女主人公編

□My Dear Good Fellow
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 ――有り体に言おう。
 ゆめゆめ、ビールで鼻を洗うもんじゃない。
「痛ぇ……」
 粘膜を刺激される痛みに悶絶している俺を、呆れ果てるという表現がぴったり当てはまる顔で見ていた野郎が、これまた呆れ果てるという表現が以下略……の声で言いやがってくれたもんだ。
「何をしているんだ、あんたは」
 この野郎、と思った。
 こんなことになったのは誰のせいだ、とも。
 だが、鼻の痛みが俺にそれをするのを許さなかった。
 痛い。マジに痛え。つくづく、ビールで鼻を洗うモンじゃねぇ。
「鼻から出ているぞ。汚いな」
「ぐ、げほ、うるせ」
 鼻だけではなく、もろに気管に入った液体に噎せつつ、どうにかこうにか文句を言って、俺は野郎の差し出した箱からティッシュを抜き取った。
 盛大に鼻を嚼んだら、なんとなく楽になった気がする。
「げほ、……あー、酷ぇ目に遭った」
 ビールが苦いだけに感じたのは、幾つん時以来だろうか。
 この御時世、飲みたい時にどこでも酒が買えるわけじゃない。それを思うと、たった一口分とはいえ、美味いと思えずに嚥下したビールは、何とも勿体ないことだった。
「本当に、何をやっているんだ」
「……あのな」
 さっきと同じ台詞を冷静に繰り返した男を、ビール一口分の恨みを籠めて睨み付けた。
 そもそも、俺がビールで鼻を洗う羽目に陥った原因はこいつにある。
 そうだな……少し時間を遡った辺りから話すことにするか。
 本日、俺の同僚兼後輩兼友人兼部下であるブレンダン=バーデルが、ビールを土産に俺の部屋を訪ねて来たのは、珍しいことに夜も遅い時間――あと30分程で日付が変わるという頃だった。
 二人とも酒は嫌いじゃないが、休日前でもない日の夜中に酒盛りしようと言われたのは、奴が極東支部に配属になってから初めてのことだ。
 体が資本のこの仕事だ。翌日に酒を残す訳にはいかないから、酒盛りは休日前のみ、加えてもっと早い時間に飲み始め遅くとも23時にはお開きにするという暗黙の了解が、俺達の間には出来ていた。
 まあ……ブレンダンが夜更けに酒を飲むことは絶対にないかと言えば、そうでもないとしか言えないのも確かだが。
 だが、こいつが夜更けに酒を飲むのはごくたまにだし、そんな時は必ず独りでと相場が決まっていた。
 守るべき者を守れなかった悔しさや、朝には元気に飯を食っていた仲間が突然二度と会えない場所に旅立ってしまった悲しさを、紛らわし飲み下す――ブレンダンが夜更けに飲むのは決まってそういう酒だった。
 そういう「儀式」で、痛みを消化しようとするゴッドイーターは少なくない。
 吐くまで食う者。神機を手に訓練場に籠もる者。他人との馬鹿話に興じる者。
 ブレンダンならば、夜更けに独り、静かに傾ける数杯のグラス――「儀式」の形は十人十色だが、たった一つだけ皆に共通した認識があった。
 求められない限り、他人のそんな「儀式」の邪魔はしない――という認識が。
 だから、夜更けの止まり木で独り羽を休めるブレンダンを見かけても、俺は声をかけたりしなかった。
 経験の浅いひよっ子でもあるまいし、こっちから節介焼くことはない。必要だと思ったらてめえから救援要請を出すだろうし、それがないってことは奴は誰の助けも求めていないんだろう。
 中には、プライドが邪魔するのか何か知らないが、助けを必要としていても口に出来ない奴もいる。
 そういう奴も基本的には放置だ。
 助けを素直に求められなかったり、一人でどうにか出来るかどうかをてめぇで量れないような甘ったれは、この仕事を続けるべきじゃない。
 冷たいようだが、こちとらも命懸けて仕事してんだ。察してくれなきゃ言えません、なんて温い考えを持った奴の相手をしてる余裕はない――うん?
 ……あれ、何の話しだっけ。
 あ、そうだそうだ、ブレンダンだよ。


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