蒼焔群情-soul's crossing-〔本編〕

□Monster & Truth 【後編】
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 曹操への挨拶を済ませた晟瑶は、仕事のある夏侯惇と別れ、城の入口で家人の迎えを待っていた。
 薄曇りの空から舞い散る雪をぼんやりと眺めながら、今日の出会いを思い返す。
 曹操という人は、何人も近付けさせない壮烈な雰囲気を纏いながら、触れ合った者の心を掴んで放さない吸引力を持つ不思議な人だった。
 そして、典韋。言葉を交わしたのはほんのわずかだったが、外見通りの粗暴な印象が強い。何より、戦場ではあの棘の付いた巨大な鉄球を振り回し戦うのかと思うと、それが一番怖い気がした。
 ふぅと白い息を吐くと、近くに人の気配がした。

「おう」

 その声に首を捻ると、こちらへ歩いてくる典韋と目が合った。
 思わず表情が強張るが、なんとかそれを隠す。

「何だ、もう帰んのかよ」

 典韋は足を止めると、その巨躯から晟瑶を見下ろした。先刻のような殺気は欠片も放たれていない。
 晟瑶は、内心緊張しつつも礼儀正しく一礼する。

「は、はい。今日は曹操様への御挨拶だけなので…」

 恐る恐る顔を上げると、典韋は「ふぅん」とだけ返事をする。
 ふと会話が途切れ、妙な沈黙が二人を包んだ。

「…あのぉ」
「…あのよぉ」

 この気まずい状況を打開しようと口を開いたのは、典韋が口を開くのと同時だった。
 お互いに目を丸くして顔を見合わせると、典韋は気恥ずかしそうに顔を顰める。

「…何だよっ」

 何気無い事ではあったが、声が重なった事や典韋が照れ臭そうにする様子に、つい頬が緩んだ。
 それを見て、典韋は目を丸くする。

「何だよ、ちゃんと笑えんじゃねぇかよ」

 笑みこそ浮かべてはいないが、安心したと言いたげに頭を掻く。
 その言葉に、今度は晟瑶が目を丸くした。
 典韋は困ったような表情を浮かべる。

「その…お前が夏侯惇の旦那に連れて来られた日も、見ていられねぇくらいに泣いてたからよ」

 その表情に悼みの陰が落ちる。
 典韋の言うその日は、きっと晟瑶が父を亡くした日の事だ。
 今でもまだ、思い出すと胸の傷口が鈍く痛む。

「…うまく言えねぇけどよ…何て言うか、その…気の毒だったな…」

 しどろもどろになりながら、それでも必死に言葉を探すその姿に、数刻前の曹操の言葉が甦る。
 この人は――――典韋は決して外見通りの人ではない。
 言葉を交わさなければ知る由も無かった人を思い遣ろうとするこの心に、今確かに気付く事が出来た。

「あっ…あのっ!」

 押し寄せる後悔に、思わず語気が強まる。

「先程は…私、とても失礼な事を言いました…!すみませんでした…!」

 深々と頭を下げると、突然の事に狼狽する典韋の足元が目に入った。

「風聞や外見だけで人を判断するなど、人として最低だったと思います。…本当に、ごめんなさい…!」

 もしも、それだけで判断されるのが自分であったらと思うと、恐ろしい。もしも、自分が典韋の立場だったらと思うと、悲しい。
 わずかな沈黙の後、典韋の溜め息が聞こえた。

「…もういいんだよ。お前は悪くねぇ。だって、本当の事だ」

 そして顔を上げるよう促され、晟瑶はのろのろとそれに従う。
 見上げた典韋の表情は険しかった。

「お前の言う通り、儂は罪人だ。人を殺し、償いもせず山へ逃げた。…だが、付いて回るのは後悔ばっかりで…」

 ぎり、と歯噛みする表情は、今でも悔いていると言いたげだった。

「山ん中で燻ってた儂を、夏侯惇の旦那が見出だしてくれてよ。…誰かを護る事で償える罪もあるんじゃねぇかって…言われてよ」
 ふわりと、その瞳に映っていた後悔や険しさが消える。
 晟瑶の脳裏には、まるでその場に居合わせていたかのように、その情景が浮かび上がっていた。やはり、自分の知るあの夏侯惇だと思った。

「それで…曹操様をお護りする事に…?」

 晟瑶の一言に、典韋の顔がぱっと明るくなる。

「ああ!殿は、ただ純粋に儂を重用して下さる。過去の罪なんて関係無く、儂を受け入れて下さる。…そんな人間は初めてだった。だから儂は、贖罪すら越えて殿を護るって決めたのよ!」

 そう胸を張った姿には、偽りも迷いも無い。
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