NOVEL4

□あなたとわたし6
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「あなた」
「え?」

 階段を半分上ったところで、呼び止められて、顔を上げた。年配の母親よりも、宮城の母親よりも少し年を経た人が、目の前にいた。見たことが、ある。俺は、一度この人にあったことがある。


 あの日、この階段で宮城を呼び止めた人だ。あの人の――――――。


「宮城さんと、一緒にいた方ね?」
「あ、はい」
「今日は、お一人で?」
「はい」


 上品で、静かな雰囲気の、初老の婦人。そうだろう、あの人と宮城はやっぱり10歳くらい離れていたと聞いたし、俺の母親よりも、ずっと年を重ねている。


「宮城さんの、ご親戚か何か?」
「ええ、まぁ、そんな感じです」


 『元』、だけど。


「……今は、きっと、どなたかいい人に、会えたんでしょうね。それまでの宮城さんは、何か、自分が幸せになることで、娘を裏切ってしまうみたいな、呪縛にかかっていたように見えて。それほど真剣に娘を思ってくれていて、嬉しいことでもあるのだけれど、もう死んだ人間が、生きていく人間を拘束してしまっているようで、私も主人も、正直、心苦しくもあって。当時は、やはり人の噂で、あらぬ事もいろいろ言われてしまったから」
「あらぬ、事?」
「ほら、娘は出戻りで、それで10歳も年下の高校生を、誘惑したんだろうって、面白おかしく言う人もいたのよ。ここは、田舎で狭い街だから、嫌でも、耳に入ってきてしまって。それでも、同じころに、余命宣告もされていたから、私たちには、それを否定して回るほどの余裕もなくて。実際、宮城さんと娘が過ごした場所は、病室でしかなかったし」


 どれだけ時間が過ぎても、やはり苦い思い出は薄められないのか、夫人が苦く笑うと、顔に深く皺が刻まれた。


「どれだけ宮城さんが真剣だったのかは、私たちも気づいたのは、正直、すっと後で。それから17年も、宮城さんが毎年命日にお墓を参ってくれたからなんですけどね。あの頃は、若い学生さんの、ほんの気まぐれなんじゃないかって、思わないでもなくて。娘はずっと年上で、気の強い、同年代の方でも持て余すような、子でしたから。、本当に良かったわ……、本当に。」


 それでも、それがすべての本音だろうか。自分の子供を想う者がいなくなるというのは、いくらこの世にいないといっても、それは寂しいものではないだろうか。存在を忘れらて行くというのは、悲しいものではないだろうか。


「それでも、宮城は―――多分、一生、忘れないだろうと思います」
「え?」
「毎年、墓参りに来なくなっても、それでも、今の宮城の多くを、作った存在だろうから。そんな気がします」
「ありがとう、――――ありがとうね」


 会釈をして、別れた。つい口から出た言葉だったけれど、それは、俺が確信していることで、そして、そう願っていることだ。宮城はあの日、忘れてもいいといったけれど、そんなことを俺は望んでいない。ただ、過去と比較されて2番目が嫌だっただけだった。
 俺はどうあがいてもあの人のにはなれないし、そしてあの人の代用になるのも、嫌だった。
 だけど、このいままであった事実を、時間を、すべて消去して俺を好きになってほしいんじゃなかった。過去をも思い出すことが少なくなるくらい、俺のことを考えてほしかった。俺を一番に、思い出してほしかった。
 それは、わがままだろう。それは、俺の独占欲だろう。わかってる。でも、俺は、今目の前にいる。俺は、宮城を怒らせたりもできるけど、喜ばせることも、できるかもしれない。だから、見てほしかった。目の前の、俺を。目の前で生きている、俺を。



「初めまして、先生」


 先刻の母親が置いていったのだろう、花が、まだ色鮮やかに石碑に横たわっている。それに寄り添わせるように、花屋で包んでもらった花束を置いた。淡いピンク色のリボンは、病院へ持っていくのだろうかと、配慮してくれたやさしい色だ。いつだったか見た写真。照れくさそうに視線を逸らしたまだ年若い宮城が寄り添っていた生前の先生が肩に羽織っていたカーディガンもこんな色だっただろうか。


「もう、来ないかもしれないけど、一度ちゃんと、来たかったから。俺なんかが来ても、きっと、ムカつく話だろうし。実際俺が逆の立場だったら、墓から這い出て、怒るかもしれないし」


