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□《ムーンフラワー》
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「ありがとうございましたー」

会計と袋詰めを済ませて、今日何度めかわからない台詞を吐く。数人続いたレジ作業が落ち着き、漸く店内の客がゼロになった。

(……ねみぃ)

バイト中でもお構い無しに、特大のあくびをひとつ。そしてこれももう何度めかわからない。
昨日、夜中3時まで大楠たちとくだらない話で盛り上がり、朝から学校行って放課後は花道を茶化しにバスケ部を覗いて…18時からバイトに来て、今は21時半を過ぎたところだ。

バイトに入る前にパンを一つ食べただけ。とっくに限界を通り越した空腹感は麻痺して、今度は眠気に襲われてる。

(…今日こそは早く寝よう)

そう思うのは毎度のことで、家に帰ると目が冴えちまうから今日も結局寝るのは深夜だろうな。また暇なアイツらからの呼び出しもありそうだし。


「水戸くん、ちょっといい?」

と、そこで先輩バイト仲間に呼ばれる。高校に入学して始めたばかりのこのコンビニのバイトで、まだ一ヶ月ちょいだからバリバリ新人見習い中の俺。どれも簡単な作業だが、結構やることが多くて覚えることも多い。まぁ、それなりにやれてる方だとは思うけど。

素直に先輩バイトの元へ向かうと、商品の陳列の指示を受けた。人に教わるのは好きじゃねぇけど、そんなこと言ってても仕方ねぇしな。俺は早速、指示された作業を教わった通りに始めた。

「取り敢えずこれだけ。水戸くん10時で上がりでしょ?これ終わったら後は適当にしててくれていいから」

「わかりました」

後は30分を切ったバイト時間。何故かこういう時間になると目が一気に冴えるから不思議だよな。

晩飯は何食おうか?アイツら誰かしら暇そうだし、今日は呼び出される前に呼び出してやろう。
いつもの3バカトリオを頭に浮かべ、誰に一番最初に電話してやろう…そんなくだらないことを考えながら、商品を手に棚に向かった。



すぐに終わった陳列の作業。バイト時間は残り15分ほどになっていた。自分のなかでラーメンを食いに行くと決め、始めに電話を掛けるのは高宮を選んだところで来客を告げる電子音がした。

「いらっしゃいませー」

条件反射で出た言葉は、この1ヶ月で大分マシなものに聞こえるようになっていると感じた。
どうせヒマだし15分間じっとしてるだけってのもツラいし、モップを片手に残りのバイト時間をやり過ごそうと決めた。

(…あ、あのひと)

掃除をしながら入り口の扉の近くまできたところで、一人の女の姿に気付く。ついさっきの来客は常連の知った顔だったらしい。近所に住んでいるのかよく一人で来るひと。年は俺より数個年上っぽいけど、いつも私服だからたぶん高校生じゃない。

分厚いメガネ、化粧気の無い顔、髪は綺麗っぽいけど真っ黒で重たそう。そしていつも大体同じような服装。一言で言えば、“地味な女”だ。

勿論話したことは無いし興味もない。
ただ、よく来るから何となく知ってるってだけ。

その女は雑誌コーナーで少女マンガらしき分厚い雑誌を立ち読みしていた。まだ俺もここのバイトを始めて一ヶ月ちょいだけど、この光景は数回見ている気がする。彼女はどうやら漫画が好きらしい。

ここでバイトをするようになって知ったけど、俺らが読む少年青年雑誌と同じように、少女漫画雑誌も結構な数がある。やたら分厚いものや付録が付いてるやつも多いし、最近じゃこの人と同じように女の人の立ち読みも珍しくない。

(それよりどこの店にするかな…)

バイトが終わってからどこのラーメン屋に行こうか、思考をさっさと切り替えた俺。固く絞ったモップをそこそこに動かしながら、意識は完全に店の外だ。

なんとなく見上げたすっかり真っ暗に染まった空は、明るすぎるほどの店内から見るとやけに遠く見える。自分の姿を写す鏡のようなガラス張りと、コンクリートの駐車場を照らす明かりがそうさせていた。

(…雨、は大丈夫だな)

原付通勤の俺にとってはそこが一番重要だったりする。雨が降ってるとそのまま帰ることは出来ても、何処かに寄っていくのはキビシーからな。びしょ濡れになってまでラーメンを食いに行く気は無いし。

外から視線を店内に戻した所だった。ふと目に留まったのは、雑誌コーナーで立ち読みをしたままのあの女。今日も少女漫画に相当入り込んでいるらしく、俺に視線には気付かない。

そう、この人は毎回こんな感じ。立ち読み客はどの時間帯も当たり前に居るけれど、こんなに真剣なカオでマジで読んでる奴は少ないと思う。大体の奴は暇潰しにペラペラとページを捲るくらいか、目当てのものだけ読んでさっさと他の物を選びに行くからな。

(…今日もまた、えらく入り込んでんなー)

眼鏡越しに見えているのは、最早漫画っていう紙を飛び越えて、その世界の中にトリップしているような…。そんなことを思わせる真剣な眼差し。それが何だか面白くて茶化しに似た興味本位で見ていた俺だったが…どうしてかその横顔に目は奪われた。

細い指先がページを捲る。

(あ、笑った…)

わずかに角度を変える口角と目尻。

(ん?なんか悩んでる…?)

