小話

□愚かの世
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炎が這うような、ごうと緋い空であった。

「戦のようじゃの」

大川平次渦正は、己の庵から見える夕陽に、若かりし頃の戦火を見た。
それは忍術学園を朱に染め、いまにも燃やし尽くさんとする業火のように思えた。

「伝蔵」

「はい。ここに」

秋の陽はつるべ落としというように、煉獄にも似た空はあっという間に鎮静し、
しんと冷たく静かな宵の闇と変わる。
その薄暗がりを揺らして、大川の声に答えたのは山田伝蔵である。
ながく彼の学園を支えてくれる教師の一人だ。

「やれやれ。やっとは組の連中の補修が終わりました」

うんざりしたと言う伝蔵だが、口ひげの下は穏やかに笑んでいる。

「はは、ご苦労じゃった」

労う大川の目元も、柔らかく細められる。

現在、伝蔵が受け持つ一年は組は、いわゆる落ちこぼれ学級である。
学校で教える知識や技術の習得に、ものすごく時間がかかるし、すぐに忘れてしまうという困った子たちだ。

しかし、底抜けな明るさと妙なしぶとさがあり逞しい。
大川はことのほか、一年は組を愛している。
教育者のエチケットとして、おくびにも出さないが。

「では、いま学園に残っているのは」

「そうですな。六年と、五年の
一部です」

「そうか」

二人の顔から穏やかさが消えた。
緊張をはらんだ厳しいものになる。

「山田先生」

遠くを見たまま吐き出された声は、大川の心情をそのまま表した。

すなわち、哀。

「この歳になっても、わしはまだ己を正しいと言い切ることができん」

伝蔵に何が返せようか。
彼が大川の年月を越すには、まだ大分あった。

「毎年繰り返されることじゃ。だが、その度にわしは惑う」

それが最上なのか。
もっと別の道があるのではないのか。

大川の言うことは、伝蔵の、引いては忍術学園教師みなの胸中に巣食うものだ。

技術・知恵・知識。
生きる術を教えているつもりだ。

だが、そうして送り出した子供たちの多くは、死地へと向かう。

その身をすり減らし、地獄を目の当たりにする。
命を落とす者、正気を失う者、
人であるのを辞める者。


「思い出は、力になる」

ぽつりと呟く大川の背は丸まり煤け、命尽きようとする人のようだ。

「忍の里に生まれ、血飛沫の戦場が当たり前であったわしでさえ、竜王丸という友を得られねば、今日まで正気でこなかったじゃろう」

主家の道具であること。
命こそ至上。
疑うな。恐れるな。


とは、人に非ず。

「……はい」

同じように生粋の忍の出である伝蔵にも、消えぬ仲間が居た。彼らが居たから、その思い出があるからこそ、伝蔵は人で在る。

「思い出は、ただ美しいだけであるべきかの」

振り返った時にある輝かしく透明な憧憬。

「それとも、辛く痛々しくとも」

同じく泥水を啜った者がいるという肯定。

「どちらこそが、彼らを生かすのじゃろうか」


光を胸に踏み留まる者。
泥を肚に突き進む者。

誰にとって、何が最上であるのか、教師らに決める事はできない。
子供たちが憂いなく生を全うできる道を、我らが選別できるのならば

「それだけを渡してやれるのに」



月は細く細く、消え入りそうである。
星も少なく、大川の伸ばした手の先も闇に消える。

あるのかないのか。

皮膚が縮み、皺ばかりが目立つ手は、初めから存在しないかのように力無い。


「いま学園に残る生徒を合戦に投入する」

「はッ」

「期限は五日間。必ず生きて戻らせよ」

こんなものを実習と呼ぶなど、なんというおためごかしなのだろう。


「この乱世が平されるのならば、それが鬼の手に依るものであっても良いと願うのは、よほどの愚かなのかの
ぅ」


せめてもの、子供たちを生かす力たれと。

この学園は、ここに在る。

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