NOVEL2

□愛しいものへ番外編1
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「ありますよ、院内学級。でも、どこも人手不足で、なかなか継続的にやってくれるボランティアって、見つからないんです」
「お前の病院も?」
「はい、うちも。自分たちが見てあげれたらいいんですけど、外来や手術が入れば、どうしてもそんな時間は出来なくて」
「ふーん」


 自分の大学にも教職希望の学生はいる。それでも、殆どが中、高教員を目指している。なかなか、お子様の相手をしようという生徒はいないらしい。でも、自分だったら、同じ生徒を小中高一貫くらいで、育ててみたいという気がしないでもないが。


「ヒロさんが病院のこと聞くなんて、珍しいですね」
「……なぁ、それ、なんかボランティアネットみたいの、ないのか?」
「ありますよ、病院を事務局にして」
「頼み―――、あるんだけど」
「はい?」


 おせっかいだっただろうか。それでも、自分が教えている同じ年齢の生徒が、個人的な理由で大学を完全に休学してしまうのは、もったいない。実際、学費を払っているのは親だろうし、なにより、その者が一人入学するには、誰かが落ちているのだ。選ばれて入学したのだという自覚を、忘れないでいてほしい。赤の他人が、正直本当に余計なお世話だ。自分が逆の立場だったら、正直面倒だと思うかもしれない。

 けれど、尊敬する教授に関わる事だ。少なからず、今までも何かと関わりを切れない場所にいた。勝手に、自分を教授の相手だと誤解されたこともあったし、教授は突然講義サボって飛び出してしまったりしたのも、彼との事がこじれた時だったと思う。
 もうどこか、不器用な子供の親の心境だ。……決して自分たちが今そこそこ安定しているから、という余裕を感じているからではないけれど。あの二人を見ていると、危なっかしくていけない。ただでさえ、上司の息子、離婚した相手の実の弟、男、しかも付き合い始めはまだ高校生。リスクだらけの関係なのに、あれだけ地位も名誉も自分のものにする教授が、敢えてそれを自分の身に降らせたってことが、今でも不思議というか、疑問というか。それでもなお、止められないというのが、性なのだろうか。基本感情の生き物だから、人間というのは。でも……ああいうの、時効って、あるんだろうか。未成年に淫らな行為……って奴に、あまりに立派に当てはまる気がするけど。




 T大の帰りだと、夕暮れの研究室をひっそり訪れた、彼。今はこの大学には彼の親である学部長も不在で、そして恋人であった者も、どこかへ失踪中だ。もうここへは来ることはないかと思っていたけれど、所在無げな顔で、彼は部屋の前で立っていて。


「どうした、何か、わかったのか?」
「なにも。あんたに言われた通りに、毎日郵便物覗いてるけど、まだ来なくて」
「締日があるだろうから――――、こちらにも何も連絡はなくて。研究室も、鍵がかかったままで、入れないし」


 あまり食べていないんだろう、少し、痩せた。もともとが華奢な体なのに、正直怖い。壊れはしないのだろうかと。


「そう、何か、わかったかと思って――――ごめん、あまり来ない方が、いいのに」
「学生がキャンパスにいても違和感ないよ。甘いの、大丈夫?学生が、なんでも上等らしいココアをくれて。外も寒いから、飲んでいって」


 どこか外国のチョコレートの店のココアは、そこらのコンビニやスーパーで売ってるものとは匂いも違う。今は、温かくて、甘いものであればいい気がした。甘いものは、心を少し和らげる。気休めにもならないだろうけど、それでも、一人で苦いコーヒーを飲むよりはいいかもしれない。


「聞いていいものかどうなのかわからないけど――――」
「なに」
「17歳も年上の相手を好きになるのって、どんな覚悟だったのかな、って」
「別に、覚悟とか、決めてきたわけじゃないし。っていうか―――覚悟が必要だったのは、宮城だろうし。俺は……ただ、ただ、向かっていくしかなくて」
「ああ、そうなんだ」


 でも、そこへ突き進む覚悟は必要だったはずだ。躊躇いもあっただろう、自分の姉の旦那だ。そう、男だ。年齢差は抜きにしても、相手が同性だったことに、少しの覚悟もない訳はない、いくら向こう見ずな若さがあったとしても。


「おかしいと、思う?」
「―――いいや、多分、誰かを好きになる時、一般常識的に求められるものは、何の役目も果たさない。そこにあるのは、好きだという真実と、そしてそれをどうしようもできないという現実だけだろうと思うから」
「………多分、その通りかもしれない」


 一途で、悲しいくらいに純粋だ。やっている行為は、世間からは綺麗に言われないかもしれないけれど。まだまだ偏見は大きいし、何より、互いの立場があまりに微妙だ。ただ、一つ驚いたのは、特攻隊長のように何度もここを襲撃してきた彼が、今は、相手のことをちゃんと見て、思っているということ。『覚悟が必要だったのは、宮城だろうし』、その一言に、彼がちゃんときちんと、向き合っていることを知る。簡単な思いで、向かっていったのではないことを物語る。

 必死過ぎて、それは時に傲慢すぎるかもしれないけれど、けれど、根底に流れるものは、清くて真っ新だ。新しい木綿のように、きりっとしている。彼からはそんな印象を強く受ける。やっぱり、追いつきたいとか、相応しくありたいとか、彼もまた、思うのだろうか。野分が、いつもそういっていたように。
 だとしたら、この若者の覚悟たるや、もう玉砕必至の神風特攻隊だ。そんな小さな体で、まだ世間の入り口にやっと立ったような子供が、17歳も年上の相手を想い、守り、傍に寄り添おうと。それが、どうして可愛くないと、思えただろう。教授は、きっと、何に代えがたいと思うほど、可愛いと、思ったに違いない。


 自分は、せいぜい4歳の差の者から告白されても、疑いをかけずにいられなかった。まして面識のある、姻戚関係の同性から告白された時の教授の衝撃は、想像にさえ至らない。けれど、それを受け入れるだけの感情があればこそ、一線を越えてしまったのだろう。決して踏み越えてはならない、大きな境界線を。


「教授が、何を考えて今回の行動を起こしているのか、俺にはわからないことが多いけれど、でも、君ならきっと辿りつけると思う―――。いや、辿り着いてほしいと思う。時間がかかってもいい、でも、必ず、帰ってきてほしい」
「うん――――」



 彼がしばらくして、教授を追おうと遠くへ発つことを聞いて、「大学はどうした?」と聞いたのは、教授の代弁という気持ちだったかもしれない。返答に詰まった彼に「病院でも勉強に関わっていた方がいい」と、学生ボランティアの話を持ちかけた。その話を、そのままT大に持っていくと返ってきた声が、少し前向きに聞こえた。


 君なら、変えられるのかもしれない。どこか、すべてのことが他人事で済ませようと、自分を守り続けているあの人の殻を、砕けるのかもしれない。若さという火薬で、好きだという発火材で、打ち破れるのかもしれない。そして、むき出しになった弱さをも、守ってやれるのかもしれない。枠に収まらない、その想いで、強さで。二人の弱さも、いつか強さに変えられるのかもしれない。


 そんな鋭いまでの一途さが、羨ましかった。そして、どんな顔で、また戻って来てくれるのかを、心待ちしている自分に、正直驚いた。遠くに一人旅に出す、親の心境だということにも、少し呆れた。




 

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