 冷たい墓石は、なにも語るわけじゃない。答えはもらうつもりで来たんじゃない。言いたいことだけ言いに来た感じなのが卑怯っぽいけど、でも、墓の下のあの人と、俺は、これでいろいろあいこだろう。俺は言葉では勝てないだろうし、実際人生経験も浅いし。


「宮城と、生きていくよ、俺が。この先、どれだけの時間が許されるのかは、全然わかんないけど。どれだけのことが自分にできるのかも、わからない。宮城を怒らせる事はしょっちゅうだけど、幸せにしてやれてるのかも、わかないけど。でも、たった一つ、できるかもしれないことは――――一、1秒でも、宮城の後に、死ぬことかもしれない。病気とか、事故とか、災害とか、そんなもんが降ってきたときはどうしようもないけど、普通なら、宮城に、俺の最後を見てもらわないで済む。それくらいしかできないけど、ただ、宮城を、悲しませないで済むし。俺も嫌だけど――――でも、それは、頑張れば、できることかもしれないし。俺は、――――俺は、ガキで、考えなしで、我儘で、自己中だけど、宮城と一緒に明日は、生きられる。明後日も、大丈夫だと思う。あんたには、勝てないかもしれないけど、でもあんたは、宮城を作る一部だろうから――――この先も、あんたの事を忘れない宮城ごと、宮城を、好きでいる。ずっと、一緒に居られる時まで」


 海から走ってくる風が強くて、髪がばさばさだ。とても冷やりとして、気持ちがいい。何を思って、宮城が毎年ここへ来ていたのかは、もう少し年齢を重ねないとわからないだろう。ただ、少しわかったのは――――忘れてしまわないように、自分の心が、気紛れじゃなかったことを、証明したくて、自分に言い聞かせたくて、何より、もう文句の一つも言えない死者を慈しむために。


「ありがとう、ございました」



 宮城を、生かしてくれて。宮城と出会わせてくれて。俺に、宮城という人を、残してくれて。ありがとう――――そして、さようなら。『先生』
 これからは、俺が、宮城と、一分、一時間、一日、一週間……わからないけど、一緒に居られる日まで、同じ時間を、生きていくから。それでも、きっとあなたも一緒だ。
 宮城は、きっと息絶えるだろうその瞬間。俺ではなく、あなたを思い出すだろうから。
 ああ、先に行くってことは、こんなことなんだろうって。もし俺が先だったら、おれもきっと、あなたを思い出すだろう。この先、宮城は、大丈夫だろうかって、あなたと、同じことを、思うんだろう。


 ありがとう。


 俺に宮城を、託してくれて。


 俺なんかじゃ、想定外だったかもしれないけど。


 それでも、この世の誰よりも、あの世の貴女よりも、宮城を、想ってる。


「イタイ位に」


 笑いが、こぼれた。花が揺れて、そうだと、爆笑された気がした。気の強い人だったらしいから、俺が売りに来た喧嘩をきっと買ってくれてるだろう。帰りに、階段から落ちないように、気をつけよう。


「さようなら、先生」



 俺は――――今日から、一人分の人生を、一緒に抱えてく。丸ごと、宮城を好きでいるため。そうすることで、自分を、少しだけ、大人にさせたかったから。そうすることで、宮城に、近づくことできそうな気がする。そうすることで、宮城の苦しみにも、悲しみにも、寄り添える気がする。
 先生を知り、先生を受け受け入れることで、俺は、宮城を、すべて受け止められる気がするんだ。


「ごめんなさい」



 文句も、反論もできない人に、喧嘩を売りに来た。きっと、気の強いあの人は、怒ってるかもしれない。でも、背中に感じた風は、辛くなかった。後ろめたさはない。そして、刺すような風は、どこか穏やかに思えた。
 そう思いたい自分がいたからかもしれない。そう思いたいと、願っているからかもしれない。でも、宮城が想っていた人が、誰かを呪い殺そうと思っている人間だったとは、思えない。だから俺も、そうなりたいと、どこかで思っている。


 人を好きになるってことは、なんてたくさんのものを、抱え込むことになるんだろう。



「やっぱ、ちょっと、重すぎかも」



 階段を心臓の鼓動とおなじリズムで下りた。、とんとんと、心地好かった。


 宮城が何度も一人で下りただろう階段の跡を探るように、心地好かった。




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