学校が休みになる週末。私は前日の約束の通り、彼の部屋の前に来ていた。 一ノ瀬くんと話をしていた時、「どうしても読みたい本があるけど見つからない」とぽろりと零したところ、「それなら持っていますよ」と言われすぐさま飛びついたのが発端。 一ノ瀬くんは読書家らしく、話を聞いている限り私が読んでみたいと思った本をかなり所有していた。 普段は忙しいらしい一ノ瀬くんも一日寮にいるということなので、「他にも興味があるならお貸ししますよ。明日見に来ますか?」というお言葉に甘えての訪問だ。 コンコンと軽くノックをして返事を待つ。するとすぐにドアが開き一ノ瀬くんが顔を覗かせた。 「おはようございます、さぁどうぞ中に入ってください」 するりと身体を引き、中に誘導してくれる。そういえば男の子の部屋に入るのって初めてかも、なんて思ったらなんだかドキドキしてきた。 「すみません、お邪魔します」 軽く頭を下げて足を一歩。一ノ瀬くんの横をすり抜け部屋に踏み入れた時声がかかった。 「お客さん?」 一ノ瀬くん以外の声が聞こえたことでちょっとしたパニックを起こしそうになったが、よくよく考えてみれば当然だ。自分が一人部屋なのですっかり忘れていたけど、ここの生徒は二人一部屋で生活しているんだった。 けど部屋にいるからといってここの住人とは限らないので一応確認をとってみる。誰かが遊びに来ているだけかもしれないし。 「一ノ瀬くんの同室の方ですか?」 後方に位置する一ノ瀬くんに上半身だけを捻って問いかけると、なんともそっけない答え。 「ええ、不本意ですがそうなりますね」 「ひどいよ、トキヤぁ」 鼻にかかった拗ねた声をあげて抗議する彼が可愛らしくてついつい笑っちゃった。するとそれに気付いた彼もにっこりこちらに笑いかけてきた。 (うわー、お日様みたいな笑顔) 周りまで明るくさせるようなキラキラとしたオーラ。彼の人柄の良さが滲み出ていた。 多少つんつんと跳ねた髪が彼の元気の良さを表している。くりっとした瞳はどうやら初めて見た私に興味を隠しきれない様子で。なんだかとても人懐っこい。 「俺、一十木音也っ。キミは?」 「秋朔夜です。突然お邪魔しちゃってすみません」 「朔夜、ね。うん、覚えたっ」 またまた二カッと笑う彼は…眩しい、眩しすぎるよ一十木くん。 「こんなところで話すのもなんですから、どうぞ中へ」 いつまでも入り口で話している私たちに焦れたのか、一ノ瀬くんが軽く背中を押して、部屋の中央に置かれたテーブルセットへ案内され座るように促される。 「音也、あなたは課題の途中だったのでしょう?」 「うん。でも俺、もっと朔夜と話したいっ」 真っ直ぐ向けられる好意。そういえば来栖くんに友達になりたいって言われた時もこんな感じだったな、と思い出す。 一十木くんはきっと嘘をついたり隠し事をしたりするのは出来ないんじゃないかな、と思う。だって思ったことが表情に、身体の動きにすぐ出てるもん。 そんな彼を一瞥して、一ノ瀬くんは溜息をつくと「勝手にしなさい」と言って奥へ入っていった。私の部屋と造りが一緒ならあっちはキッチンかな? その姿を目で追っていたらがたりとイスが引かれる音がして、向かい側に一十木くんが座った。その慣れた動きに、こちら側のイスは一ノ瀬くんのかと思いいたる。 内装は中心を境にまったく雰囲気の異なるレイアウト。 一十木くんの方は「これぞ音楽大好き少年!」って感じでギターやレコードなんかが飾られてる。 一方私の後ろ側、一ノ瀬くんの方はいたってシンプル。綺麗に整頓された机の上やラック。たくさん詰まった本棚も、たぶんジャンルごとに纏められてたりするんだろう。 そんな感じではしたなくもキョロキョロ部屋を観察していたら、突然右手が暖かいものに包まれふわりと浮いた。 「一十木くんっ?」 何故だかわかんないけど一十木くんが私の手を持ち上げ指でなぞったり、手首に指を回したりと…。 「ちょ、どうしたんです」 声をかけても反応がない、どうやら屍…なわけがない。だって動いてるもん。 どこか思考が飛んでっちゃってる一十木くん。どうすることも出来ずにおろおろと視線を彷徨わせていたら、ちょうど戻ってきた一ノ瀬くんと目が合った。 