めいん

□旧拍手文
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月が満ちる夜は、何故こんなにも空が綺麗に見えるのか。

煌めく空を見上げ僕は鼻唄混じりに彼の部屋を目指す。

今頃彼はそのカーテンを締め切り、孤独の夜に震えているのだろう。

思い描いた想い人にさらに機嫌は良くなる一方で、僕は最近使わなくなった力を使う。

体は一匹の蝙蝠となり、愛する彼の所へ一直線。

音もなく、目当ての場所へ降り立つ。

ベッドのシーツにくるまり、早く夜よ明けろと願う彼の愛しい姿。

「雄二」


僕が名前を呼ぶと、彼の肩はビクリと震え、ゆっくりと振り返る。

「明久…」


澄んだ赤い瞳は、涙に濡れかけている。

怖い、と彼は溢した。

自分が人外へと変貌を遂げることが。

恐い、と彼は吐いた。

誰かを傷つけ嫌われることが。

僕はいつもその手を握る。

大丈夫、大丈夫だよと涙を拭う。

すると彼は安心して夢の世界へと旅立てる。

規則的に成る寝息に微笑みながら、愛しい頬を撫で首筋をなぞる。

とても、美味しそうで甘い薫りのしそうなそれにくらくらしながら寸前で止める。

ダメ、駄目。

彼に手を出したら駄目。

今まで築いてきた大切な物を崩してしまう。

彼は、僕が化け物であることを知らない。

きっと知られてしまったら、人外を忌み嫌う彼に近づけなる。

だから、我慢。

本能と抗う様に彼の體から離れ、窓際までさがる。

そしてカーテンの端を掴み、思いっきり空を露にする。

暗闇の中に月がぽっかりと浮かんでいる。

その耀きが部屋を照らすと同時に呻き声とも唸り声とも取れない聲が反響する。

彼の躰がみるみる内に毛で覆われ、鋭い牙が顕になる。

おはよう、雄二。

にやりと笑う僕に雄二が答える。

「久しぶりじゃねぇか明久ぁ…」


押し殺された耳障りな唸り声に、鳥肌が立つ。

次の瞬間、僕の躰が部屋の端まで吹き飛ぶ。

錆びた鉄の味、温かい。

久々の生命活動に僕は狂喜に似たものを感じた。


「本当にね!」


受け身を取りながら床を蹴り、伸びた爪を雄二の右肩にめり込ませる。

流れる液体が酸素に触れどす黒く変色する。

雄二の拳が顔面に入りそうになったところで素早く手を引いて突き飛ばす。

かすった頬に赤い線が入る。

咽ぶような血の臭いに、理性はとっくに飛んでいた。

真正面から懐に入った僕に、今度こそ拳が当たる。

重いそれは、僕の体を軽々と天井まで投げ飛ばした。

地面に叩きつけられた體は言うことを聞かず、ただ雄二を睨むことしか出来ない。

今までなら、簡単に押さえられた筈のもう一人の彼。

今の僕には血が足りなかった。

最近、彼に正体がばれるのを恐れるあまり生き血を口にしていなかったのだ。

このまま彼の拳が心臓を貫けば、死はまのがれない。

けれど、それで良かった。

不老不死である僕の唯一の弱点は狼男。

そのため僕の祖先は沢山の狼男達を葬って来た。

まさに因縁。

お互いの魂に殺し合う事が刷り込まれている。

その幕切れが愛する人の手であるならそれも本望であった。

スローモーションのように迫り来る拳に、笑みが零れる。

唯1つ気掛かりなのは、人間である雄二が僕の死を知らないまま終わると言うこと。

吸血鬼の最後は灰しか残らないから。

狼男である時の記憶を喪う彼は、僕を殺した事さえ知らずに終わる。

僕がきえたあと、満月に震える彼を誰が守るのだろう。

押さえつけられた彼を、誰が解き放ってやれるのだろう。

人外で在るときの彼の姿も、僕は好きだった。

痛ましいほどの姿さえも受け入れられた。

僕以上に彼を愛せる人は現れるのだろうか。

解りはしない、答えは出ない問いに自虐的に笑う。

あと少しでお別れだ。

この憐れな化け物も解き放つ僕が消え、雄二が押さえつける事で二度と世に出ることはないだろう。
スローモーションの中、雄二の拳が僕の胸に伸びてきて寸前の所で止まった。


気づけば僕の手は彼の頬に添えられていた。


「笑ってんじゃねぇよ…気色悪ぃ」


バツの悪そうに拳を引っ込める雄二。

何が起きたのか脳味噌の処理が追い付かない。

外を見る。

未だに丸々とした月は朗々としている。

雄二を見る。

その姿は正しく獣。

成らば何故…彼が闘いを止めたのか。

「化け物だって、愛だの恋だのしてみたいのさ」


そうして彼はにやりと笑った。
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