NOVEL2

□愛しいものへ13「親子」
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「話があるの、忍。部屋にもどりなさい」
「母さん、俺―――急がなくちゃいけないんだ」
「わかってます」


 いつも、俺を叱ることもない母親が、硬い表情で見上げている。そう、身長はとっくに俺も姉貴も母さんを追い越してしまって、この家では一番小柄な母親なのに、いつにない厳しい顔は、まるで今から自分が取ろうとする行動を、すべて見抜いているかのように威圧的だった。思わず、足が後ずさって、部屋に2歩、3歩と戻ってしまう。


「宮城さんを、追いかけるつもりなのね」
「別に、そんなんじゃ―――」
「どこに行くつもりなの、ご実家に?病院に?あなたに来てほしくないから、こんなやり方で、宮城さんは出発されたんじゃないの?」
「何も知らないくせに…!つうか、なんで宮城が実家とか病院だってこと、母さんが知ってるんだよ?!」
「知ってます。だいたい、全部、知ってます」


 大人しくて、父さんにも口答えなんかしているのを見たことがない母親だ。というか、父さんも大人しい人だから、二人が家で口喧嘩なんかしている光景を、生まれてこの方一度も見たことがない。けど、今は、かなり毅然と、そして揺るがない頑固な表情だ。


「全部って、いったい、何」
「あなたが――――……ええと、あなたが、この家を出て一人暮らしを始めた理由だとか、今宮城さんのお宅でお世話になる理由とか、今、あなたが、親の言うことも聞かないで、宮城さんを追いかけようとする理由とかです」
「な、な、何言ってんだよ。だって、ほら、俺文学習ってた途中だったし、俺の荷物も、少し、足りないし――――」
「忍。あなた、大学受験前に、家の前で、宮城さんと大喧嘩したでしょう、覚えてる?大声で、何を言ってたのか」


 嫌な汗が、正直背中を伝っていた。うすら寒いのに、汗なんかかくわけもないのに、でも、掌も、額にも、おかしな汗が滲んで止まらない。


「な、に、言って」
「母さん、あの時、玄関にいたの。あなたの怒鳴り声が聞こえてくるし、宮城さんの声も聞こえたから、何かあなたが宮城さんを怒らせたんじゃないかしら、って。でも、あまりの剣幕だったから、怖くて、玄関から出られなくて。あなた、そのまま帰ってこなかったし、帰ってきてから、またオーストラリアに帰らないって予定変えるし、合格したら、宮城さんと同じマンションに引っ越しちゃうし」
「それは、だって、それは――――」


 まさか、まさかだ。そんなこと、知ってるはずがない。だって普通、親だったら、そんなこと、許すはずがない。


「母さんには、よくわからないことが多いけど、それでもあなたがちゃんと一番いい大学に進んで、文句のない成績をとって、宮城さんにご迷惑をおかけしていないのなら、他のことは、よくわからなくていいんだけど――――私も、お父さんにも貴方達にも、隠してることがあって」


 ベッドの縁に座った母親は、少し目を逸らして、でもそれは、自分と宮城の不鮮明な関係を直視したくないからというわけではないことが、口から出た意外な言葉に納得させられた。


「母さん、実は宮城さんのお母さんと、メル友なの」
「は?」
「理沙子が離婚した後もね。よく、一緒に旅行する友達って、婦人会の人じゃなくて、宮城さんのお母さんなの」
「マジに?!父さん、そんなの知らないだろ?!」
「お父さんだって宮城さんとお仕事一緒じゃない?じゃあ私だって、宮城さんのお母さんとお友達でも別にかまわないじゃない?」


 突拍子がない。離婚する時、宮城の方の親父さんが激怒してて、書面上だけの手続きで随分もめたんだって聞いた。だから、それ以来、家同士の関わりは、断絶したって。っていうか、俺の突拍子無い遺伝って、ここからだったのか。


「同い年なのよ、昔好きだったアイドルとか、よく見た映画の話とか、すごく気が合って。だから、理沙子のことも、早くから向こうのお母さんとは相談してたし―――。それに、宮城さんとは、実は直接会ってたの」
「宮城、ここに来てたの?」
「お詫びに、ちゃんといらっしゃったわ。事情はどうしても話していただけなかったけれどね、大丈夫、すぐに向こうのお母様から連絡いただいたから。宮城さんね、健康診断であまりよくない診断を受けてしまって、故郷の方の大学病院に入院して、手術されることになったんですって。ここに残れば、きっとあなたが病院との往復になってしまうことを避けようとしたのね。宮城さんも、あなたを、大事に、していたから」


