NOVEL4

□あなたとわたし5
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「本当に悪いな、遅くならないようにするから」
「いいよ、別に急がなくても。テキトーに時間つぶせるし。前にいた病院の図書室に、少し本も持ってきたから、行こうかと思って」


 宮城は苦く笑って、俺の頭をぽんぽんと二回撫でるように叩いて、そして携帯の充電メモリを確めて、懐にしまった。


「それで、絵本か。なんで、子供向けの本の売り場に行ってたのかと思ったら、最初から行くつもりだったんだな、お前」
「うん、まぁ。長いこと世話になったし、長いこと、退院できない子供もたくさんいるし」
「お前、意外に教育者に向いてるのかもな」


 同業者は、宮城が望まないだろうから、敢えて選択肢から外した。同業者だから理解し合えることもあるだろうけど、それでは刺激はないんじゃないかと思って。俺は気分屋で、正直そんなに頭も悪くないせいか、理解できないことが、理解しづらくて、あの病院で子供たちに勉強を教えていても、何故なぜわからないかを理解するのに、自分が勉強させられたというか。


「一時的なもんだから、集中できたんだと思うし。俺の性格上、向いてないって、自覚してるし」
「ご謙遜」


 宮城が言ってくれるのだから、お世辞じゃないことは分かったし、認められるのはうれしい。親や担任に認められるよりも、宮城に認められることが一番うれしい。それでも、教えること、宮城がやっていることに、近づけるんじゃないかって、思ってた。宮城がやっている仕事を、自分なりに理解できるんじゃないかって、思ってた。それが大人になることだって、そういう風には思えなくても、知らないことを知るのは、いいことだって思っていたから。


「俺は平気だから。あんたより、あんたの家族と、仲良くできてるし」
「いうなよ、耳に痛いだろ」


 苦く一笑して、宮城はもう一度頭をさらりと撫でて、そして出かけて行った。これで、向かえる。これで、今回ここに来た意義を、目的を、果たせる。そして、俺自身が、これで、やっと、宮城とちゃんと向き合えることになると思う。今までがそうじゃなかったんじゃない、なにか、仮舞台の上に立っていたような感覚があるのは、俺が、このことと、向き合わなかったからだ。俺自身が、目線を、逸らしていたからだ。


「教えて、欲しいんだけど」
「車で、送る?」
「………ううん、いい。自分で、行くよ」


 台所で片づけをしていた宮城の母親に背中から声をかければ、どこをという言葉の前に、見透かされたような当たり前の言葉が返ってきて、鳩尾がなんとなくひやりとする。でも、たぶん、宮城は知らないんだろう、だから、当たり前みたいに、出かけて行ったんだし。


「落とし前付けに行くの」
「ヤクザの喧嘩じゃねーし。つうか、なんでお見通しなんだよ」
「なんとなく。母のカン」


 振り返って俺の顔を見るのでもなく、少ない洗い物を手元で続けて、かちゃりかちゃりと水切り籠に置いていく。買い物にいってくるから、という言葉を聞いたかのように、淡々として、面白がるのでもなく、やおらノブを倒して、水を止めた。


「バスなら、湊行き。いつも、病院行くとき、乗ったでしょ。あの病院次の次のバス停が、一番近い。長ーい階段あがれば、そこ。一回、行ったんでしょ?行けば、思い出す」
「うん。―――――わかった」
「近くに花屋はないわよ。バス乗る前に、買っていきなさい」
「うん」
「………気を付けて、行きなさい。庸のことだから、きっと、早く切り上げて、帰ってくるわよ」
「はい」


 そう、向かうのは、あの人が、眠っている、あの場所。宮城が好きだった、あの人が、眠る場所。宮城を十何年も捉えて離さなかった、あの人がいる場所へ。俺は、ちゃんと行かなくちゃいけなかった。



『先生よりも大事な奴が、できてしまった』


 そういってくれた場所だ。俺を好きだと、言ってくれた場所だ。それは、宮城が過去から、先生から、決別して、今を、未来を見ると宣言した場所だ。でも俺には、俺の、思いも、感情も、俺なりの覚悟も、しなくちゃいけない場所だった。宮城だけが、覚悟をする場所じゃなかったはずなんだ。だから俺はもう一度、会わなくちゃいけなかったんだ。
あの人と。宮城が好きだった、あの人と。


「あんたも大概律儀なのね。お母さんによく似てる」
「大雑把なところは、底抜けに大雑把なくせにって、言いたいんだろ」
「大正解」


 確かに俺は母親似で、顔も、性格も。対称的に姉貴は父さんに似てる。むしろ大雑把が目立ちすぎて、ほとんど律儀な面など誰も知らないだろう。俺自身、実際、自分の大雑把なところや突拍子のないところは自覚するところだし。


