‡†大人のケータイ小説†‡

□TomoKo
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from"ちょけの ともこ"
件名 :遅れましたm(__)m
日付 :Mon, 10 Jun 2002 23:51:38 +0900
こんばんは。
崇さんが婚約破棄されていたのに、結婚おめでとうと言ってしまいました。 謝ったのですが、謝らないでと言われ、それ以上フォローできず、しどろもどろになって電話を切ってしまいました。嗚呼・・・うっかり・・・大失敗です。

 早速拝読させて頂きました。少年犯罪についての記述がありましたね。
少年法は、「罪を犯したならば」が前提にあり、予防ではありません。
確かに原因でなく現象への対応はその場凌ぎであり、根本的な解決には成りませんが、既に起きてしまった事実への対応としては意味があるのではないでしょうか。
然し、少年法は加害者優先気味で、加害者と被害者のどちらを救う為の法なのかという議論が実際ある様に不備も多いと思われます。
従って少年犯罪の現状と、既存の法のバランスが崩れた時、残念ながら安全の維持や、或いは牽制の目的で少年犯罪対策の1つの手段として必要な措置であると思います。
 では、少年犯罪の根源は・・・の記述についてですが・・・。
第2項の過干渉について・・・親が子供に期待する事は罪ではないと思います。
然し、「大人の意見」は一見合理的だが、核家族少子化の現在、大人は無意識に過干渉気味となり、遠回りや失敗を許さなくなると言われます。
結果、極論として感傷もなく、痛痒すら感じない促成栽培のバーチャルエリートが出来るのかも知れません。
仰る通り、健康な人間の育成こそ一義であり、其れ無くして幼子が昆虫の羽や足を1本1本丁寧に引き千切るような、不健康な精神に宿る純粋な悪意は絶てません。
然し、社会には少年犯罪の増加、低年齢化、凶悪化に対して、問題認識が無いとは言いませんが、矛盾して、他人の不幸は蜜の味と野次馬的な興味に偏るマスメディアと、その需要、少年犯罪の非公開(少年法によって守られた加害者の人権)等がある事も事実です。
 結論ですが、誰かのコピーでなく、たった1人のオリジナルとしての自分を見出そうとする為の回り道や寄り道を受け入れる深い懐を大人は、又社会は持つべきであると考えます。
「こんな大人になりたい」と思うような大人が居なければ、子供達は成長を望まなくなってしまうのではないでしょうか。
「将来何になりたいか?」と問われた子供が返事を窮する様では、情けないと思いませんか。
我々は、子供を持ちませんので「親」の気持ちは計り知れないものを思われます。
従って、本件については我々の現段階での推測、個人的な見解の域を出るものではありません。
従って、あるいは痛烈な批判なども受ける意見かも知れませんね。
敢えて一言余計な事を申しますと、
 >モラルについては高い所から低い所に流れるものと思います。
>自分を高みに置く事、向上心があるなら、我々の
>"一部モラルの低い行動"については、人間らしさとして正当化しては
>どうかと提案します。(笑)
と言った考え方は嫌いです。
 忌憚無い意見を・・・と言う事でしたので、遠慮無く申し上げましたが、気分を害する様な事があれば、申し訳ないと存知ます。
人に意見をする場合、そもそも自分の事は棚に上げないと・・・すみません。

閑話休題。

 先般は長々と勝手な言い分を書き連ねました。
今は・・休息したい様な、忙しく紛れたい様な、かと言って気力も余りなく、然しどんなに塞いでいても朝になったら目覚めるし、お腹はしっかりと空くという事が今はとても切ないのです。
抜殻の様に何の現実感の無い生活をしながら、やはり現実に戻らねばならないとも思っています。
誰かに話しながら自分自身が受け入れたいのです。
出来るだけ早く現実に立ち返りたいと言う気持ちがありました。
私の中の記憶と今の気持ちを明確にしたかったのです。
私は生きている。
だから、どこかで立ち上がって歩き出さねばならない。
その支えと言うか、けじめの為に。
もう1つは忘れない為です。
性別も置かれた立場もギャップが有り過ぎて、今の私には解りません。
然し、年を重ねた後で読み返したならば、それでも全て納得出来るとは思いませんが、今とは違う思いが、きっとあるだろうと思いました。
人の記憶は、どんなに大切で忘れたくない事でも、時が経つにつれ自然に輪郭が曖昧になったり主観に基づいて変化したりするものです。
だから、事実と共に、本来目を背けたい醜くグロテスクな部分や、歪んだ思いも含め、起こった事の全てを、出来る限り記したいと思ったのです。

追伸:
今回のテーマ「家族」は少し難しいです。
もう少し、時間を下さい。
誓って!!月末までに送ります!!!
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