 母親からの告白は、あまりに衝撃的で。何も知ってるわけもないし、一生涯気が付くことなんてないんじゃないかと、高をくくっていた。なのに、もうずっと前から俺と宮城の関係を、いくばくかは気が付いていた。それでも黙っていたっていうんだろうか。親なのに―――いや、親だから、俺っていう人間をわかっているから、傍観していたんだろうか。だとしたら、親っていうのは、母親っていうのは、侮れない存在だということだ。けど、今は、今から俺がそこへ向かうことを、止めようというのだろうか。


「宮城さんのお母様にお話はしてあるから。あなた、向こうの家でお世話になりなさい。まさかずっとホテルか旅館で泊まり込むほど、お金ないわよね?未成年者なんだし。向こうの家のお手伝いをしながら、そこでどうするべきなのか、考えなさい。大学は、休学するの?それとも、担当教授に、代替レポートとかお願いしてみたの?もう大学生なんだから、きちんとしていきなさい。それからでも、遅くないでしょ。いいわね、それ位、我慢できるわね?お父さんには、私が話します。問題無いように」


 こんな高圧的な、というか威厳み満ちた母親を見たのが、初めてだった。って、止めないんだ、行くのを。
 呆然としてしまって、言葉を忘れてしまって、そして、どんな顔をすればいいのか分からなくて、手にして荷物を、足元に置くと、ぽんぽんと頭を叩いて、母親が部屋から出ていく。一体、何を、どこまで、知っているんだろう。宮城にも、そんなことを、話したんだろうか―――でも、でも、――――でも、知ってたんだ。って、確かに俺、あの時、家の前で、大声で……言ったかも。




 ポツリポツリと、言葉を選んで、そして自分の反応をうかがいつつ、忍はゆっくりと話す。言い終えた忍の顔は、ほんの少しの間に、僅かにだけ大人びたように見えた。狭い世界で過ごすことが多い忍にとって、知らない大人の中の生活は安易なものではなかっただろう。母親はともかく、父親は難しい人だ。慣れない生活で、知らず大なり小なり苦労をしていたからなのかもしれない。
 でも、言ってる内容は、こちらも平静でいられるものではない。忍は淡々として言ったけれど、大変なことを告白したのだ。


「………病院の、図書室で、子供の勉強見てやってた。それが、大学の教授との、約束で。毎日、9時から3時。あの病院、国立だろ。それ繋がりで、院内学級のボランティアを続ける条件で、休学にしないでくれて。勿論、レポートは半ぱねぇ量だけど。そのうち、スタッフとかと仲良くなって、あんたの病棟の看護婦が、あんたのこと、『いつも機嫌の悪い大学の先生』って、話してくれて、部屋からも滅多に出ないって言ってたから、でも、時々、売店とか行くの、背中、見てた。様子も、子どもたちが時々、見に行ってくれて」
「―――夫人に、バレてるって……それ、俺のお袋も知ってるって……こと?」
「あんたの母親は、あんまり細かいことを聞かなかった。ただ、一つだけ―――――、訊かれたのは、先生とのことは、知ってるのかって」
「あ………ああ、そうか」


 両親は、俺の高校時代の全てを知っている。その後、どれだけ荒んでいたのかも、知っていただろう。表向きは、勉強に打ち込んで、吹っ切れようとしていたけれど、実際、その後付き合った誰とも、本気でなかったことも見抜いていたに違いない。理沙子の時も同じだ。式の招待者も、場所も、オプションその他も、仕事が忙しいからと、すべて高槻家と両親に任せきりだった。どうでもよかった、正直、関心がなかった。自分の事なのに,他人の事のようで。言うままに動いていれば、滞りないと。けど、気持ちがどこにもないことは、親にもわかっていたのだろう。親だから。俺は、子供だから。30になっても40になっても、あの人の、子供だから。


「全部知ってるって、でも、それは、宮城が、ちゃんと話してくれたって、そう言ったら、『よかった』って言って―――俺の頭、撫でてくれた。『ありがとう』って」


 車を、無駄に広い道路の左に寄せて、助手席の忍を、抱きしめていた。それは、親もが認めざるを得なかった、俺の――――俺の、何に代えがたい、俺のすべてだ。


「宮城」


 温かい、細い、そしてやはり、とんでもないことをやってのけた、テロリスト。世界最強の、俺の、忍だ。


「ありがとう、忍――――」


 俺を好きでいてくれて。こんな俺を、まだ好きでいてくれて。俺の隣にいてくれて。



 ありがとう




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