触れる手、交わす言葉、繋ぐ心

□5月  -人は順応するものです-
2ページ/12ページ






ついに始まってしまった……。絶対怪我人続出すると思うんだけど、救護体制は大丈夫なのかとしなくてもいい心配をしてしまうのはしょうがないことだと思う。

何がって? もちろん、体育祭です。

一般常識に当てはめようにも、一辺すら、角っこのちょびっとすらはまらない早乙女学園仕様のそれは、あえて言うならサバイバル運動会。大体にして開会宣言の「戦わざるものには死を!」とかどこの軍隊ですかって話だ。

そういうわけで今はクラス応援席で応援してます。リレーはやっぱり花形競技らしくオオトリなのでそれまでは暇。

一応クラス対抗となってるから応援にも熱が入るわけなんだけど、気付くと一ノ瀬くんがいない。この席に移動して来るまでは一緒だったはずなのでその後どこかへ行ったらしい。

来栖くんに聞いても「どっかそのへんにいんじゃねーの?」と、どこに行ったかは知らないようだ。

集団行動があまり好きではないようだから、一人で離れたところにでもいるんだろう。

とりあえずいざという時に備えて(別に何があるわけでもないだろうけど)居場所だけは確認しとくべきだと思い、私はクラス席から離れて一ノ瀬君を探しに行った。





グラウンドから少し離れたそこは、応援や歓声がだいぶ遠くに聞こえる。

一ノ瀬くんはそこにある大きな木の木陰に入るように、その根元に腰を下ろし本を読んでいた。そこだけ切り取ったかのように別の空間となっていて、静かな時間が流れてる。

時折吹く風が一ノ瀬くんの髪の毛を撫でる様はまるで映画のワンシーンのようだった。


「ここにいたんですか」


突然掛けた声にも驚くことはなく、ゆっくりと活字を追っていた視線を上げ私の姿を捉えた。


「ああ、秋くん。出番は最後でしょう? どうしたんですか」

「一ノ瀬くんの姿が見当たらなかったので探しにきました」


静かな雰囲気を壊さないようにゆっくりと近付いた。かなり大きな木なので少し歩くとその影に入る。日差しが徐々に強くなってくる時間帯だが、日陰に吹く風はひんやりしていて心地よい。


「ここ、風が気持ち良いですね」

「ええ。日の当たらない場所を探していたらここを見つけたんです。さすがに校舎の中に入ってはまずいと思いましたのでね」

「なるほど。出番まではまだありますし、これから太陽も高くなりますからね」


初夏と呼ぶにはまだ少し早いが、それでも日に日に太陽は輝きを増していっている。


「私たちは仮にもアイドルを目指しているのですから日焼けには十分気をつけていないと。あとあと泣きをみるのは自分ですからね」

「一ノ瀬くんは日焼けにも気を遣ってるんですね。僕、なんにもしたことないです。焼けると肌が赤くなってヒリヒリして終わるタイプなんですよ」

「せっかくの白い肌なんですから気をつけた方がいいですよ。しかし、対策もせずにその白さとは……やはりあなたは不思議な人ですね。食事のことといい…まったく羨ましい限りです」


常に色々なことに気をつけ努力している一ノ瀬くんの心構えは、まだデビューもしていないアイドルの卵のはずなのに、すでに「アイドルそのもの」といった感じでいつも驚かされる。

テレビで見たり学園で実際に存在に触れたりすることで、私達は漠然とだがアイドルというのはこういうものなんだと実感しているのに対し、彼の場合は「アイドルというものはこうでなくてはならない」と断言し、あたかも実際に見、経験しているような発言をする。


(そっか、一ノ瀬くんはHAYATOの双子の弟だもんね。私達よりずっと身近で触れる機会は多いから、自分の中でのイメージを確立しているのかもしれない)


HAYATOは立派なアイドルだ。危険で過酷な取材にも体当たりで向かっていき、どんな状況下でも笑顔を絶やさず、辛さなど微塵も感じさせない。見ている人に勇気と元気を与える、それがHAYATOのアイドル信念だと思う。

けれどそこは身内だからなのか、きっと一ノ瀬くんの目にはHAYATOの至らない点などが目に付くんだろう。

自分にも他者にも完璧を求める一ノ瀬くんだからこそと言ってもいいかもしれない。そんな彼を見てより一層「こうあるべきだ」という思いが強くなったんじゃないかな。


「いつまでそこに突っ立ってるんです? 戻らないのなら、こちらに座ったらどうですか。まぁ、地べたですが」


目元を緩めて少し意地悪そうに微笑む一ノ瀬くんに、「では失礼して」と大仰に左手を腰の後ろに右手を腰の前にし、社交場でするような一礼をして隣に腰を下ろす。


「今日は何を読んでるんですか?」

「ラグ・マーカーのスター・ハイ・プレッシャーです」

「え! あああ、そうだっ昨日発売でしたっけ!? すっかり忘れてた……」

「読み終わった後でよければ、またお貸ししますよ」

「うっ、……既刊全部持ってるので明日にでも買いに行きます…今日は疲れて動けなくなりそうですし」


それ以上一ノ瀬くんの読書を邪魔しないように私は口を噤んだ。

瞳を閉じるとそよ風に揺れる木々の葉のさらさらと擦れる音と、一ノ瀬くんがページを捲る音。どちらも耳に心地よく、私を眠りへと誘うには充分だった。










誰かが隣にいるというのにここまで落ち着いている自分が信じられない。まだ会ってからひと月程、気を許している自分に気付き驚愕する。
確かに彼の実力を私は認めています。けれどそれは心を許すのとは同義ではない。そもそも私はそんな存在を求めていないのですから。

けれど何故でしょうか。彼は特別何をしているわけでもないのにするりと私の中に入ってくる。

今だってそうです。私は読書中に話しかけられるのを好まないのに、彼の問いには自分で意識するよりも早く答えていました。

同じ趣味を持つという共通点から?

それだけなら学園に通う生徒は「同じ夢」を持つという点で同様に感じてもおかしくはない。だが、それは絶対にあり得ません。

基本的に他者との意味のない接触は時間の無駄。それなら練習をしたり勉強をしたりと自分の時間に使った方がよっぽど有意義なんです。


(では何故?)


ちらりと視線を向けると秋くんは瞳を閉じてうっすら口元に笑みを浮かべ…眠っていた。木に背中を預けていも頭は安定せずふらふらと。思わず苦笑が漏れる。


「よくこんなところで寝れますね」」


自分から隣に来るよう勧めましたが彼と会話したのは初めだけ。その後はこちらから話すことも、向こうから話しかけることもなくただ無言だったはずなのに。

二人きりの中での沈黙というのは居心地悪くなんとなく気まずくなるものですが、私には本という暇つぶしがあった。そして彼はといえばそんなものなど感じていなかったということが表情から窺えた。


「君は本当に不思議な人だ、秋くん………朔夜」


呼んでみた名前は違和感なく私の胸におさまった。







次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