NOVEL2

□愛しいものへ14「運命」
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 流石に、退院したなりに東京までの道は無理だと、宮城は見覚えのある場所で車を止めた。そこは、初めて宮城の故郷へ連れてきてもらった時に泊まった、全国チェーンのホテルで、初めて宮城と身体を重ねた場所でもある。

 自分たちが、やっと最初の一歩を踏み出した場所だ。始まりの場所で、忘れられない場所だ。


「早く、免許、取れよ」
「うん」
「少し、痩せたか、おまえ」
「ううん、あんたの家のご飯、以上に量多かったし。逆に太ったかも」
「そうか、あの人、料理はそこそこ上手だから」
「うん、うまかった」


 車内では、なんだか何事もなかったかのような会話が続いたけれど、チェックインして、部屋に入るなり、宮城は少し細くなった身体で、座るよりも先に、背中から抱きしめてきた。ああ、やっぱり、見た目だけでも少しやつれていたのは分かっていたけれど、こうして、落ち着いてその身体を受け止めれば、痩せて、どこか頼りなげなのが、わかってしまう。


「――――ごめん、俺は、お前を、あんな辛気臭い場所に置いておくのが、どうしても許せなかった。俺の勝手で、俺の都合で、お前を振り回してしまうのが、どうしても嫌だった」
「………あんた、自分に、重ねたんだろう―――?先生の時みたい、自分が、あの時何もできないまま、先生を見送ったから」
「毎日でも誰かがあの場所で命を終えている、そんな場所だ。冷静でいられない、医者が傍にいるからって、安心などどこにもない。俺は、この先、何年かは再発を警戒しなくちゃならない、正直、自分も、冷静でいられないかもしれない、何でもないことで、お前に当たってしまうかもしれない、弱音を吐くかもしれない――――実際、親にも、当り散らした。だから」
「だから、俺を遠ざけたの」
「酷いことを言って、酷いことをした………お前に」
「宮城」


 大人なはずの宮城が、寂しい顔をしていたのを知っている。遠目だったけれど、それでも宮城は毎日、あの場所で生きていた。おしゃべりな看護師は、「ああいうタイプは、大丈夫、現場の直感」だといっていた。だけど、僅かにも痩せていく宮城は、顔は次第に険しく見えるようになって、いつも頼りなげだった。いつも、全力で飛び込んでも抱きとめてくれるような強健さは、あの病院の中ではどこかに消えていた。薄らと伸びた髭も、蒼白い顔も、俺を安心させてはくれなかった。あんなに弱り切っていた宮城を、俺は知らない。何もかもをなくして、何のために生きているのかわからないくらいの。仕事に打ち込んで、何かを成し遂げようとしていた頃の覇気もどこにもなくて。目の前に飛び込んで、「絶対大丈夫だ」と、言い切ってやりたかった。「何をされても、何を言われてもあんた傍から、離れない」と、怒鳴ってやりたかった。抱きしめて「俺がいるから」と、――――眠るまで手を握っていたかった。不安なら、不安がなくなるまで、大丈夫だと言ってやりたい。眠れないなら、眠るまで話をしていてもいい。宮城のために、何かをしたかった。宮城が自分を必要としてくれるなら、どんなことでもできると思っていた。でも実際は、遠くから見守る事しかできなかった。もし、宮城からもう一度拒絶されたら、こんな俺でも、結構堪える。信じていても、やはり、突き放されるのは、怖い。



「洗濯物取りに行ったら、用が済んだら帰れっていうのよ、あのバカ」
「宮城、調子、悪いの?」
「経過は良好だって、主治医の先生は言ってたけど。その後の治療とか、検査とか、長いんでしょ。みて、この雑誌の山、全部持って帰れって」
「本、少し、持っていったら?宮城、いつも本読んでたし、退屈なのかも」
「そうしてみようか、忍君、なにか、いい本とか、わかる?」
「考えてみる」



 宮城の母親は、特別自分を客扱いはせず、あれこれと手伝いや用事を言いつけてくれた。でも実際それが救いで、そのお蔭で他人の家とはいえ、そう肩身を狭くせずに過ごせたと言ってもいい。
 母親たちは、一体自分たちのどこまでを知っていて、そして認めてくれているのか、ついに訊けなかったけれど、はっきりしていたのは、自分を止めるつもりはないという事だった。自分の母親は出発前困ったように笑って、そして頭を撫でてくれた。大学生の息子なのに、体が弱くてよく寝込んでいた小さい頃の自分をなだめるようで、何も変わることなくて。
 宮城の母親は小さな飲食店の女将という商売柄か、細かいことは一切言わず、電車の到着時間に合わせて駅に迎えに来たなり、『あんた相変わらず細いわね、何食べてんの?!』と、大きな声をあげて、背中を二度ほど叩いて笑っていた。遠い昔、数回顔合わせをしただけなのに、俺のことを覚えていたのだろうか。


