あの彼方の籠

□不幸中の驚愕
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左隣には髪の長い先輩が座っていた。
説明会の時、全校生徒の前で三点を決めてた人で、確か、二年生。一応見覚えはあるけど、名前は思い出せなかった。
第一興味ない人の名前など普通は知る必要はないだろう。いや、部員になるからには覚えておかなければいけないか。
右隣には、ぼろぼろになった週刊漫画が積み上げられていた。誰だこんな風にジャ○プを扱うヤツは。いくら先輩でも少し文句を言いたくなるな。
その漫画の頂上で微笑みむグラビアアイドルの名前も、やはり思い出せなかった。
といってもグラビアアイドルなぞにも興味はないしな。



体育館に隣接した部室棟の一室でぎゅうぎゅうに座を組み、七芝高校男子バスケットボール部の全構成員は副部長の帰りを無言で待ち続けていた。
待つのは好きなほうではない。まぁ好きな人のほうが割合的には少ないだろう。というか好きな人の気持ちが知れん。
まだ仮入部扱いの新入生が自分含め十六人。二年の先輩がその半分で、それよりわずかに少ない三年生。八畳ほどしかない空間に詰め込むには相当無理のある人数なのは言うまでもなく、運良く角のポジションを手に入れは俺なんかはまだしも、橋田中出身のセンターーー鹿島だったか。ヤツなんか特に体がでかいせいで両脇から上級生に圧迫されて本当に苦しそうにしている。でかいと不便なこともあるんだな。

退屈な時間潰しなのか幼馴染みの長谷川昴が隣で目線を落として畳の目の数を数え始めた。
そんな無意味な行為を眺め始めた直後、頬をひゅるりと風が撫でた。
鬱積した空気が辛抱たまらんとばかりに外へ流れ出していく感覚。微細な気圧の変化で、出入り口がわずかに開いたことを知る。うつむき加減だった顔を上げると、引き戸のくもりガラスに細長いシルエットが映っていた。

「……杉本、さん」

先輩の誰かの呟きに応じるように、軋む音を殺すべく錆び付いた滑車を浮かせ、慣れた手つきで戸を横にずらし、その人はようやく帰還を果たす。

沈黙。

さっきから誰一人口など開いていなかったが、改めてそう表現したくなる程、一瞬で空気の重さが変わった。眉間に皺を寄せて立ち尽くす副部長――杉本先輩の表情からして、どうやら楽観的な推測は無駄骨に終わりそうだ。……たぶん、結構な長さになる。
一ヶ月ーーくらいだろうか。それでも三年生からしてみれば充分に絶望的な期間だ。
……だが、もし。仮にもし三ヶ月なんて事にでもなったら今度は『的』じゃ済まされない。絶望そのものだ。もはや悲劇は三年生に留まらず、二年、さてはまだ正式な部員ですらない新入生にまで少なからず影響が出ることになるだろう。

『い』であってくれ

杉本先輩の第一声が『い』で始まる事を、心の中で強く祈る。さっきまでなかったはずの焦燥感が、幼少の頃バーテンダーごっこに使った缶コーラのように心臓の内側で内圧を高め出す。
その口元に、注視。
そして、ゆっくりと先輩の口角が開く方向はーー横。ああ、『い』だ。絶対そうだよあれ。良かった。かなりの困難を伴うだろうが、一ヶ月なら三年生にだって希望はまだーー

「゙一年間゙だ。男子バスケットボール部は、一年間の休部、活動謹慎が決定した」




















……は?

























四月十一日、月曜日。七芝高校入学から七日目、バスケ部仮入部からわずか四日目。
この日、俺ーー桐山周二のアイデンティティの大半が、一瞬にして消失した。
 

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