 多少覚えた街の通りを歩いて、先に病院へ向かうことにした。病院の前には花屋はつきものだし、実際2軒の花屋があったと記憶してる。何度も何度も足を運んだ。時々、遠くから宮城を見ていた。まだそんなに時間はたっていないのに、ひどく昔のことのように思える。突然別れを切り出されて、突然一緒に生活していた部屋がなくなって、そして突然宮城はいなくなった。頭が真っ白になって、なにがなんだかわからなくなって、でも、やっぱり宮城が好きで、好きだと言ってくれた宮城を疑えなくて、冷静に、平静になって、すべての情報をかきあつめて、並べ替えて、そしてそれを分析して、答えを絞り込んだ。いろんな人に助けられた。助教授のあの人も、その知り合いの医者だという人も、、病院ボランティアの人にも、宮城の両親にも、自分の親にも。
 

 自分だけじゃ、どうにもならなかった。自分だけじゃ、ああはできなかった。きっと無理にでも宮城のもとに飛び込んで、玉砕してただろう。でも、それだけ大事に思ってくれていた。それだけ宮城の心の近くにいられた。それだけ、自分が宮城の一番だってことを、思い知れた。
 うれしかった。だからこそ。俺は、ここへ来たんだ。


「わざわざこれを届けに?」
「他にも、いろいろ用事があって、でも、大学で教員目指してる友達が、こういうのきっと喜ぶって、教えてくれて」


 門真の弟や妹が好んだ本を教えてもらった。仕掛け絵本は人気があって、すぐにほころんでボロボロになる。一日中することなんてそんなにない、食事の合間に少し勉強をして、治療を受けて、検査を繰り返す。気が違えそうなくらい、遠い時間を過ごす空間。やさしい両親たち、両親の代わりをつとめる、医師や看護師たち。ここはやさしい場所だ。あたたかい時間がある。でも、突然冷たい水が、氷になるくらいまで胸になだれ込むこともある。


「すこし、ボランティアしていきますか?この時期って、帰省してる学生さんたちもいるのか、ありま人がいないみたいで」
「ご迷惑じゃなかったら。今の担当の人と、同じようには、できないかもしれないけど」
「高槻君知ってる子も、まだ何人かいますよ」


 あれから時間は過ぎているのに、まだここに縛られている子どもがいるということだ。


 男並みの体力でフロアを切り盛りしているナース長は、まだ40代だという。ショートカットの髪に、パンツタイプのナース服は淡いピンク色だ。男性看護師はまだ人数は少ないけれど、薄いグリーンの制服を着ている。そのほうが、患者にはやわらかい印象を与えるんだとか。ここは小児病棟だから、なおのことだ。聴診器や体温計には、子供が好きなキャラクターのシールやマスコットが沢山ぶら下がっている。少しでも子供が喜ぶように、ほんの少しでも、痛みや、恐怖が和らぐように。いつも、ここでは、大人は笑っている。自分が優しくなれたんじゃないかって実覚するくらいだ。
 ここで時間を過ごして、人の痛みを知った。否応なく引き裂かれる現実を目の当たりにした。そして、宮城の苦しみと悲しみに、触れた気がしたんだ。

 自分にとっての一番が、何をどうしても、守り切れず、掌から、無理やり奪われてしまうという残酷な現実を、目の前にして。



「ありがとうね、忘れないで、いてくれて」
「え」
「目を伏せてしまいたいことも、あるから。私たちは、それを仕事にしてるから、絶対に目をそらせないけど、あなたは、ボランティアだから。だけど、もう一度、来てくれた」
「そんなの……普通かと、思ってたし――――」


 年若い責任者は、実年齢よりもずっと若々しく、嫌味のない笑顔で振り返って、そして小さく「ありがとうね」と呟いたのが聞こえた。


 人に感謝されることなんて、そうなかった。ノートを貸したり、試験のヤマを教えてたりしてありがとうと言われたことはあっても、言われてうれしいと思うこともなかった。でも今は、嬉しいと思える。宮城に、褒められたと、言いたくなるくらい。


 宮城と対等でありたいと、思い始めていた。それは、何かあっても、自分が宮城から守られるのではなく、自分も宮城を、守りたいと思い始めていたからだ。


 誰かを好きになるって、そんな簡単なことじゃない。誰かの人生に寄り添うってことは、それくらいの覚悟も努力も、とてつもない大きさで必要なんだってことが、わかったんだ。まだ、高校生だった宮城が、その時、どんな思いで病院へ通っていたのか、俺は知るべきだと、思っていたから。そうしないと、宮城と同じ位置に、立つべきじゃないって、ずっと、もうずっと、思っていたから。宮城にはうざいかもしれないけど、でも俺は、宮城に、追いつきたくて、宮城にとtって、対等な存在ででありたかった。



「白い、カサブランカを、花束にしてください」


 
 潮の匂いに、きついけれど心地よい香りが混じる。心が、引き締まるきがした。そして、長い階段に足をかけた。

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