過去拍手

□なやみごと
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さっきから香ばしい香りが漂ってきている。
兄さんの唯一生産的な特技、とからかいのネタにはするが、実際兄の手料理を毎日食べていると、外食しようという気にならないくらいだ。


しかし近頃、兄さんの料理がおかしい。
味は落ちた訳ではない、いつも以上に美味しいくらいだ。
ただ。
作る量が半端なく多いのだ。


始めはキャベツだった。
トントン小気味よい音を立てて刻んでいく兄さんの横に、山と積まれてゆくうす緑いろの千切りキャベツ。
僕は料理には疎いから、僕には分からなくても兄さんは何かのメニューに使う気なのだろうと、見るともなしに見ていた。
しかしキャベツが一玉丸々、千切りになった時点でさすがに不思議に思い、声をかけてみた。

「兄さん、そんなに沢山、どう使うの」
「あ」

兄さんは、そこで初めて我に返ったように声を上げた。
なんでも、考え事をしていて、手だけが無意識に動いていたらしい。
それからしばらく、僕たち二人はウサギの気分を味わった。

次はカレーだった。寸胴鍋に大量に作られたほかほかのカレー。
修道院にいた頃ならこの量でよかったのだが、今食べるのは僕たち二人だと言うのに。

可能な限り冷凍して、カレーライスにカレーうどん、カレードリアと思い付くままアレンジして、三日三晩食べ続けた。
弁当にまでカレー。煮込めば煮込むほど旨味が増すとはいえ、さすがにうんざりした。

やはり兄さんは
「考え事していたら、手が止まらなくて」
と言い訳をした。

さらに兄さんの料理は続く。ハンバーグ、ロールキャベツ、おでん、唐揚げ、ひじきの煮物にきんぴらごぼう。

兄さんが考え事をする度、ありとあらゆる大量の料理が並ぶ。
無心になって手を動かしていると、その悩みを忘れられるのだそうだ。
どうやら兄さんは、考え事があるとひたすら料理に没頭してしまうらしい。
しかし肝心のその悩みが何なのか、兄さんは決して僕に話そうとしない。


兄さんは、難しい顔で食卓についた。
今日はこんがりとキツネ色に揚がったコロッケが、山のように積まれている。
さっきの香ばしい香りはこれだったみたいだ。

「美味しそうだね兄さん」

本心から言ったつもりだったけど、兄さんは僕が慰めている、と思ったらしい。

「ごめん、また作りすぎた」
「大丈夫だよ。僕たち育ち盛りだからいっぱい食べよう。でもちょっと多いから、しえみさん呼ぼうか」
「うん」
「勝呂くんたちも呼ぶ?」
「あいつはだめ。」
「……どうして?」

得意な料理を披露出来るなら、喜んで賛成すると思ったんだけど。

「とにかくだめだ」
「……そう」

じゃあいただきます、と手を合わせた。
揚げたてのコロッケは、噛るとサクサクとして、やっぱりとても美味しい。

「兄さん」
「なんだよ」
「悩みがあるなら、逃げてないで解決しないと」
「……」
「兄さんのごはんはとても美味しいよ」
「……うん」
「だから沢山食べられるのは嬉しいんだけどね」
「……うん」

褒めておいて、なんとなく兄さんの顔が緩んだところで、再度探りを入れてみる。

「……で、何があったの?」
「何にもねえよ」

ち。また元の頑なな兄さんに戻ってしまった。
聞き出すのは諦めて、食事に専念することにする。

兄さんはと見ると、はあ、と大きなため息をついたかと思うと、猛然と目の前のコロッケを食べ出した。
みるみるうちに、山が崩されていく。
あっけにとられて見ていたが、突然、ぴたりと箸が止まった。

「苦しい……」
「そりゃこれだけ食べれば。無理しなくても、明日また食べればいいよ。僕も食べる……し……」

僕は唖然とした。突然、兄さんがボロボロ涙を流して泣き出したからだ。

「泣くほど苦しいの!?」

無理矢理お腹に詰め込むからだよ……。食べ過ぎで泣くなんて、兄さんは子供みたいだなあ。

「何にもないのが問題なんだ」
「……ん?」

さっきの話の続きだろうか。急に兄さんが話し出した。

「問題って?」
「笑わないか?」
「兄さんの悩みを笑ったりしないよ」

解決しなきゃ、いつまでもこの夕食問題も終わりそうにないし。

「苦しいんだ」
「……胃薬持ってこようか?」
「違う。ここが」
と言って、兄さんは自分のシャツを握り締めた。ちょうど心臓のあたりで。

「あいつのこと考えてたら、苦しくて……だから考えたくなくて……メシ作ってる間は、余計なこと考えないでいいから」

兄さんは、何かの仇のようにコロッケを見つめたまま、目に涙を浮かべている。
僕は困って、新しいコロッケを摘んで食べた。
少し冷めていても、やっぱり美味しい。
兄さんの悩みがぱんぱんに詰まったコロッケなのに。

「兄さんは、その人のことが好きなんだね」
「好き……?」
「だから、苦しいんじゃないの?」
「……分からない。そうなのかな?」

兄さんの想い人。悪魔であることを隠している兄さんが、その想いを告げられないのは仕方ないのかも。

「気がつくとその人のこと考えてるとか」
「うん」
「ついつい目で追っちゃうとか」
「うん」
「……じゃあまさに、恋しちゃってるみたいだよ」
「すげえな雪男、そういう経験あんの?」
「ないけどまあ、一般論としてかな」

て言うか兄さん、ベタすぎでしょ。少女マンガかよ。

「好き、かあ……」
兄さんは首を傾げると、ポツリと呟いた。

「でも、俺に好かれても迷惑だよな」

僕はそれには何も答えてあげられなかった。
僕だったら迷惑なんかじゃないよ、と言ったところで、何の慰めにもならないのは分かったから。

「ありがとな、雪男」
「……僕はなんにもしてないけどね」
「ははっ、でもおかげですっきりしたから!」
「どうするの?」
「あー、俺隠し事苦手だしなあ。言うだけ言ってみる」

振られたらスッキリすんだろ、と言って笑う兄さんを、僕は複雑な気持ちで眺めた。
兄さんの好きな相手に心当たりがあったから。

「じゃあ今度から、こんなに沢山食べさせられなくてすむね」
「?」
「こっちの話」


数日後、僕は兄さんの告白の結果を知った。
食卓の上には二人分の夕食が乗っている。

山のように大量の料理が作られることは、もうないに違いない。


end.



これは自分では気に入ってます。
勝呂一切出てこないけど(笑)
うちの雪男は、呆れつつ二人を見守るって感じかな。
20111231

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