NOVEL2

□愛しいものへ15「未来」
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「―――城、みや――――」


 衣服を全て脱いだ宮城の体は、なんだか貧弱に見えて、可笑しかった。看護師が「流動食さえ半分しか食べないのよ、あの先生」と、こぼしていたのを聞いて、不安になった。普段結構食べていた宮城が、おかゆみたいなものでも半分しか食べないのかと。以前風邪をひいたとき、丼鉢いっぱいのおかゆをすべて食べたくらい、宮城の食事量は多い方だった。痩せてしまうんじゃないのかと、食べないと体力が回復しないんじゃないのかと。


「宮城、痩せた――――」
「少し、な」


 身体の上に乗ってくると、結構息苦しさを覚えるほどの重さだったのに、今はそうでもない。身体は辛くないのかと、傷に響かないのかと、下になっている自分が心配になる。けれど、宮城は止まることなく、身体を侵していく。耳に、首に、胸に、唇が落ちてくる。吸われて、噛まれて、そして、飽きることなく、唇を重ねて、深く、舌を絡め取られる。気持ちのいい、息苦しさ。ずっと、待っていた。何度夢に見ても、満足できなくて、寂しくなって。変わらない、宮城の声。宮城の息遣い、宮城の、体温。
 宮城の感触。宮城の――――宮城の―――――


「みやぎ――――」


 好きだ。好きだ―――やっぱり、宮城じゃないとだめだ。


「宮城―――みやぎ、みや――――」
「忍」


 全身が、宮城を覚えている。宮城の方が病み上がりの癖に、俺を心配したように覗き込んで、案じてくれている。そして、ゆっくりと、気遣いながら、身体を進めてくる。宮城が、入ってくる。繋がる痛みと、満たされていく心地よさに、声が止めれられない。涙が出る。震えが、止らない。


「宮城――――好きだ――――」



 何度言ったら、宮城は分かってくれるだろうか。何度抱きしめたら、伝わるだろうか。宮城が好きだ。全部が好きだ。好きなんだ。


『庸のやることはいつでも奇想天外。学校の先生好きになったり、結婚したかと思ったらすぐに嫁さんに逃げられて、でも全然堪えてないみたいで。電車降りるみたいに簡単に離婚したかと思えば、今度は癌騒動でしょ。もう多少の事じゃ、驚けない』
『でも、仕事、ちゃんと認められてるし』
『仕事して、あの子が幸せならいいのよ。でも、なんか、やっぱりいい年のおっさんが、一人で我武者羅に仕事してるのって、やっぱ寂しくない?あの子が変わったのは、、こういうことだったんだ』
『え?』
『大事なものが、出来たんだね。また。もう二度と、何かを大事にしたり、守ったり、しないのかと思った。仕事にしか関心がない、薄っぺらい人間のまま、終わるのかと思った。あの時から、足がすくんで、動けなくなっていたのかと――――可哀想でね。あんなに大きくなって、おっさんになってるんだけど、やっぱり、息子だから』


 がしがしと、よく働いた手で、母さんとはまた違った手で、頭を掻きまわすように撫でる。多分、俺とこういうことまでしてるってことは、また奇想天外の更にその上なのかもしれないけれど。わからないけど、でも、ただ一つ、『宮城庸って人間を、大事に思っている』ってことだけは、認めてくれたんだろうと思う。
 そうだ、俺は、好きとか、愛してるとか、そんな言葉でくくりたいんじゃない。ただ、今はただ、宮城が大事で、生きてほしくて、無事でいてほしくて、ただ、それだけだったんだ。言葉が欲しい、真実が欲しい、それだけだ。
 宮城が、ただ宮城が、前のままで、いてほしい。俺の名前を呼んでほしい、必要として欲しい、求めてほしい。


 優しいまでの吐息と声を漏らして、見ているだけで、顔が熱くなりそうな程艶めかしい顔で、宮城が僅かに顔を歪ませて、そして、動きを止めた。自分の中で、熱くなって、溶け込む瞬間、ほんの数秒だけれど、宮城と少しも逸れることなく見つめ合って、そして、その後、長く口づけた。


