NOVEL3

□1周年リク「夏祭り」
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「今日、帰ったらすぐに出かけるから、支度しとけよ」
「どこか、行くの?」


 忍はカレンダーを一度見やって、不思議そうに見上げてくる。特に予定は書きこんでない、無論だ、今朝決めたというか、発作的に自分かそうしようと決定したことだから。


「どこ、行くの」
「実家。俺の」
「何で?向こうで何かあったのか?」
「何かあるから、行くんだよ。今日講義3コマで終わりだろ?俺もだから。ガソリン入れて、少し買い物してから戻るから、お前の方が先だろう」


 は?と、もっと食って掛かりたい顔をしていたけれど時間がない。今朝は少し寝坊した。何かと金曜日って奴は疲れてるんだ。けれど、この機を逃せば、なかなかこの先、機会はないかもしれない。何せこのお坊ちゃまは、意外に出不精だからだ。そんな忍を連れ出す時は、俺が全面的に計画実行を遂行しなければならない。基本、俺が行くというところに、忍は拒絶しないから。



『野菜と一緒に、浴衣送るわね。あんたのは父さんの仕立て直しだし、忍君のは、あんたの仕立て直しだから』
「直さなくったって、そんなに変わってねーだろ」
『あんたは父さんよりも小さいし、忍君はあんたより細いもの』
「ああ、そうですか――――あ、野菜だけ送って、浴衣、いいわ」
『何よ、着ないの?時間の合間に直したのに』


 取りに行く。ここの花火大会は、人出が多すぎて、忍は絶対に見に行こうとはしなくて。せっかくマンションの上階に住んでいても、向かいのマンションのせいで、遠目にも花火は見えないし。まぁそもそも、そういう喧噪のない場所を選んで住んでるわけなんだが。


「山の社の祭り、まだやってるよな?」
『何、あんな地味なの行くの?そっちの方が、大花火とかやってるんじゃないの?』
「人ごみ、酔うんだよ、お坊ちゃまだから」
『意外に繊細だから。でも、どこか連れて行きたいんだ、殊勝なことじゃない』
「普段、どこにも、連れていけないから」


 夏休みに入れば、もっと人出は多くなる。忍もじきに夏休みだ。休みに入っても俺も完全に仕事がない訳じゃない。講義のない間に、論文も進めなくてはならないし、研究報告もしなくちゃいけない。成績もつけなくちゃいけない時期だしな。




「やだ、まだ余ったわ。骨格細いのね」
「暑くて、少し、食欲なかったから」
「庸はそれなりにどっしりしてたから丸太みたいだったけど、あんたは若竹ね。細くて、長い」


 母親はうれしそうに着付けをしていて、自分は流石にこの年齢だから、それなりに着なれたものだ。箪笥に眠っていたのか、しょうのうの匂いがしているが、糊付けされて、パリッとしている。藍に流水紋、確かに、昔親父が着てた気がする。忍のは、俺のお古だ。白地に紺の格子模様が入っている、濃紺の帯で締めるもんだから、いっそう腰の細いのがわかってしまう。


「いってらっしゃい、お小遣い……って、子どもじゃないから、いいか」
「はい、行ってきます」
「そのまま、帰らないんでしょ。浴衣、ちゃんとクリーニング出しなさいよ。汗染み、できちゃうから。お米、新米になったら、また送るわね」
「ありがとうございます」


 住んでる所は、比較的海に近い方だけれど、裏には山が連なっている。山手は山手で山神を祀った社があって、祭りがある。海には水神を祀る海の祭りがあって。どちらかと言えば、山手の祭りは地味だ。けれど古くからあるもので、露店も多いし、山道からずっと続く参道には灯明が連なって、幻想的ではある。海手の祭りは大人も相当酒が入るから何かと危ないと、子どものときは、小遣い銭をもらって、山の祭りにしか行けなかった。


「タヌキとか、出てきそうだな」
「いたよ、昔は。今は民家が増えて、いなくなったのか、あんまり見なくなったな」
「そうなの?マジに?」


 都会生まれの都会育ちの忍には、珍しいことだろう。加えて出不精で、友達とテーマパークにもいかないようなこいつには、新鮮だっただろうか?


「でも、なんで、わざわざ故郷帰ってきたんだよ」
「浴衣も着れるし、なにより、祭りの人口密度、低いだろ。お前、人多いの嫌いだし」
「……気、遣ってくれたんだ」
「お袋が、浴衣、野菜と一緒送るって言ってたから、ああ、ここの祭りあったなぁって思い出して。俺も、懐かしかったし。お前、こういうの、知らないかなぁって、思ってな。つまらなかったか?」


 否定形の自分の問いに、忍が肯定するわけもないと確信しながら、尋ねてみる。背中から銃口でも突き付けられたかのように飛び跳ねたように忍の表情は弾けて、ブンブンと効果音でもつけたくなるほどの勢いで、頭を振って、否定してくる、マンガみたいな忍の動きが可愛らしくて、思わず自分も笑いが漏れてしまう。


「こんなの、知らないし。なんか、昔の映画に出てくるみたいで、なんか、不思議な感じがする。昔話の、世界みたいで」
「……昔話は、ちょっと行きすぎだろ」


 でも、延々と山頂の社まで続く提灯の淡い光と、反してどこか俗世的な露店の明かり。電源をとれないから、発電機の音が少しうるさいけれど、甘いカステラや綿菓子の匂いや、香ばしいいか焼きやたこ焼きのソースの匂い。もうもうと白い湯気や煙を浴びながら、なれない下駄で歩く素足の忍は、細くても健康的に見えた。


「あれ、何?ダーツじゃないの?」
「射的だ、コルクの弾詰めて、空気銃で景品倒すんだよ」


 本気で欲しくもないだろう安い景品に、それでも忍は躍起になっている。薄らと滲んだ汗も、きらきらと無垢に輝く表情も、都会でも、マンションの中でも見れない忍の顔だ。これが、俺は見たかったのかもしれない。


「宮城、とれた!」
「お、やったな」


 時々、俺の顔を見ては、『あれ?』という表情をする者もいた。長らく離れたけれど、故郷だ。顔見知りもいたかもしれない。一緒にいた忍は、俺の息子にも見えただろうか、あいつは、年齢よりもずっと若く見えるし。それでも、気にならなかった。頭のいい、偏差値も高い、常にトップクラスの成績を保っている忍が、ああも無邪気に、当たるはずもないくじ引きや、随分割高な露店の食べ物に目を輝かせているのは、何とも言えず、新鮮だ。



「宮城!花火!」
「始まったな、スポンサー少ないから、短いからな。ちゃんと見とけよ、すぐに終わっちまうからな」



 山の社の祭りに来ていいことは、同じ日に港でも水神を祀る祭りを見下ろせることだろう。僅かだけれど、商店街が出資して花火が打ち上げられる。派手なものではないけれど、ちゃんとした、新潟の方の花火師を呼んでのものらしい。


「すごいな、きれいだな、宮城」
「ああ」
「俺、すげー久しぶりだ、花火見るの」
「そうか、俺もだ」


 忍の瞳に映っているのは、色を付けた火の花びらなのだけれど、それ以上にお前が普段よりも表情に花を咲かせているのが、俺には何にも代えがたい。
 いい、夏だ。遠い場所まで来たけれど、普段着ないような浴衣姿で子どものように屈託なくしているお前も、花火も、少し寂しげな灯明の淡い光も、どれも、きれいで、泣けそうだ。だから、皆が花火に視線を向けているので、そっと忍の手を握った。

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