蒼焔群情-soul's crossing-〔本編〕
□Joker 【中編】
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しんしんと雪の降る寒冬のある日、例によって晟瑶は王城の廊下を歩いていた。
司馬懿と出会った日、彼が持っていた三皇五帝と夏王朝の歴史書を目にしてから、どうしてもその書が気になって仕方が無い。
方々を回り探しているのだが、神話という空想に類されるそれを持っている文官は、誰ひとりとしていなかった。
今日最後に訪ねた郭嘉には、神話と歴史を一緒にするなと、殷周易姓革命の文献を半ば強引に押し付けられた。演義と史実は全く別のものだという事を言いたかったのだろうが、晟瑶とて空想と現実の区別くらいは付く。
「封神演義も易姓革命の歴史書も、飽きる程読みましたよ…」
史実では太公望の派手な活躍も無く、仙人達が登場する事も無い。
手に持った書を見詰めて小さな溜め息をつく。
やはり、持っている事が明白な司馬懿本人に借りるのが、一番の得策なのだろうか。
司馬懿の姿を思い浮かべた時、廊下の先を見覚えのある紫色が横切って行った。司馬懿だ。
足音が立たないよう、小走りでその姿を追い駆ける。
角を曲がったところで見た司馬懿は、衣装の上に外套を羽織っていた。これから、どこかへ出掛けるのだろうか。
「司馬懿様」
その背に呼び掛けると、司馬懿は面倒臭そうに立ち止まる。
「…この間の」
「晟瑶です。憶えて頂けましたよね」
司馬懿が振り返るより先に、その傍らに並ぶ。
司馬懿は、やはり面倒臭そうに晟瑶を見下ろした。
「何の用だ」
まるで一分の隙も無い漆黒の眼差し。
この人も楊恪と同じ文官なのだと思ったら、冷淡な態度さえ恐ろしくはない。
「この間の三皇五帝と夏の歴史書なのですが…」
「ああ、あれならどこかへ紛れ込んでしまったわ。我が屋敷には蔵書が多いのでな。早々見付からんだろう」
晟瑶の言葉の先を直ちに察し、自分の言葉を被せてくる。
どうにも自信に溢れたようなその言い方は、俄に真実とは思えない。
「そうですか…」
しかし、それを暴く術は簡単には見付からなかった。
司馬懿の手が、おもむろに晟瑶の腕の辺りに伸びる。
「何だ?これは」
白い手は、腕に抱えていた竹簡を掴み取った。
「他の文官の方々に殷王朝以前の歴史書をお持ちではないかと尋ねて回っていたら、郭嘉様にそれを…。神話と歴史を一緒にするなと叱られてしまいました」
現実を重んじる文官が、架空の物語でしかない神話を嫌うのは珍しい事ではない。
司馬懿はその書が何であるかを確認すると、投げ捨てるように晟瑶に返す。
「…何故、そうも三皇五帝と夏王朝にこだわる?」
いつの間にか、司馬懿は腕を組んで正面から晟瑶を見下ろしていた。
その瞳に蔑みや冷酷さは無く、ただ真っ直ぐに晟瑶を見詰める。
晟瑶は、このような目も出来るのかと心の内で驚いていた。
「特にその時代にこだわっている訳ではないのですが、私は知らない事を知りたいだけです。私は殷王朝以前のこの国の歴史を知りません。だから、知りたいんです。例え、それが神話でも、空想でも」
知らない事、分からない事をそのままにしておけないのは、楊恪譲りかもしれないと最近では自覚している。
「……成程な」
何か納得した様子の司馬懿は、ひとつ頷くとすぐに身を翻した。
今の質問は一体何だったのかと、晟瑶はその背を目で追った。
「司馬懿様、これから出掛けられるのですか?」
「城下に用があってな」
司馬懿は、振り返る事無く一言だけを口にする。
晟瑶の足は、迷わずその後を追っていた。
「司馬懿様は、主にどんな書を読まれるのですか?」
「いろいろだ」
「専門とされる分野は…やはり軍略と政治ですか?」
「いろいろだ」
「あ、雪止みそうですね」
「………………」
街へ下りてしばらく経つが、前を行く男は話し掛けてもろくな返答をしてくれない。
河へ架かる大橋の袂へ来た頃、司馬懿がぴたりと立ち止まった。
「………………一体どこまで付いて来るつもりだ」
明らかな程に不機嫌そうな顔で振り返る。
「司馬懿様がどこに用事があるのかと思ったら、気になってしまって」
「新しい書を探しに行くだけだ。さぁ、もう良かろう。帰れ」
浮かべた笑顔も鼻先であしらわれ、にべも無く捲し立てられる。
しかし、晟瑶は引き下がらない。
「新しい書、私も見たいです。付いて行っても構いませんか?」
「駄目だ」
まるで取り付く島も無い。
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