ずっと昔の話だ。お前の夢はなんだと問われ、恥じらいもせずすらすらと夢物語を繰り広げることが出来たのは。



「小さくてかわいいお家に、小さい庭があってね、小さい花壇があるの。そこに世界で一番大好きだって思う人と二人で、それか子供も一緒に住む。晴れた日にはその横に真っ白な洗濯ものが風にばたばた言って、それが落ちないように大きな洗濯バサミで留めるの。それで、」



 尋ねてきた張本人が至極退屈そうに欠伸をかました。まだ学生の私はむっと口を歪め、ねえ、スクアーロが聞いてきたんじゃないの、と傍らに腰を下ろす銀髪の同級生をド突く。



「しょうがねぇだろぉ、あんまし話がつまんねぇから」
「おいこら自分で話振っといてどういう了見だよ私の夢に謝れよ」
「あ”ー…なんつうか、そう言う話だと思ってなかった」
「つまりスクアーロは、私がもっと危なっかしくて分かりやすい、それこそスクアーロみたいな夢を語ることを期待してたの」
「まあ、そんな所だぁ」
「冗談じゃない。剣で世界最強になるぜぇ!みたいなのが夢だなんて、夢が無い」
「う”ぉおおいどういう意味だぁ!!」



 今思えば、本当に馬鹿みたいな夢だ。それでも当時の私には、それを語る権利があった。「可能性」と言う名の権利証を持っていた私には、それが許されていた。




 そしてその権利証を自ら進んで破り捨ててしまった現在の私は、目の前の現実や目標を夢の代替物にして時計の針を進める。

 悲観している訳ではない、現実的になっただけ。



「珍しいなぁ」
「…何が?」



 自室のベッドで天井を仰いでいた私を思索から引き戻したのも、私の同級生、基い同僚。同じ色の銀髪を今は腰までさらりと伸ばしたスクアーロは、あの頃と大して変っていないような気がする。中身が。良い意味でも悪い意味でも。

 勝手に入ってきたスクアーロは、自分のソファーに座るように私のソファーに腰を下ろす。そうして、机の上のコンポを顎でしゃくって見せる。そんな動作でも様になるようになるなんて、昔はこれっぽっちも思わなかったんだけど。



「いつもと大分違わねえかぁ」
「うん、ちょっと懐古してた」



 エセロックかソフトなロックかハードなロックしか聞かない私が、女性アーティストの、しかもゆったりと綺麗で切ない曲を聞くなんて久しぶりだった。学生時代には一番大好きだった歌を、無性に聞きたいと思ったのだ。

 アイデンティティも何も無かった、傷つきやすく夢見がちだった自分が恥ずかしくて可愛い。

 今の私を見たら彼女は失望するに違いないけど、胸を張って笑んで見せる自信だけはある。

 透明感のある歌声、日本語の歌詞。これを聞きながら抱えていた感情が、ほんの少し美化されて、でも確かな痛みを伴って鳩尾のあたりに灯る。

 すらりとした足を無造作に組んだスクアーロは、音楽に耳を傾けていたのかもしれないし、そうでないかもしれない。多分聞いていなかった。あの歌詞を聞きながら吹き出すなんて、そんな人間居ないはずだ。

 あっという間に思い出から引き揚げられた私は、思いの外幼稚な物言いしかできない。



「何?何なのスクアーロ」
「懐古って、そんな年でもねえだろぉ。いつを懐かしむんだよ」
「学生時代。」
「8年前、かぁ」
「あの頃からすれば、22歳は十分に遠い未来だったよ。」