私の状況を見て取った一ノ瀬くんは驚いて目を瞠り、次にぎゅっと眉間に皺を寄せて足早に近付いてくる。 何をするのかと見守っていると持っていたお盆で一十木くんの頭をボコっと……。 「いったあぁあ!!!」 うん、痛そうだったよね。いい音したし。 「何すんだよ、トキヤっ!」 「それはこちらのセリフです。自分が何をしているかわかってますか」 鋭い視線を一十木くんから外さないまま顎で私の方を指し示す。 きょとんとした顔をした一十木くんはゆっくり首を動かし、自分の腕の先を視線で辿った。 そこで私の手を取っていることに初めて気付いたようで、慌てて離すとテーブルに頭をぶつけそうな勢いで謝ってきた。 「うわぁあああっ、ご、ごめんっ!!」 「秋くんの声はするのに、いつもうるさいほどのあなたの声がしないので不自然だと思って戻ってみれば…音也、あなたは何をやっているのですか」 「うぅ……ほんと、ごめん…」 「そんな、そこまで謝るようなことじゃありませんから。もう顔をあげてください」 「嫌なら嫌と、はっきり言わないと伝わりませんよ音也には」 普段少しきつい物言いをする一ノ瀬くんだけど、一十木くんに関してはそれよりもさらにきつい気がする。 「大丈夫です。突然でしたし、名前呼んでも反応がなかったので少し困っただけですから」 「……」 私なんかよりもよっぽど一ノ瀬くんのほうが嫌そうにしているその理由は? どうしてそんなに怒っているの? そう聞きたいけど聞いちゃいけない気がして、溜息をついてキッチンへと戻っていく一ノ瀬くんを見送った。 しょんぼりと項垂れている一十木くんは捨てられた子犬のようにすっかり意気消沈。そんな彼を元気付けるために私は徐に彼の手を取る。 「一十木くん、気にしないでください。ほら、こうやって僕も触ったことであいこってことで」 ね、と後押しをするように笑えば、目を瞬いた後、また太陽のような笑みを浮かべてくれた。 その後戻ってきた一ノ瀬くんから約束通り本を借り、他の本ももちろん見せてもらいその中から何冊かさらに選んで借りた。読んでる本のジャンルがほぼ一緒だったのでその話題で盛り上がってしまった。こういうことには口数が多くなるんだ、と変なとこに関心してしまった。 一ノ瀬くんは音楽に対する意識も高く、教本などもたくさん持っていてこれまた参考になりそうなのでそれも借りることに。 この間、一十木くんは課題の続きをすると言って自分のスペースに戻り、音楽を聞いたり何かを書いたりしていた。 あっという間にお昼になり、一ノ瀬くんがお昼をご馳走してくれるというので(休みの日は放っておくと何も口にしないんでしょう、あなたは。と怒られた)、私も手伝って昼食を作り(手際はいいし、栄養カロリー計算もばっちりだった)三人でご飯を食べた後は、今度は一十木くんも交えて少しお喋りをしてからお暇することにした。 「お昼、ごちそうさまでした。それから本もこんなに借りちゃって…ありがとうございます」 「いえ、食事は用意も手伝って頂きましたしこちらも助かりました。本は返すのはゆっくりでいいですので」 「今度朔夜の部屋、遊びに行ってもいい?」 「いつでもどうぞー」 こうして私は自分の部屋へと戻ってきた。少し借りすぎかなっていう量の本を持ってたので腕が痛い。 「ふぅ」 スプリングの効いたベッドに飛び込んで白い天井を目に映す。そうやって静かな空間にいると思い浮かぶのは一ノ瀬くんのこと。 「一ノ瀬くんは彼のこと…苦手、なのかな」 表情の少ない一ノ瀬くんだけど、ふとした瞬間苦しそうな瞳で一十木くんを見ることがあった。 一十木くんはそれはもう元気で明るい人。表情も活き活きとしていて、特に歌に関することになると彼の持つオーラがぱぁっと輝くようなイメージを受ける。 だけどそんな時に限って一ノ瀬くんの表情は曇るのだ。何が原因なのかはわからないけど、もし苦手意識を持っているならばその人と同部屋というのは辛いかもしれない。 悩んでることがあるならば相談にのってあげたいとは思うけれど、彼がそう簡単に他人に相談を持ちかけるような人物じゃないのは、まだ付き合いが浅い私でもわかる。 何か、彼が心を開いてくれるようなきっかけさえあれば。 だけどその「何か」なんて私はこれっぽっちも浮かばなくって、うんうんと悩み続けた。 |