 ああ、気持ちがいい。優しい。温かい。そして、愛おしい。宮城が、こんなにも好きだ。前と変わることなく、それ以上に。宮城が、好きだ。


「体、大丈夫なの」
「ああ、大丈夫。―――ただ、体力不足」
「ちゃんと食わねぇからだろ」
「これから、ちゃんと―――食べる」
「うん」


 髪を撫でていた手の動きが、次第に間隔を長くして、そして、頭に手を乗せたまま、宮城が目を閉じる。そのまま、静かに、呼吸を繰り返すだけになって、寝息をたてはじめた。前のように、難しい顔をしなくなった。穏やかな顔だ。優しい顔をしている。
 空調は管理されているだろうけれど、肩が寒そうで、毛布を掛ける。小さくなった、肩。もともとそんなに無駄な肉がついていたわけじゃないのに、筋肉まで痩せたんだろうか。宮城の体温が、音もなく伝わる。けれどそれは、確かに規則的な命を刻んで、そして宮城を生かす。この温かさは、未来に続いてる。ずっとずっと、続いてる。
 その未来に、自分も一緒に、いることが、できるだろうか。10分後には、まだ一緒にいるだろう。1時間後も、多分一緒だ。それ位、少しずつでもいいだろうか、自分たちは、それ位ゆっくりと、小刻みの未来を、一緒に進めばいいんじゃないだろうか。


「宮城」


 髪に触れて、頬に手を当てて、存在を何度も確かめる。温かく、少し髭がざらりとして、汗が引いた額はひんやりしていて、吐く息から、少しも煙草の匂いがしない。何度も重ねた唇からも、いつも感じた煙草の味はしない。だけど、それは、宮城だ。


「………宮城………―――」


 大事な大事な、俺の、宮城だ。世界でただ一人だけの、宮城だ。そして、その親にとっても、やっぱり世界でただ一人の子どもである宮城なのだ。言葉は少なかったけれど、短い言葉の中で、子供を案じていたその父と、軽く飛ばしていたけれど、その中に込められるたくさんの想いを抱えていた、その母と。ただ一人であるという人間が、どれだけたくさんの人間と関わって存在しているのか、知った。俺も、やっぱりそうだったように。


『やっぱり、待てなかったね、忍。お前が、家で大人しく待っているとは思わなかったけれど』
『ごめんなさい―――俺』
『世話になっている宮城君の一大事だから、お前が何か恩返しをしようというのは分かる。それでも、お前が出過ぎたことをすることで、迷惑をかけないこともない。お前ももう大学生だ、成人も近い。自分の立場と、身の振り方を、ちゃんと考えなさい。それでも、おまえが教職に関心を持って、院内学級のボランティアをするのは、いい経験だと思う。私も教育者として、それは、嬉しいことだとだからね。』
『ありがとう、父さん―――』
『お前の突拍子無いのは分かっていたけれどね。くれぐれも、宮城さんに、ああ、ご両親にご迷惑をかけないようにね』
『はい、父さん』
『待っているからね、ちゃんと、帰っておいで』
『はい』


 母さんは、本当に問題無いように、話してくれたんだろうと思った。もっと、叱られるかと思っていたから。それでも、すぐに帰って来いとは言わないのは、母さんがきっと、間に入ってくれていたからなんだろう。自分が明日に向かえるように。未来をちゃんと見据えることができるように。後ろを振り向いたまま、顔をあげられないなんてことにならないように。


 未来へ。向き合いたい。でも、宮城と一緒がいい。自分だけじゃ、きっとこの目は、どこかを彷徨ってしまいそうだ。両方の両親が教えてくれたことを忘れないように、宮城と、前に進みたい。

 ずっとこの先へ。


 でも今は、少し眠ろう。――――酷く疲れてしまった。安心したけれど、なんだか、とても、疲れて―――しまったから。
 宮城の胸の中に潜りこんで、あっという間に、深い眠りに落ちた。次に目が覚めるのが、そんなに先の話とは、思いもしなかった。
 もしかしたら自分は、宮城に会いたいあまりに、リアルな夢を、ずっと持ていたんじゃないかと、不安になるまで。
 目が覚めなかった。





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