蒼焔群情-soul's crossing-〔本編〕

□prologue of Shen-yao side.【後編】
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見れば、魏きっての武人であるというのに剣も差さず、一体どれ程慌てていたのだろうか。

「そなたを捜すだけなら、兵にでも任せておけば良いはず。しかし、夏侯惇は自ら捜しに来た。…それだけで充分でござらぬか?」

 晟瑶は小さく頷く。
 本当は、夏侯惇が捜しに来てくれた事が嬉しい。今は、その気持ちを信じられるような気がしていた。
 夏侯惇は痺れを切らしたように口を開く。

「質問に答えろ、関羽。何故貴様が魏の領地にいる?まさか、晟瑶を拐かすつもりだったのではあるまいな。それとも、そこにいる倅の嫁にでもするつもりだったか?」

 顎をしゃくって関平を指した。

「なっ…」

「小父様!」

 養父への暴言に、そして恩人への無礼に、二人は俄に色めき立つ。
 しかし、関羽は豪快に笑い飛ばした。

「これ程の佳人、むしろ拙者の嫁に欲しいくらいだな」

「えっ!?ちっ、養父上!?」

 晟瑶は耳を疑い、関平は動揺する。
 夏侯惇の眉間には、太い血管が浮かんだ。
 関羽は、ゆったりと髯を撫でる。
「それは冗談だが…。帳角亡き後の黄巾党が賊と化し、方々で騒ぎを起こしていると聞いてな。拙者らは、この街の被害を調べに参っただけだ。まさか、これ程までとは思わなかったが…」

 その瞳に、悲しげな影が落ちた。

「だが、その黄巾党の残党も、この半月程の間で魏軍が大方掃討したと聞く」

 その言葉に、晟瑶は顔を上げる。
 関羽の言っている事が事実なら、それは夏侯惇から突き放された日からごく最近までの期間となる。その間は丸一日夏侯惇の姿を見ない日も多く、避けられているか或いは見放されたのだと思っていた。
 それは、勘違いだったのだろうか。

「無論だ。賊とはいえ元は黄巾党、野放しにはしておけん」

 夏侯惇の返答に、関羽は大きく頷く。

「…して、昨日晟瑶殿と出会ったのだ。具合が悪そうなところを関平が見付けてな」

 晟瑶は、夏侯惇が一瞬だけ不安げな目をしたのを見ていた。
 関羽は、晟瑶の背をポンと叩く。

「さあ、もう行かれよ。名残惜しいが、あまり引き留めては夏侯惇に殴られそうだからな」
 
一歩進み、振り返って見上げた関羽は、やはりどこか楊恪と似ている気がした。
「…そなたはもう大丈夫だ」
 優しく力強い言葉と笑みに、涙が込み上げてくる。それをぐっと堪え、深く頭を下げた。

「関羽様、関平様、ありがとうございました…」

「またね!晟瑶殿!」

 関平は、相変わらず爽やかな笑顔で手を振る。
 いつか、また会えると言ってくれる優しさが嬉しい。
 関平から受け取った自分の馬を引き夏侯惇のもとへ戻ると、不意に大きな手で頭を撫でられた。

「…帰るぞ」

 その声に、直前までの怒りの気配は微塵も無い。
 顔を上げ目に入ったのは、鋭利ながら優しい隻眼。
 目に浮かんだ涙に気付かれまいと、こくんと頷いたまま俯く。

「夏侯惇よ、何があったのかは知らぬが、言葉にせねば伝わらぬ想いもあるのだぞ」

 関羽は、目を細めてこちらを見ていた。

「…偉そうに」

 全てを見透かしているような関羽の態度に、夏侯惇は癪だと言いたげに舌打ちをした。
 馬の背に乗り歩き出す直前、もう一度振り返る。
 そこには、おそらく晟瑶達の姿が見えなくなるまで見送るつもりであろう関親子の姿があった。
 関平を真似て大きく手を振ると、二人も同じく応えてくれた。
 二人の恩人にいつか恩返しが出来ますようにと、心から願う。
 前方に向き直ると、既に先へと進んでいた夏侯惇を追う。

「……小父様、ごめんなさい」

 大きな背にそう言葉を掛けると、夏侯惇はちらと振り返った。

「…もういい」

 一言だけを口にすると、再び前を向く。
 高い襟に掛かる漆黒の短髪が、さやさやと風に揺れている。

「…髪、切ったんですね。最後にお会いした時は、まだ長かったですよね」

「さすがに邪魔になったのでな」

「関羽様とは、お知り合いだったんですか…?」

「…まあな」

 晟瑶は必死で言葉を探した。言わなければいけない事があるのに、何からどう話したらいいのか分からない。
 前を行く大きな背中を見詰めては、言葉を掛けようとして躊躇う。なかなか心が固まらずに小さく息を吐いた。
 ぽつりぽつりと言葉を交わしながらも、伝えたい事は何ひとつ伝えられないまま帰路を進んだ。
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