蒼焔群情-soul's crossing-〔本編〕

□蒼焔 【後編】
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「お主の番だぞ」

「あっ、はい」

 戦局は終盤に差し掛かっていた。
 促されて碁石を取るものの、その手はなかなか動かせない。
 碁を打ち終えたら、きっと曹操との対話も終わってしまう。そうしたら、次に曹操と話が出来るのはいつになるか分からない。

「曹操様」

 答えが出るかどうかは分からないが、それでも訊かずにはいられない。

「曹操様…今から親孝行をする事は出来るでしょうか。もしも出来るのなら、どうしたらいいですか…?」

 切実だった。
 例えそれが自己満足になったとしても、楊恪と鄒氏のために何かがしたい。
 わずかに目を丸くしていた曹操だったが、すぐに破顔する。

「簡単な事だ。慎窈や鄒氏が大切にしていたものを引き継ぎ、大切にすれば良い」

「大切にしたもの…」

 すぐに脳裏に浮かんだのは、夏侯惇や夏侯淵、曹操の顔。

「勿論、人や物だけでなく生き方や信念もな。…ああ、真似をしろと言っているのではないぞ」

「はい…難しいですが分かるような気がします」

 曹操は頷き、茶を口に運ぶ。

「父や母が大切にしていたものは本当に大事なもの。お主自身とてそうだ」

「私…自身……?」
 
「あの二人がこの世でただひとつ、己が命よりも大切に思っていたのがお主よ。…一時は食事を摂らなかったと聞くが、我が身こそ愛さねばならぬ。それが何よりの親孝行であろう」

 優しくも真っ直ぐに突き刺さる言葉は、とても重みのあるものに聞こえた。
 楊恪を亡くした直後の自身を思い返し、父と母の心情を想像したらちくりと胸が痛んだ。
 鄒氏などは、きっと天国で泣いていただろう。
 胸は絞るように痛むが、何故かとても清々しい。楊恪や鄒氏のために出来る事があるという事実は、目の前に差した光明のようだった。

「色んな人や物を、今よりもっと大切にしたくなりました。ありがとうございます、曹操様」

 柔らかな笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。

「曹操様は、苛烈なばかりではない、優しくて……不思議な人ですね」

 良くも悪くも、人の心を惹き付ける何かがある。

「不思議…か。褒め言葉として受け取って良いのだな?」

「勿論です。好きになってしまいそうなくらいです」
 
 本心を口にしたのだが、曹操は可笑しそうに声を上げて笑った。

「なかなか言うな。お主程の美人ならば大歓迎だが」

 しばらく笑っていた曹操だが、俄にその目が真剣になる。

「晟瑶」

 口元には未だ笑みが浮かんでいるものの、その眼差しに晟瑶は思わず背筋を伸ばした。

「晟瑶…今更かもしれぬが、儂のもとで暮らす気は無いか?」

 予想もしなかった言葉に、訊き返す言葉すら出せない。
 この話の流れから「側室に迎えたい」という意味かと思ったが、どうやらそれは違うようだった。

「それは、どういう…」

「本当は、お主の事は儂が引き取るつもりであった。慎窈の子ならば儂が守らねばならぬと思ったのだ。…どうだ?晟瑶よ」

 楊恪の親友だった曹操と、楊恪の教え子だった夏侯惇の姿が交互に思い浮かぶ。しかし、そこには最初から迷いなど無かった。
 晟瑶は控えめに首を降る。

「曹操様のお言葉はとても嬉しいです。でも曹操様、あらゆる巡り合わせには意味があると思うのです。夏侯惇様に引き取られてから、何の不満も無い生活を送らせて頂いています。…今の私には、曹操様のもとで暮らす理由がありません」
 
 それが例え夏侯惇と同じ親族であっても、最早夏侯惇以外の庇護を受けるなど考えられなかった。
 決して口には出さないが、晟瑶が一番辛い時に手を差し伸べてくれたのは、曹操ではなく夏侯惇なのだ。
 答えを予想していたかのように、曹操はさして驚きも落胆もせずに頷いた。

「やはりそうか」

 ふうと小さな溜め息をつく。

 それとほぼ同時に、部屋の扉が叩かれた。
 女官が駆け付ける間も無く扉が開き、夏侯惇が顔を出した。

「執務室に姿が見えんと思ったら、ここにいたのか」

 夏侯惇は二人のもとまでやって来ると、空いていた椅子に腰を下ろす。

「ああ、夏侯惇。たった今、晟瑶に振られたところだ」

 言いながら、曹操は大仰に肩を落として見せる。
 夏侯惇は、その発言に動じる事無く目を眇めた。

「色に惚けるのは構わんが、手当たり次第に…というのはやめろ。分かっているとは思うが、晟瑶は親族なんだぞ。血縁なんだぞ」

「あぁあぁ、分かっておるわ。儂とて、そういう意味で口説いて振られたのではないわ」

 嵐のような小言に、曹操は子供のように耳を塞ぐ仕草をする。

 
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