「俺は、あんたが、生きててくれてただけで、それだけでいい」
「忍」
「俺を嫌いになって、逃げたんじゃないなら、それでいい」
「―――忍」
「あんたが、まだ俺を好きでいてくれてるなら―――他は、何も聞かなくていい」


 俺には聞こえていた。あの日の朝、宮城が、俺の部屋の前で、声にならない声で、あんなに寂しげに、俺の名前を、呼んだのを。俺は眠れずに、ドアに背を預けて、ずっと起きていて。聞き逃すわけがない、どんな、息のような声でも、宮城の声は、聞き漏らすわけがない。あんなに苦しそうに、自分を呼ぶ宮城の声を、俺は、聞いたことがなかったから。だから、自分の考えを、思いを、信じていられた。あんたと俺が、こんなに簡単に終われる訳がないって。


「あんたにとって、俺の存在が、まだ、まだ一番なら――――」
「忍」
「俺は、それでいい。それだけで、いいんだ――――」


 腕が強く抱きしめてくる。息が、近くなる。体温が伝わる。宮城の腕が、吐息が、鼓動が、伝わってくる。何度も何度も夢に見て、その夢の中で宮城と身体を合わせて、、呼吸を分け合って、息苦しい時間を過ごしたけれど、目が覚めれば宮城はどこにもいなくて。ただ、胸が痛いだけで、虚しいだけで、寂しいだけだ。隣に宮城がいない感覚に、慣れない。一度覚えてしまった感覚は、簡単に元に戻ろうとはしないから。


「もっと言いたかったこと、あるけど。でもやっぱ駄目だな、あんたが、……あんたが、傍にいると、どうでもよくなっちまった」
「忍―――!」


 ふっと体が離れて、瞬間激しい恐怖に包まれた。また、突き放されてしまうのだろうかと、こんなに人を想うのは、やっぱりウザいんだろうかと。怖くなって、泣きたくなって、それでもやっぱり宮城をあきらめきれなくて、掴まえようと手を伸ばそうとして、すべての動きを止められた。背中から抱きしめられていたのに、今は、胸の中に正面から、抱きしめられている。体から、宮城の早い鼓動が伝わって、顔を見られたくなかったのだろうか、宮城の頬は、濡れていて。病院の匂いがする、煙草の匂いがしない。髪が伸びて、背中は、少し痩せて、でも、宮城だ。宮城以外の、誰でもない。


「宮城」
「生きたい、と、思ってた。でも、自分の面倒に、お前を、お前の時間を縛りたくなかった。元気ならいい、それでも、点滴につながれてる自分や、ベッドに縛り付けられたまま、お前に何もしてやれな自分を、想像するのも嫌だった。お前には、お前の時間がある。もし経過が悪くて、入院がもっと長引けば、それだけお前を、苦しめたかもしれない。一緒にいたかった、でも、それは、病院であってはならない、病人の傍であってはならない――――俺の勝手な考えだったかもしれないけど、それくらい、お前を、――――お前を想っていたから―――」


 それが、大人の優しさなんだろう。一緒にいれば、それで幸せだというのは、子供の考えなのかもしれない。だけど、どっちが正しいかなんて、言えないんだろうと思う。
 宮城には宮城の優しさがある、それでも、俺だって、負けないくらいに、宮城を大事に思ってる。どれだけ遠くに逃げたって、やっぱり追いかけた。けど、両方の母親に言われたことがある。「相手の気持ちも、守ってあげなさい」と。俺の方が年下なのに、宮城を守れるというのだろうか。俺なんかでも、宮城を守ってやれることがあるんだろうか。


「ありがとう、宮城」


 少し、骨っぽく感じる、宮城の背中を、抱きしめた。優しい、背中。優しい腕、優しい宮城の言葉。やっぱり、宮城が好きだ。ここまで俺のことを考えてくれていた、宮城が、どうしようもないくらい、好きすぎる。


「宮城が、好きだ」
「忍」
「でも、なんだか、宮城じゃないみたいだ、弱気になってんじゃねぇよ」
「ちょっとな、人間が薬で―――縮んだ」


 泣き笑った宮城の顔は、やっと、やっと――――少し緩んで、俺を映して。寂しかったその背中に腕をまわしたまま、少し背伸びをして、宮城の唇に触れた。乾いていて、冷たくて、だけどそれは、忘れられないもので、失えないものだ。何度も夢に出で、求めて重ねたものだけれど、それは実感はなくて。


「しのぶ――――」


 少しだけ軽くなった身体が覆いかぶさって、そのまま沈んだ。宮城と最初に愛し合った場所で、あの時を確かめるように、抱き合った。宮城が、眠るまで。





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