NOVEL2

□慣性と耐性 後編
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『やだ、怒ってる!どうしよー!』


 黄色い甲高い声が、一層癇に障る。電話先がまだ騒がしい、男も女もいるんだろう。ざわざわとしたBGMが、忍には似つかわしくないと、その背後の雑音さえ、今の自分を苛立たせる。というか、個人の携帯を、いったい誰に触らせてるんだ、忍は。


「……一体なんなんだ、悪戯か?人の携帯で」
『宮城さん?高槻君の、保護者っぽい人ですか?』
「は?」
『携帯の履歴見たら、宮城さんって人しかないから。高槻君、爆睡しちゃってるんですけど、お持ち帰りとかしちゃっていいですか?』
「人間をテイクアウトするな。今、どこだ。すぐ迎えに行く。動かすな、触るな、あいつ、酒癖悪いから、暴れるし、吐くし」


 『え、やだ?!ほんとに?!』とか『ヤバい―』とか、軽い言葉が続く。不愉快だ、忍の携帯を勝手に開いたことも、出かけた相手が男女混合だったということも。一体全体、忍は何をしているんだ、爆睡ってなんだ。いったいどれだけ飲ませたっていうんだこいつら。仕返しにいっそ泡盛かテキーラもでも飲ませた直後に高速メリーゴラーンドに括り付けて、酒というものの存在をこの先一生後悔させてやろうか。忍にいったい何をしたんだ……!!


『すみません、高槻、本当に寝ちゃって。連絡先、ここで間違ってましたか?』


 少しはまともな会話をできる相手に代わったのか、喧騒から少し離れた場所で、今度は男が続けた。それはそれで、何か釈然としないのだが、こちらが目上だとわかっているのか、折り目のある話し方に、全面的に腹は立たなかった。


「いや、今、保護者の代わりに、忍を預かってる。迎えに行くので、そちらの場所を」
『教えていただけたら、送ります』
「いい、駅からも遠いし、車を拾うのも難しいだろう。場所を教えてくれ」


 大学からはそう遠くない繁華街だけれど、都心ではない。とにかく、すぐに引き離さないと、忍に馬鹿がうつりそうだ。……って、顔も見たことないし、どんな奴かも知らないけど。
 うちの大学の生徒でもそうだが、普段の話し方一つでも人が分かる。目上に使う言葉と、同級生に使う言葉位、使い分けられなくて、この先まともに就活なんてできるとでも思ってんだろうか。今にセンター入試とかで日本語とか教科にならねぇだろうな、情けねぇ。


 短い風呂だったから、少し背中がうすら寒い。それでもやはり季節はいい方へ向かっている。薄手の上着を羽織って、車に乗り込んだ。結局、晩飯は食いそびれてしまった
。帰りに、コンビニで何か軽いものをつまんでいけばいいのだけれど、せっかく早く帰ってきても、かみ合わない。朝から「今日は早く帰る」と、そう忍に言っておけば、忍は出かけることなどなかっただろう。忍に我慢を慣れさせたのは、俺だ。なのに俺は、多少のことを、我慢できないでいる。何の耐性もできていない。
 今日は早く戻って、忍と一緒に夕食をとって、明日また仕事を片づければよかった。自分基準で動くのは、本当に嫌な癖だと思う。誰かと一緒に生活をすることの意味を、未だにわかっていない。学習していない。年ばかり食って、何も、成長していない。


「すみません、今回は無理に、誘ったかも」
「そんなに、飲んだのか?」
「いいえ、乾杯の時にビールをコップの底1cmだけ。あとはずっとコーラとか飲んでたみたいだけど」
「それだけしか飲んでないのに、爆睡?!ありえねぇだろ?」
「だから、ちょっと怖くなって、連絡したんです」
「ああ、そうか―――」


 テーブルで自分の腕を枕にして眠っていた忍を脇から抱え上げて肩に負う。ああ、やっぱり、少し軽い。結構食うけど、それでも精一杯食べていて忍は辛うじて平均に達しようかという位で、少し食生活がおろそかになると、すぐに反映される。もともとが太りにくいのと、骨格そのものが細いのが難点だ。


「悪かった、せっかく誘ってもらったのに。少し、体調悪かったのかもしれない」
「そうですか、すみません。高槻、ここ最近少し元気なかったみたいだから、気晴らしになるかと思って、結構無理に誘ったんです」
「――――そうか、すまない。忙しくて、体調管理を、してやれてなかった」
「これ、高槻の鞄です」
「ああ――――これは、忍の分だ」


