蜻蛉玉

□意気地なし
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「千鶴!」


夕食の片づけを終えた千鶴は原田に呼び止められた。


「ちょっと俺に付き合わないか?」


原田は酒瓶を振りながら微笑む。


「いいですよ」


永倉たちの酒宴に付き合う内に、少しだけ嗜めるようになった。


「生憎、月は隠れてるけど、月見酒と洒落込むか!」


明るい原田の笑顔に誘われるかのように、つい微笑んでしまう。


簡単な酒肴を整え、原田の部屋へと向った。


その時、永倉の事が頭を過ぎった。


『原田さんも一緒だから、もしかしたら、いるのかも!』


ほとんど夕食に箸も付けず、部屋にさっさと引き上げた永倉が気になった。


『原田さんもご一緒なら、少しは話が出来るかも知れない……!』


淡い期待に胸を弾ませて行ったものの、永倉の姿はなかった。




月は雲に隠れて、ぼんやりとしか見えない。


それでも、酒を飲む事に理由は要らない訳で、原田は楽しそうに杯を傾けている。


千鶴も時折酌をしながら、原田との会話を楽しむ。


「−−−やっぱり、お前はそうやって笑ってる方がいいぜ……」


不意に原田は千鶴の顎の下に手をやり、自分の方を向かせる。
酔いにほんのりと赤らんでいる切れ長の瞳−−−隠しようのない色気に千鶴の胸は高鳴る。


「俺の隣で、いつもそうやって笑ってろよ……」


原田の囁きがとても心地いい。きっと自分も酔っているせいなのだろう。千鶴は原田の膝に手を置き、にっこりと微笑んだ。


「でも、私は……」


言い終わらないうちに抱きしめられ、口付けられた。
あの日、永倉と交わしたものより、深く、熱い口付けだった。


「新八の事はもうやめろ」


突き放す様な口ぶりだった。


「お前に悲しい顔をさせるあいつの事なんか、袖にしちまえよ」


−−−−−原田の言葉は、千鶴の心を揺すぶった。


少なくとも、この人は自分に何かを与えてくれる−−−−そう確信出来るものが原田にはあった。
口付けだって、こんなに甘い。原田に身を委ねてしまえば、この苦しさから脱出できる。


−−−−このまま、堕ちてしまえばいい……そう思いながら、千鶴は目を閉じた。


原田はまるでこうなる事を予想していたかのように、迷うことなく、千鶴に浅く、深く口付けを落としていく。


深い口付けをされ、着物の合わせに手を添えられた時、浮かんだ顔は永倉のものだった。


−−−−ちっとも私のことを愛してくれないくせに!!


腹立たしい反面、湧き上がってくるのは愛しさだけだ。


きっと、このまま自分が原田のものになっても、永倉は怒らないだろう。
いつもの笑顔を浮かべて、自分に手を振り、去っていく。


『悔しいけれど、私はあの人を愛している……!』


千鶴の瞼に浮かんだのは、肩を落として、自分の下から去って行った永倉の姿だ。


情けないけど、たまらなく愛おしい。


奥に侵入しかけた原田の手を押さえ、自分でも信じられないぐらい冷たい声で千鶴は、原田に言っていた。


「−−−−止めてください、原田さん……。あなただって、私が誰を好きなのか、ご存知でしょ?」




「冗談や酔狂でお前を口説いた訳じゃないんだけどな」


そんなこと、十分、分かっている。
でも、この人がこれだけ真剣に自分を口説いてくれたのなら、自分も真剣に答えを出そうと思った。


私は永倉さんが好き−−−−この気持ちに一切の曇りはない。


「二度目はないぞ?」


原田は嫣然と微笑み、千鶴に宣言した。


「お前が泣いてたら、無理矢理にでも俺の女にするからな!!」


そうなっても仕方ない。自分は、そうなる下地を築き上げ来たのだから。


でも、私の愛する人はあなただけ。


どうか、この気持ちに気がついて、私に明確な答えを下さい。


そうでなかったら、私もあの人もただの馬鹿になってしまうじゃないですか?


大好きです、大好きなんです、あなたを。


だから、ちゃんとした返事を下さい、私が納得できて、他の人に心を移せるだけの。


もしも、それが出来ないのなら、私のことを斬ってください。


そうされたなら、私はあなたの“特別な女”になれるのでしょう?


そうされても、仕方ないくらい、私はあなたが好き。


あんな悲しい顔で私を見るあなたが、耐え切れないのです。


自惚れた女の戯言と、笑ってくれても構いません。


あなたのことが、好きです、好きです。


いくら言葉にしても足りないくらいに。


愛しています。欲しいのは…………あなただけです。


 
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