蜻蛉玉

□意気地なし
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−−−−どうして、『惚れてる』っていってやらねぇ!


−−−−新八さん、その優しさはかえって残酷ですよ……



原田と沖田の言葉が蘇る。金を渡し、千鶴の今後を頼んだ松本も、複雑な顔をしていた。


いきなり、大きな男達の中に投げ込まれて、おどおどしていた小さな娘は、いつの間にか鮮やかな変貌を遂げ、男を惹きつける可憐な女になっていた。


それを好ましく見ていて、自分が惚れていた。


だけどその気持ちを告げる気はなかった。


いずれ自分達の下から去って行くのだ。その時の気まぐれで、千鶴の未来を狂わす訳にはいかない。


だから、別れる日が来るまでただ守ってやろうと思った。


しかし、間違いが起きた。こともあろうか、千鶴が自分に好意を寄せていたのだ。


必死にそれを否定しようとした。今まで女にはたくさん袖にされてきた。
色恋に対して、過剰な期待もしない代わりに、簡単に諦めることには慣れている。
色んな偶然が重なって、千鶴は気の迷いを起こしたのだ。


そう言い聞かせ、平静を装い、今まで通り接してきた。


しかし、千鶴の方はそうではない。


いつも思いつめた顔をしている。隠れてこっそり泣いている。自分を見つめる瞳に、静かに燃え上がる炎が見えた気がした。


いや、きっと千鶴を見ている俺の目にも同じ炎が見えるのだろう。だから、左之はあれだけ怒ったのだ。


千鶴を好きか?と問われれば、「そうだ」とはっきり言い切れる。


だけど、自分はもう既に元服前の子供ではない。「好き」と知ったら、抱きたい。


抱いてしまったら、もう歯止めが利かない。
死ぬ事に恐怖を感じる事はないが、好いた女を残して逝く事は耐え切れない。


自分の中で、千鶴は別の世界を生きる女だと思っている。


自分が、どこかで死んだとしても、千鶴は生き続ける。−−−−そして、ある日恋に落ち、生涯、顔を見ることもない男に語りかける………


『−−−−私、昔、新選組にちょっと関わっていたの。そこで好きな人ができたの、もう亡くなっている筈だけど……』


その時に自分の名を挙げてくれればいい。そう思っているのに、それを納得できない自分がいる。


『−−−情けない!』


それが今の素直な気持ちだった。


−−−−心から好いている、だけど、それを打ち明けてはいけない。


自分の行く先も定まらないのに、無責任に女を巻き込む訳にはいかない。




寄り添っていた女は、床に入ることを期待していたみたいだが、どの女を見ても千鶴を思い出してしまう永倉には、女は抱けなかった。


−−−−千鶴が待ってるぞ……


そうだ、いつでも千鶴は俺の帰りを待っていてくれる……酔っている頭にも、それはすぐに分かる。


果たして、千鶴は待っていた……。いつか永倉が気まぐれにやった、黒縮緬の羽織を寝巻きの上に羽織って。


「お帰りなさい…」


黒縮緬の下に纏っているのは、ただの寝巻き。
それだけで、誘われている気がしたが、永倉はただ、自分の帰りを待って、起きていてくれた女に愛しさを感じた。


−−−−酔いに任せて、このまま抱いちまうか………しかし、永倉は女の手を握り締め、自分の頬へと押し当てた。


「−−−−冷たい手、してるな」


「そうですか?」


「俺の事を待たないで、寝てればいいんだぜ?」


そう言いながら、女の手に接吻をし、自分の懐へ女の手を誘い込む。


『俺は意気地なしだからな』


と開き直っている自分に納得する。


−−−−−安心しな、意地でも抱かねえよ……


そう言い聞かせて、温まった女の手を離した。しかし、女の手は永倉の体に絡み付き、女の口からは、とんでもない言葉が出る。


「好きです、永倉さん」


「−−−−俺も好きだぜ。千鶴ちゃんは俺の可愛い妹分だからな……」


子供をあやすように頭を撫でてやる。


胸元で頭がふるふると横に振られたが、永倉は気が付かないふりをする。


「意気地なし」は、女に袖にされるのが、決まりだ。


ここまで意地を張ったのだから、最後まで頑張らないと。


「私は…!」


「おっかしいなー、千鶴ちゃんの方が酔ってるのか?」


さらに千鶴は何か言おうとする。


永倉は、逃げる事にして、千鶴から手を離した。


そのまま、走り出せば思惑通りだったのに、離した手が、千鶴の頭を引き寄せ、唇を奪っていた。


−−−−黙らせるのには成功したけど……


女を抱きしめて、永倉は新たな課題に頭を悩ませる。


しかし、交わした口付けの甘美さは、彼の思考を停止させた。




いつの間にか梅が咲いていた。


千鶴はその木下に立ち、甘酸っぱい匂いを思いっ切り吸い込む。

木に頭を凭れさせて、考える。梅の木の下にたたずみ、千鶴はそっと梅の花を見上げ、ため息を吐く。


あの日、永倉は自分を抱きしめ、唇を重ねた。
冷えていた自分の唇に熱い永倉の唇を感じた時、千鶴は自分の想いが通じたのかと、心が震えた。

しかし、唇が離れると、永倉は何とも言えない哀しい表情で自分を見つめ、そっけなく身体を離し、その場を去っていった。


それから碌に言葉を交わしていない。


−−−−避けられている……と感じた時、そもそも永倉と唇を重ねた事すら、現なのか、夢なのか、分からなくなってしまった。


−−−−そんな男に、いつまで自分は心を縛られているのだろうか?


自分の気持ちを知ってくれない男に何を期待しなくてはいけないのか?何も言ってくれない口が真実なんて語るものか−−−


そう言い聞かせ、千鶴はやりきれない気持ちになって、自分の指を噛む。


口の中に血の味が広がり、何ともやるせない気持ちになった。


傷口はあっという間に塞がる。ただ、自分の心に広がった傷はいつまでも癒える事がない、じんじんと疼き続ける。


考えなければならない事は山ほどある筈なのに、全ての思考が永倉に向かってしまう。


−−−−−切なくて、悔しくて、千鶴は梅の木に爪を立てる。
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