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□フランボワーズミラベルパンプルムース
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ラ・パティスリー・キセキ

普通の玄関のような店先に置いてある木の看板に白いカタカナで刻まれている。ここはこっそりと近所の方やクチコミで知って興味を持った人が訪れる隠れ家的な洋菓子店。「ここで合ってるよね?」と不安に思いながらもいざドアを開けるとまるでどこかの雑貨屋さんなのだろうかと思わせる趣味の良い内装。漂う香ばしい香り。インテリアを見るだけで楽しくなってくるが、奥にはキラキラとカラフルなお菓子が並ぶショウ・ウィンドウ。ショートケーキはもちろん、ミルフィーユやシュークリーム、マカロンなど多様性もある。色合いはどれも綺麗で、思わず気分もウキウキとしてくる。ワイルドストロベリーの濃い赤紫であったり、アーモンドやヘーゼルナッツがふんだんにあしなわれたクーベルチュールのチョコレイトケーキの焦げ茶色。薄いピンクであったり淡い黄色。洋菓子は見た目だけで楽しさを感じる。やっぱり女の子なんだなあと感じる瞬間である。

「あ、おはよう黒子っち」
「おはようございます。もう来てらしたんですね」
すみません、今からお掃除しますね。とマフラーを首から外しコートを脱げば、今日もよろしくね。と端正な顔立ちがくしゃっと歪められた。
ラ・パティスリー・キセキのシェフ黄瀬涼太は、昔モデルをしていたことがあったーーーらしい。今はもうやめてパティシエ業に専念しているけど中学、高校の頃はお小遣い稼ぎと社会活動の一貫としてつづけていたそうだし、実際有名だったらしい。らしい、というのは私はテレビや雑誌などあまり見ず、昔からずっと太宰治だとか夏目漱石やらの偉人の本を読んでいるばかりで色気などなかったから。そのまま特になんの夢も持たず国立大学へと進み平凡に就職するのかと思っていたのだが、このお店に出会い人生が変わった。ここは大学四年のとき、友達の桃井さんに教えてもらい共に来た時に初めて出会った。普通の家だと思ったのに中身はどこか外国を思わせる雰囲気。そしてなによりケーキの美味しさ。こんなに風味豊かで可愛らしいケーキと出会ったのは初めてだ、と感動したわたしは卒業まで残り一年もなかった大学を退学すると専門学校に通い始めた。わたしもいつか、あんなお菓子が作りたい。あの感動を心の糧にしてがんばってきた。
専門学校を卒業し就職を探していたわたしが一番初めに思い描いたのはあの裏路地のお店。ダメ元で面接をしたところ見事に受かった。こうしてシェフ・黄瀬のもとで弟子としてはたらくことができるようになったのである。

黄瀬はシェフとしてメディアには出ないし、裏路地にあるこのお店も有名店というわけではない。だが、黄瀬は学生の頃から数々の大会で優勝してきたらしく知名度は高いし、実際腕も確かだ。専門学校時代の友達には心底羨ましがられる。

黄瀬は同じ年だった。
といっても、テツナは一度大学を出てから専門学校に通い始めたわけだから、黄瀬とはもう何年もキャリアが違うのだ。それに、高校の頃から修行していたらしいし、テツナごときが逆立ちして勝てる相手ではない。黄瀬はとても親しげにテツナを呼んでくれているが、テツナが黄瀬に対して呼び捨てで呼べる筈が無かった。というかそもそも、テツナは例え年下でも呼び捨てで呼ばない。さん、くんをつけてしまう癖があり、敬語は彼女のアイデンティティにもなりつつある。曲がりなりにも同じ年なんだしそんな改まらないでよ。くすりと居心地悪そうに微笑まれ、うーん、と唸ったあと、じゃあ、黄瀬くんで。まるで仲良い友達を呼ぶようで師匠である彼をそのように呼ぶのは躊躇われたけれど、そう言った後の黄瀬の嬉しそうな顔が忘れられず未だにこのような呼び方をしている。ちなみに後から知ったのだが、桃井と黄瀬は中学の頃からの知り合いだったそうだ。美男美女で、もしかして恋人同士なのだろうかと思っていたのだけれど、この前桃井がお店に連れてきた人を見てその考えは払拭された。傍らに居心地悪そうに佇む褐色な肌の彼は桃井の幼なじみで黄瀬の親友でもあった。そっけない態度で桃井と接してはいたものの、時折見せる微笑みは「ああ、桃井さんのことが好きなんだなあ」と思わせるをえなかった。2人が帰ってから黄瀬が、「あの二人はほんと良い人なんスよ。お似合いのカップルで憧れっス。幸せになってほしいよね」とそれこそ黄瀬のほうが幸せそうに笑っていたのを思い出した。
此処は笑顔が溢れる店なのだ。
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