 ほとんど飲食していないと思えたが、多少なりと迷惑をかけただろう。忍の存在は、大学では少し異色、と気が付かれているかもしれないが、こうして誘ってくれる友人は、忍にとっても大事なはずだ。家を出る前から、封筒に少し多いくらいの食事代を包んできて、正解だった。


「いいです、高槻、殆ど食べてないし」
「じゃあ、次、また誘ってやってくれ。昼飯とか」


 最後の一言は余計だったかもしれない。けど、それを聞いた、電話の相手は、苦笑いを臆することなく見せた。


「夜は、駄目なんですね」
「……そうだな、夜は、遠慮してもらおう。人から預かってる、大事なご子息だ」
「大事な、同居人、ですか」


 背の高い、黒髪の、利発そうな学生。多分、こいつはT大の同級生だろう。黒い目の向こうの、どこか挑発的で、威嚇的な視線を、どう解釈すればいいのか。それは、一体何への対抗心から来るのか。


「そうだ。それにもともと、身体も頑丈じゃない」
「細いから、高槻は」
「外見より、もっと細い」


 脱いだら、もっと細い。見せないけど。お前は、一生涯知ることもないだろうけど。って、何を俺の方が挑発に乗ってるんだ。いい大人が、もっと冷静に、スマートに、かっこよく、いられないんだ。完全に、むきになってるじゃないか。警戒しろと、伏せているはずの理性がピリピリといきり立っている。この先、自分を悩ませる存在になると、本能が直感的に感じているのだ。


「―――宮城さんって、36歳?」
「それが、なにか?」
「いいえ、年齢より、随分お若く見えたので」


 否定するべきだったことを知るのは、もっと先のことだ。まさか忍が、個人的なことを大学で話しているなんて、思いもしなかったから。


「飲みなおしてくれ、悪かった」
「いいえ、高槻を、よろしくお願いします」


 『お前に言われなくても』と、喉の奥から込み上げて、歯の後ろまでこみあげたその言葉をなけなしの、大人としてのプライドと耐久力で持ちこたえた。にこりと笑って、そして忍を抱え上げて、店を出る。後部座席にそっと寝かせて腕を引くと、忍が冷やりとしたシートに気付いたのか、薄らと目を開けたのが分かった。開けてほしいと、どこか乱暴に寝かせたのは否めない。それほど、自分は、いまどうしようもならないほどの焦燥にかられていたのだ。あの落ち着き払った黒い瞳に、自分のどこかうす暗い部分を見透かされたような気がして、そして、その黒が、忍を捕えているような気がして。


「……どうして――――?宮城……」
「悪かったな、早く帰れたんだけど、お前のメール、、見てなくて」
「いいよ………慣れてるし――――」
「慣れるなよ」


 自分以外の誰かに、慣れないでいてほしい。その鼓膜も、皮膚も、感覚全てを、自分を基準にさせたい。他を知ってほしくない、自分しか、知らないでいてほしい。
 身体も声も、そのどんな小さな記憶も、自分が最初でありたい。


「……慣れないと、やっぱ俺が我儘になるだろ」


 後部座席から、囁く程の小さな声で、忍が本音を溢す。それは、自分がかつて何度も「これだからガキは」と、忍に対していったことが、忍にもしかすると、自分が簡単に言葉にした以上に重く、深く、染み込んでいたということなんだろうか。俺に染まるために、忍が慣れざるを得なかったことだというのだろうか。


「我儘でいい。お前なら、もっと我儘でもいい」
「……訳、わかんねー」


 お前の我儘なんて、小さすぎる。最近は、俺の我儘の方が肥大してる。お前を今から眠らせないほど抱くことも、これから先、絶対が付くほどに大学の友人たちとの付き合いを規制することも、携帯にロックをかけることも、それから、それから――――


「宮城―――早く、帰ろう」
「ああ、だから、迎えに来たんだろ」
「うん」


 俺の慣れは、お前基準の人生になってしまっているということ。その慣性はもう揺るがない法則レベルになってしまっているけれど、耐性はまだ発展途上中。というか、日々薄くなっていっている。今に「大学を受け直せ」とか言い出しかねない自分がいそうで、怖いのだ。


「飯、食ったの」
「今から食う、お前と、お前も」


 なんだよそれ、と、忍がくすくすと、笑っていた。隣にいたのか、女の移り香が鼻について、窓を全開にした。それは、俺の匂いではないから、やはり慣れないのだ。

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