NOVEL2

□愛しいものへ12「夢幻」
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 そうだ、母親の字だ。今しがた別れた、母親の筆跡だ。滅多に手紙などもよこさないし、気紛れに送ってくる宅配便のあて名くらいで。
 なんで、母親が、こんな真似をしていた。なんで――――何のために。


「宮城」
「………忍……?!」


 背後からの声。それは夢に聞いた声色で。振り返れば、そこに、ぐっと、何かをこらえるように、強張った顔をして立っている。その姿は、見間違いようもない、忍だ。夢でも、幻でもない。そこに影はあり、少し伸びた髪は、やはり陽を透かしたようにすこし明るくて、しかし相変わらず細く薄っぺらい身体は、折れそうで。


「お、おまえ……どうして、ここが――――」
「ずっと、あんたと一緒にいた―――ずっと、ずっとだ」
「一緒?」
「あんたがここに入院してすぐ、俺も、ここに通ってた」
「どうして、なんでお前がこの場所が分かったんだ、っていうか、2か月も、一体どこで寝泊まりしてた、学校は、親には!?」


 それでも、忍は固まってしまったまま、ただ、心地悪そうに自分を遠く見るだけで、一歩も近づこうとはしない。蒼白い顔、俺を、何か怖いものでも見るように、怯えて、警戒して、そして、表情も、身体も動かない。


「話すと、長い」
「なんでだ、誰にも、何も話していないのに―――だ、第一、お前、もうお前とは―――」
「大事だから、遠ざけた、俺が、大事だったんだろ、俺に、あんたが、あんたが先生と過ごしたみたいな時間を、させないために、――――だから、あんなに突然、俺を捨てるみたいに、逃げた」
「おまえ、何言ってる――――」
「あんたは、やっぱ全然わかってねぇ――――どれだけ俺が、あんたのこと、好きだったかなんて、ちっともわかってねぇ」


 何も、繋がらない。自分がもっている情報は、何もなくて。それも、何も今の状況に至るまでの因子が無くて、さっぱりわからない。分らないけれど、忍にはもっと手札があるように思えた。一体何があって、誰が、忍をここへまで、導いたっていうんだ。


「俺だって、馬鹿じゃねぇ。あんたの行先位、父さんを頼らなくても、調べられた。あんた、住民票、移してなかったし、何より、あんたは、――――俺が好きだったはずだ。何度も何度も――――俺たちは、本当にこれでいいのかって思いながら、それでもあんたは、それでいいって俺に言ってた。俺にそう、信じさせた。だから、俺は、あんたが最後に言った言葉を、信じなかった」
「忍」
「どんだけの覚悟で、俺があんたを好きだったか、どんだけの覚悟であんたが俺を好きになってくれたのか、わかったから、わかってたから、遊びじゃねぇってことも、中途半端な気持ちじゃねぇってことも、だから、あんたが何かを誤魔化すためにどんな言葉を使っても、どんな手段を使っても、俺は信じない」


 言葉は強気なのに、目だけは必死なのに、なのに、他は怯えている。そう、恐れているんだ。間違いない、俺の言葉を、俺からの刺のような言葉を、態度を、それで傷つくことを、忍は恐れているのだろう。、ここまで強行突破してきてきもかかわらず、なのに、俺くらいの人間の言葉という攻撃を、何よりも恐れているのだろう。それ位、俺は忍を深く傷つけてしまったのだろうから。


「あんただって、俺の大事なんだ」


 その言葉は。あの本に挟まっていた最後の手紙の一節で。でもその筆跡は、母親のもので。でも今しがた、母親は「さっさと二人で帰れ」と。二人って誰だと、頭を過ったところだったのだ。


「あの手紙、お前なのか!?」
「俺と、あんたの、母親だ」
「はぁ?!」
「――――俺が書かせたわけじゃない。ただ、言い出したのは、あんたの母親だ」
「どうして、お袋が、そんな真似を」
「あんたの母親だって、あんたを、心配してた。何を考えているのか、わからないって。まだ、先生のことを、引きずって、このまま一生、過去の時間の中でしか、生きられないのかって。なかなか親にも本音出さねぇって」


 これは夢じゃないのか。忍の言っていることには、まず大きな問題が一つある。それは、とうに離婚したはずの元嫁の弟が、俺を追ってこんなところまで来た理由を、母親が知っているという前提になる。そうだ、俺は多分まだ夢を見ているんだろう。生々しい忍の幻を見ながら、そしてこれはきっとまだ夢の中に違いない。


「だから言っただろ、話すと、長い」
「忍」
「宮城、あんたは、間違ってる。つうか、いい加減、俺がどんだけあんたに本気なのか、そろそろわかってるべきだ――――俺は、あんた以外、何もいらねぇ。それでもあんたが本当に俺との関係がウザくて、あんたの仕事にも、立場にも邪魔になるんだったら、別れる。俺が、嫌いなら、宮城、俺は――――」
「忍」
「嫌いなったのか?本当は、そうなのか?」


 そんな今にも零れそうな涙を眼にいっぱい溜めて、折れそうな身体を必死で立てて、崩れそうな心を震えさせて、そんな忍を、お前を、どうして嫌いになんかなれるんだろうか。今ここで、これが夢でも、嘘でも、『嫌いだ』なんて言ったとしたら、俺はこの先、人間としてまともな感情を取り戻すことができない気がする。


「嫌いに―――なれるわけないだろ、お前、俺がどれだけお前を大事にしたいか、わかってない」
「あんたの方が、わかってない、これだからおっさんは――――」
「うるさい、ガキ」


 手を伸ばして、頬に触れると、今から殴られるのかと思うほどに忍の体が緊張したのが見てとれた。いつもなら、飛びついてくるなり、腕を掴みにかかる位の忍は、やはり酷く怯えていて、そうさせているのは間違いなく自分であることを思い知る。何度も夢に見た姿だ、ちゃんと食べているだろうか、眠れているだろうか、そんなこと、自分が心配したところで、メールの一つも送るわけでもないのに、明けても暮れても、目を閉じても開けても、その姿を、心を、想っていたのだから。


「忍」


 冷たい頬を撫でて、頭を撫でて、髪を梳きながら、その頭を抱き寄せれば、身体が、固まっていた。背を抱いて、撫でおろして、そしてきつく、きつく抱きしめた。両腕で、全身で、心ごと、その細く、変わらない者を抱きしめた。


「宮、城」


 恐る恐る、腕を持ち上げたのが分かった。それでも手は空を彷徨って、触れていいのか戸惑っていた。抱き返して、突き放されるのではないかと、疑心暗鬼になっているのかもしれない。だから、背に腕が回った瞬間、二度と解くつもりはないほどの力で、多少入院生活で筋力は落ちていたけれど、最大限の力で、もっと抱きしめた。細く頼りない身体でも、自分を生かせる存在だ。この温かい者は、この臆病なテロリストは。
 夢じゃない。幻じゃない。抱きしめても、消えない。


「忍――――忍」


 俺を生きたいと思わせる、ただ一人の存在なんだ。


 

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