NOVEL2

□我儘5
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『大事な、同居人、ですか』


 違う癖に、と、言いたげだった顔。大人を挑発した、くそ生意気な大学生。忍の周りをうろつく、頭の切れる利発な同級生。でもその目は、忍の何を映している。忍の何を見ている。忍を、あの目で、見ているのだ。柔らかに、でも鋭く、そして深く。
 不安が、表に出た。あの日からはっきりと、自分の立場を、一層思い知ったのだ。同じ部屋の中では、二人でいるだけなら、自分と忍はそう年齢の差も、感じなくなっていたのに、あんな時に、忘れていた不安が鮮明になる。


 高校という学校の中から、もっと大きな大学という世界に出て、そして、社会という一番大きな、枠のない世界に進むたびに、自分の不安もまた大きくなる。
 どれだけ一緒に暮らしていても、互いが互いの一番だとわかっていても、当人が望まなくても近付く存在は止められない。

 本当は、今すぐ東京に帰って、実家から忍を連れて、マンションに閉じこもってしまいたい。いや、閉じ込めてしまいたい。
 わかっていたのに、大学へ行けば、想像以上の不安が付きまとうこと位、わかっていた筈なのに。でも、時間を重ねるごとに、自分を止められなくなっている。一緒に過ごす時間が増えていくたびに、一層、自分の中のエゴイズムが強くなる。独占欲は、止めどなく増幅していく。

 自分にだって、過去に想っていた相手がいた。忍はそれをわかっていてもなお、自分を受け入れてくれているのに、自分は、忍の周りに増えていく存在を、正直疎ましいと感じているのだ。勝手だと思う、自己中心的だと思う、けどそれらを排除しないと、自信を保てないのだ。いつまで忍が自分を想っていてくれるのだろうかと、今の自分の立場や地位を失うことよりも、忍と過ごす時間を失うことが怖いと感じている自分がいる。

 だから、怖い。自分は、箍が外れてしまうと、感情のコントロールが出来なくなることを、一番自分自身が分かっていたから。止められなくなる自分が、いったいどこまで暴走してしまうのか、それによって、自分自身に立場よりも、忍の人生や、その親の世間体を粉砕してしまうことが、怖いのだ。

 だから、抑えろと、なけなしの理性が、携帯の電源を切らせた。ただの同級生だ、忍はちゃんと家に帰ると、言ったじゃないか。夕飯を食べているだけだ、そう言った。けど、ならどうして忍はあんなに動揺していたんだ、なぜ、小さな嘘を吐いた。あいつは、学部は違うはずだ、法学部の友人が、同じ高校だったと。


 自分は、どうしたいんだ。分って付き合い始めていたことだろう、最初から。自分の存在が忍の将来に関わるようなことがあれば、身を引く覚悟位、最初からあったはずだったのに。なのに、今特攻を仕掛けようとしたのは、忍じゃなくて、自分だ。
 体調が悪いからとかなんとか言い訳して、仕事を放り出して、東京に戻って、忍に問いただそうとしていた。忍は自分を想っていてくれると信じているのに、それだけじゃ足りないと感じている自分がいる。どうしようもないくらいに、不安で、イライラして、本当は声を聞きたいのに、今聞いたら、絶対に俺は最終で東京に戻りたくなる。
 M大の名前に泥を塗って、学部長にも恥をかかせて、そして、平静でいられない自分を卑下するだろう。そんな自分を、忍がさらに軽蔑するのがやっぱり怖くて、思いとどまった。
 忍にとって、恥ずかしくない自分でありたいと思う大人の自分がいるのに、どこか大人の余裕をかましているうちに、忍が誰かにすっと奪われてしまうのではないかと、疑心暗鬼になっている。

 忍の、気紛れから始まったことだと思っていたら。運命だ、中毒だと矢継ぎ早に言い寄られて、何となく情が移ってしまって、何よりも、どこか見たことの無い世界の怖いもの見たさみたいなものもあった。最初は、だ。本当に、まだ最初の頃だけだった、そんなどこか傍観者的な考えは。
 今は、それを軽く上回る想いが、忍に流れ込んでいる。止めることなく。そして何よりも怖い、手放すことを、失うことを、離れていくことを。冷静に、居られない。平静に受け止められない、我慢したくない、でもそれを忍に悟られなくない。引かれるのがわかるから、忍にとって、ウザい存在でありたくないから。


「お疲れですか、宮城教授」
「あ、いいえ。そんなことは。ただ、関西弁のシャワーに、慣れなくて」
「騒々しいでしょう、関東の方には、酷く慌ただしく聞こえるかもしれませんね」


 学部長の出身は大阪だと聞いたことがある。忍も、関西に親戚がいると言っていた。関西弁を話忍は一体どんなだろう。講義後の質疑で、やはり同じ年齢の学生が関西弁丸出しであれこれ尋ねてきたけれど、かなりの勢いに聞こえた。忍+関西弁、だと、
あのテロ攻撃兵はさらに屈強になることだろう。


