君と死ねる明日

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 監視屋としての初任務の時、あたしはわざと失敗して死のうと思っていた。

 上辺ばかりが綺麗なその場所が嫌いだった。けれど本当はここだけではなく、世界中どこだってこんなものに違いないと思った。依頼先のファミリーを見てそれを確信した。

 何よりあたしの、あたし自身の中にも、そんなおぞましい思考や精神が巣食っているのだと、自覚する度に絶望した。いっそどこかへ吐きだせば良かったのだろうが、そんな行為さえあたしの目には汚らわしく映り、選択肢は一つ、また一つと消え、やがてはたった一本の道に収束していく。

 どろどろと、あたしを取り巻くものから逃れるには、もはやあたしが消えることしか道が無いように思えた。

 そうして目論見通り、依頼先のファミリーに恨みを抱くどこぞのファミリーに何の抵抗も無く呆気なく捕まったあたしには、ああ、やっとだなぁと、それしか感想が無かった。視界も自由も奪われて殺意の中に転がされている方が、よっぽど諦めもついたし寧ろ心地よいとさえ感じた。今自分を取り囲んでいるであろう人間たちはあたしを殺そうとしているのではない、監視屋という、あたしの肩書を殺そうとしている。

 これ以上あたしがあたしを憎む前に、殺してくれる。





―――――その時だ。どこかで銃声が一発、何枚かの壁越しに反響し、急に周りの人間たちがざわつきだした。靴音や、ドアの開閉音、怒声。やがて断末魔が幾つも連なる。

 同じ建物で起こっている出来事だったがまるで興味が湧かなかった。明確にあたしを殺そうとする人間に殺されるか、抗争のとばっちりを受けて殺されるかだけで大した違いは無い。どちらかといえば後者の方があっさりと終われる気さえした。どちらにせよあたしは、ただここにこうして転がっていれば誰にも否定されることなく存在できる。

 ガツン!!と、荒々しい音。それは先程ドアの開閉音のした方向で、とうとうここまで襲撃者が来たらしい。銃声、銃声。言葉のやり取りも無く、あっという間に静寂が訪れる。視界を奪われ鋭敏になった聴覚に引っかかるのは自分の呼吸音と、もう一つ誰かの呼吸音。それ以外は建物中が無音、もう蹴りがついたらしい。

 そうして初めて聞く声が降って来る。



「カコだなぁ?俺はてめえのファミリーから依頼を受けた者だぁ。」



 そう告げられ、近づいてくる気配。目隠し、猿轡、手足を縛る麻紐、一つずつ解かれていく。声の主を見上げる。黒衣に身を包んだ解放者は髪も目も肌も色素が薄く、あちらこちらに血の染みを作っている。ぼんやりと座り込むあたしを、見るからに不機嫌そうに見下ろしている。

 その人が無言で手を差し伸べた。その頃になってあたしは漸く、どうやら自分の命が繋がれたらしいと言うことを理解し始めた。それを繋いだのが目の前のこの若い男だと言うことも。

 気付けばその差し出された手を叩き落していた。



「う”ぉおい!てめぇ何しやがんだぁ!」
「あたし、そっちがいい」



 差し出された方とは反対の手、ぬらぬらとまだ鮮血の滴る大きな刃物を指差す。



「それは、部外者の俺に助けられるくらいなら死んだ方がマシだということかぁ?」
「…」
「どん底、って顔してんなぁ」



 聞き返したその人はどこか楽しそうにしている。嘲笑。彼の言っていることは全く的外れだ、だってあたしにそんな誇りなどない。でも一つだけ、彼は正しく指摘して見せた。

 そうかここはどん底だったのか。それは大正解。ふら、と、縛られ続けて痺れた足を無理矢理動かし、立ち上がる。

 そうして、血塗られた鋼へと身を投げる。

 けれど、ぎゅっと顔を顰めたその人の方が一瞬速かった。さっと剣を避けられ、あたしの身体は無様に床へと向かっていく。床に投げ出される前に、首筋に強い衝撃を受ける。あっと思う間もなく、意識が、沈んでいく。



「残念だが、救われた人間はもう二度と同じ穴に落ちることが出来ないようになってるらしいぜぇ?悔しけりゃ、もっと力を磨いて二度と穴に落ちねえようにしろ。」



 薄れていく意識の中、そんな言葉と浮遊感だけが嫌に鮮烈に記憶に刻まれる。何か言い返したいことがある筈なのに体が動かない。そのまま何もかも、あたしがあたしを終わらせる筈だった場所も、長い間ずっとずっと付き纏って離れなかった閉塞感も、全てが闇へと沈んだ。

 この時あたしは久し振りに、自らの幸福感を自覚した。





 次にあたしが目を開いたのは自室のベッドの中だった。まだ生きているという実感、遣る瀬無さ。

 ただそれは真っ黒闇等では決して無かった。今自分のたつ場所がどん底なのだと言う認識。それがたった一つ希望のようにちらちらと光って見せる。ここは深い穴。深い深い地の底。ならば薄汚く淀んでいることも光が見えないのも当然なのだ。

 力が。力さえあればここから這い上がれる。なんて、なんて広い場所にあたしはいるのだろう!!もう一度この世に産み落とされたような感覚すらあった。




 その日あたしは死に損ねて、救われて、死ぬのを止めた。

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