ひとこまひとこま大切に、丁寧に目線が追う。

(怒ってる…のか?)

まるで、薄いページに描かれたヒロインの感情を自分に降ろしているように。

(またちょっと変わった)

彼女の表情が、どんどん変化していく。


(おぉ、すっげぇ真顔)

(もうすぐクライマックスなのか…?)

(ここまで真剣に読まれるとちょっとどんな内容なのか気になるよな…)

(このひと、地味だけどよく見るとわりと可愛いんじゃねーか?)

(俺って意外に守備範囲広いのかな…いやいや、なに考えてんだ俺)

(ん?泣きそう…?)

(ちょっと待て)

(マジで泣くのか?)


か弱い肩が微かに揺れて、雑誌を持つ手にぎゅっと力が入るのがわかった。
俯いた横顔の頬に、すーっと伝ったのは涙だった。

(…おい、マジで)

どうしてか少し焦る俺。俺が泣かせたわけじゃないけど、女の涙は…な。なんとなく落ち着いて見てられるものじゃない。

彼女は片手で雑誌を持ち直すとポケットを探りだし、たぶんハンカチを探してる。だけど持ち合わせていなかったらしく、手の甲で眼鏡を上げるとそのままごしごしと顔をこすった。

曖昧になった涙の筋。でもまだ衝動は収まらないようで、再び雑誌に向けられた目はすぐにじわりと涙を滲ませていた。

震える肩、鼻をすする小さな音。拭ったはずの涙は次から次へと溢れていて、きっと彼女自信も止め方を知らない。

(はは…そんなに泣ける話なのかな)

漫画で泣いたことなんて無い俺にとっちゃ理解不能だけど、その姿はやけに綺麗で…、優しくて。どうしてか微笑ましかった。自然に自分の頬が微かに緩むのがわかる。

なんつーのかな…。こういうのが「心のなかが温かくなる」とか言うのかな。たぶんそんな感じだ。

そして、次にページを捲った瞬間に。
泣き顔は一転して、とても嬉しそうな笑顔が満面に咲いた。

(…う、わ)

不意討ちだった。
少し目尻に涙を残したその横顔。眼鏡のフレームのその先にある瞳は見えなくて、彼女が何を見てそんな顔をしているのかもわからないけど…。

おそらくハッピーエンドだったんだろう。漫画の中に描かれた架空の物語にここまで感情移入して、ここまで表情を変えられる…。そして最後のあの笑顔。

(…なんだよ)

すっげぇ…可愛いんだけど。

頭で考える訳でもなく、自然と浮かんだ。
何処にでもある見慣れたコンビニの風景。ましてやバイト先でバイト中。でもその瞬間は、そんなことを忘れてしまうようなおかしな感覚に囚われた。

例えるなら今みたいに夜更け前の夜空を背に、何かの花びらが開いていくような…。決して派手じゃないけど、静かにそっと、でも鮮やかに。夜に咲く花なんてあるのか知らねぇけどさ。つーか、そんなの考えるのなんてスッゲェ柄じゃねぇこと、俺が一番わかってんだ。

胸が痛え。何なんだ。何なんだこれ。変だな俺…。
突然痛み出した胸を無意識に押さえる。

ドクン、ドクン、ドクン、ドクン…。

自分でもよくわからない感情。痛い心臓、ぼーっとする頭、微かに熱くなる顔。

俺はそこから動けずに、手に持ったままのモップを握りしめたまま、その場に立ち尽くすことしか出来なかった。

終始俺の視線には気付かなかった彼女は、結局その雑誌を買うことにしたのかカゴの中に入れると店内の奥の方へと歩き始めた。一周回ってレジへ進むと先輩バイトが会計をして、支払いを済ませた彼女が扉の方へと向かっくるところで我に返る。目で追っていたことを気づかれる前に視線を床へ落として、掃除に没頭するコンビニ店員を装った。つーか装うも何もただのコンビニ店員なんだけど。

(落ち着け、俺)

マジで思考が自分らしく思えなくて、自分自身に言い聞かせる。

俺の前を通りすぎる小さなスニーカー。
扉が開いて閉まるのを確認して、漸く顔を上げた。どんどん遠くなる背中をぼーっと目で追う頃には、心臓はおとなしくなり始めていた。甘ったるい余韻を残して。

もしかしたら、もしかしたら俺はーーー…。

「…マジかよ」

溢れたため息混じりの独り言は、誰にも拾われずに店内の音楽に消されていった。

彼女の真剣な顔、悩んでる顔、辛そうな顔、泣き顔、そして笑顔。くるくる変化していったその表情が、頭のなかで繰り返し浮かぶ。

なんか、なんかさ。
ああいう子…いいな。

自然に浮かんできた思いは、名前も年も何処に住んでるのかも何をしてるのかも知らない彼女に向けて。たったひとつ彼女と俺を繋ぐのは、このコンビニ。

(…また来るかな)

今日はアイツらを呼び出すのはやめておこう。
くだらない話なんて耳に入りそうにないし、その受け答えも、どうかしたのかと訊かれるのもメンドーだし。

もう暫くは…きっと彼女のあの笑顔が頭から離れてくれそうにないから。








《ムーンフラワー》
END
20180325一條燐子



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