「そうですね、マシンガンみたいで」
「すぐに慣れて、うつりますよ。人懐っこい言葉に思えてくるものです」
「ええ、きっと、そうなんでしょうね」


 何をしても、何を聞いても、何を食っても、忍が頭から離れません。蟹、好きだったな。寿司桶の蟹、いつも忍のもので。俺が箸をつけないでいれば、ちらりと顔を見て、俺の言葉を待ってから箸を伸ばす。「蟹、食っていいんだぞ、俺、光物の方がいい」と言って。遠慮を知っている、ちゃんと相手を気遣うことを知っている。忍は我儘なんかじゃないと、思う。実際、忍からの要求なんて、ここしばらく殆ど何もない。
 諦められてる?期待されてないから?いかん、この年齢になると、ネガティブが先行する。


「宮城教授は、ご結婚は?」
「あーご結婚はですね、、一度失敗しまして。研究対象外に、気を回せなくて、愛想を尽かされました」
「これは失礼なことを、申し訳ない。でも夫婦なんて、何時までも傍にべったりとか、そんなもんじゃないんでしょうけどね、私も結婚も10年もたてば、働いてさえいればいいという感じで」
「―――その10年が、長すぎたんでしょう。まだ、若かったですから、お互いに」


 そう、忍には長すぎる時間ではないだろうか。自分たちがこうして付き合い始めて、まだ2年にも満たないけれど、その時間は、忍には、どんな早さだったのだろう。短い間に、いろいろあった。一緒に暮らすようにもなったし、けれど、一度は自分から突き放したこともあった。本意ではないにせよ、でも忍は、決して離れることなく、俺に寄り添って、いてくれているのに。


 もし忍が、やはり理沙子と同じようなことを思うようになったら、俺から離れていくだろうか。外に男を作って、それを敢えて自ら暴露するような手段をとって、俺の出方を試したのだろうけれど、その時俺は、元の結婚生活に戻る努力もせず、去る者は追わなかった。もし忍が、いつも自分の傍にいてくれるような、世代の同じ者を求めるようになったら、早々と俺の姿はその眼にも心にも映らないだろう。そんな簡単な関係じゃないのに、俺たちは、正直そこらのカップルよりもずっとハードな障害を越えて、それでも互いを求めたはずだから、飽きたとか、魔が差したとかで―――心が変わるはずがないのに。
 若い忍には、自分の知らない世界が想像以上に広がっているんじゃないかと、思ってしまうのだ。忍の世界観を、小さくさせたくないけれど、自分と忍だけしかいな小さな世界に、とどまってほしいという願いは、大きくなるばかりなのだ。
 怖い、一人が嫌なんじゃない、忍がいないことが、嫌なのだ。

 わかっているのに、忍。俺は分かっているはずなのに、それでも、お前に惹かれて溺れていくほど、自分に自信を持てなくなっている。
 忍。お前が何度も何度も何度も―――好きだと言ってくれているのに、怖いのだ。信じてないんじゃない、自分がどんどん、お前が望んでいた宮城庸から、かけ離れて行っているのではないかと、自分が自身の変化に気づいているからなんだ。、


 お前を独占したい、束縛したい、だけど、それを実行に移してしまえば、俺は本当に、自分を抑止できる確信が持てない、俺はきっとガキみたいに我儘で、周りが見えなくて、きっとお前を傷つけてしまう。そうすることで、お前が離れていくことをまた、恐れている。


「宮城教授、顔色が――――悪いようですが」
「あ、ああ、すみません。なんだかちょっと―――いろいろ緊張したせいですかね、酒が、一気に回った感じで」
「明日も講義もあることですし、車、呼びますね」
「すみません、蟹、大好きなんですが」
「気にしないでください、この後も続けますから」


 笑って、相手を気負わせず、ノリよく気遣ってくれている。それがこの土地流の気遣いだ。豪快だけれど、嫌味がない。自分も、もっと気楽に考えられたら、楽なんだろう。基本が、忍に負けず劣らず、独りよがりなところがある。

 どうして好きなのに、不安になるのだろう、後ろめたさは無くなったのに、漠然と宙ぶらりんなんだろう。それはどうしたらなくなるのだろう。たかだか一人の同級生の存在を、どうして寛容に見てやれないんだろう。自分になくて、あいつにあるものを、俺が認めてしまったからなんだろうか。


 若さ?時間?将来性?


 忍がそれを何より求めるなら、もう自分にはどうしようもない。俺はこの年齢まで来たら、もうこのままの俺でしかいられないのだ。転職しても、時間は巻き戻せない。



 忍の声を聞きたかったけれど、今はやめろと、本能が止めた。仕事を放り出してしまいそうだった、心無い言葉で、忍を傷つけてしまいそうだった。何よりも、俺が怖かったのだ―――――何かが、壊れてしまいそうだった。
 ホテルの部屋に供えられていた小さな洋酒の瓶を空にして、勢いで、眠った。忍の夢を、見ることはなかった。







 

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