かの気のせいだよね?

ぶつかったせいで被っていたのだろう帽子が地面に落ちて顔がはっきりと見える。


「ごめんね〜、怪我はないかにゃ?」


あまりにも似ていたのでしばらく眺めていたら、HAYATOが慌てた声で話しかけてきた。


「あっ、いえ、おかげさまで転ばずに済みました。ありがとうございます」

「そう、よかったぁ」

「というより、私があんな曲がり角で座ってたのが悪いんです。HAYATOさんこそ、お怪我はありませんか?」


いくら人通りがなかったとはいえ、あれじゃ曲がった途端ぶつかって当たり前だ。もしぶつかったのがHAYATOほどの反射神経を持った人でなければ、私とその人物は地面に転がっていただろう。


「僕は大丈夫だよっ。っと、それよりさっきトキヤって言ってたよね? あれって……」


HAYATOが何か言いかけた時、静かだった路地に女の子達の声が聞こえ始めた。しかもかなりの数。

私がこの路地裏に逃げ込んだの騒ぎの原因はHAYATOだったのか。それならあの大騒ぎも納得が行く。だけどなんだって一人でいたんだろう。







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