 変わって無いものなんか、無いんじゃないかな。



 いつかどこかから素敵な人が現れて、全部夢を叶えてくれる。あり得ないって分かったから、もう夢も見ない。小さい家に二人で住むには、世界で一番大好きな人は忙しすぎた。



 悲観している訳ではない、現実的になっただけ。



 だから、大して立派じゃない胸も張って生きることにした。少しは楽に呼吸が出来るかもしれないから。

 背筋も伸ばそうと思った。ほんの少し高い所から見下ろせば、真っ黒な世界も違って見えるかもしれないから。

 二度と俯くまいと思った。やり場を失くした血を心臓に戻してやれば、すっきりした頭でお粗末な夢想よりはましな思考が生まれるかもしれないから。



 大好きな人と暮らせる家がなければ、大好きな人が来てくれる部屋にすればいい。花壇が無ければ植木を飾ればいい。素敵なお嫁さんになれなければ、素敵な戦友になればいい。

 すこしずつ近づいて行けば、いつかこの「現実」の射程距離内に夢も収められるかもしれない。



 ねえ、そう思うんだよ。



 最後のピアノ音が名残惜しげに途切れ、沈黙と余韻が奇妙に混じり合う。

 なんとも形容しがたい表情で聞いていたスクアーロは、昔みたいに欠伸で遮ったりはしかった。

 独白まがいの理想論を恥ずかしげもなく語れるあたり、そこだけは変わって無いのかな、なんて。

 コンポから微かにもれるジジジジ…という音の中、あ”−…と切り出しずらそうにスクアーロが声を洩らす。



「…わりぃ」
「何で謝るんだよ馬鹿」



 あんたに謝られたら、今まで精一杯築き上げてきた私の「現実」にどんな顔をすればいい?

 どこかからやって来るかも知れない王子様じゃなくてスクアーロを好きになってしまったのは、私自身の意志。意志って言うと語弊があるかもしれないけど、ともかくスクアーロに非が無いことだけは確かだ。

 現実に生きる私を、私なりに誇りにさえ思っているのに。

 ますます切り出しずらそうに口ごもり、がしがしと癖一つない髪を掻きまわすスクアーロに苛立ちすら感じる。何コイツ、何がしたいの。



「あ”ー…」
「何?文句でも言いがかりでも言いたきゃ言えば良いじゃない、鬱陶しい」
「てめぇが、一生懸命今のてめえを作ってきたことは分かった」
「分かったから、何?」
「だからなぁ…その苦労を壊すのかと思うと言いづらくてよぉ、」
「今に始まったことじゃないでしょ、そんなの。」



「一緒に、暮らさねぇか」



 つっても、引っ越したりはできねえから今の俺の部屋だけどなあ。嫌なら断れよ、てめえの現実って奴にも夢って奴にも程遠いのは分かっているからなぁ。

 目を合わせようとしないスクアーロを前に、茫然。脳内で二、三回言われたことを反芻して、理解できるとすぐさま思い切り叫んだ。



「ばっっっっかじゃねえの!!!!」



 反動を付けて立ちあがり、ずんずんスクアーロの前まで歩く。ほぼ真上から見下ろす様に立つけど、座ったスクアーロに対しても大して高くは無い。眉間に深く皺を刻んで不機嫌そうに見上げるスクアーロが何か口を開きかけるが、言わせてはやらない。



「誰が断るか馬鹿!つーかそんな弱気な誘い方でどうすんだよ!」



 軽く繰り出した拳をぱしんと受け止めて、馬鹿野郎、今だけだぁ、今だけ!なんて言い返すスクアーロは変わらず傲慢で自信過剰で危なっかしくて分かりやすい。でも、そっちの方がスクアーロらしいし好きだ。



 いつかどこかから素敵な人が現れて、全部夢を叶えてくれる。あり得ないって分かったから、もう夢も見ない。小さい家に二人で住むには、世界で一番大好きな人は忙しすぎた。



 悲観している訳ではない、現実的になっただけ。



 そんな私の前にテープで繋ぎ合わせた様な可能性を差し出して、全くもう、全部無駄になっちゃうじゃない!



 何て言いながらもう荷物をまとめ始めている私は、本当は夢でも現実でも君さえいればどうでもよかったようです。



夢想アルカディア
 完成予想図には
 初めから一つしか
 書き込まれてなど



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