君と死ねる明日

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 スクアーロがカコを護衛してから数日間、カコはスクアーロの前に姿を現さなかった。もしかして監視期間が終わったのかと淡い希望を抱きはするものの、邸内で常に付いて回る「見られている」感覚は無くならない。単に出くわしていないだけのようだ。

 あれからスクアーロは独自にカコのことを調べた。当然ヴァリアーの諜報部の集めたデータは信頼できるものだが、スクアーロにはどうもそれだけでは足りないように思えた。たったそれっぽっちではこの耐えがたい嫌悪感と、僅かではあるが無視できない程度には膨れ上がった好奇心を宥められない。

 得体のしれねぇ奴に己を探られるのは辛抱ならねぇ。ならば、こちらも向こうの闇を引き摺りだしてしまえば良いだけのこと。もっとも、それだけでこの不快感が拭い去れるとは微塵も思っちゃいないが。

 今日は、ある情報屋から彼女についての情報を買わないかと言われて、わざわざ任務帰りに繁華街に足を運んだという次第だ。

 人混みをかい潜りながら、これまで集めた情報を反芻してみる。一つ一つでは感じられなかった違和感、矛盾が、その連なりの中には確かにあった。今日これから手にすることになる
情報の中に、これらを鮮やかに解き明かしてくれるものがあればいいのだが。

 雑多な喧騒と低俗なネオンの波から一本引っ込んだ裏道に店を構える地味なバー。ほぼ予定時刻通りに入店したスクアーロの目はある一点へと自動的に吸い寄せられた。薄暗く落ち着いたその空間で、ぎらぎらと光を反射する装飾具が余計に安っぽく見える。カウンターで店の主人と話しこんでいたその場違いな人物がふっと戸口へと体ごと向き直る。その緋色の瞳が店内を滑り、スクアーロの上で止まる。目が痛くなる色に彩られた唇が開く。



「さっすがワーカーホリックのスクアーロ、時間にはきびしーんだねぇ?」
「…誰がワーカーホリックだぁ」



 あからさまに眉根を寄せられたことなど気付きもしないように、おーい、こっちこっちー!とカコが手招きをした。お前と話してる暇はねぇよと言ってやろうとして、瞬時に悟る。ああ、そう言うことか。来る筈の無い情報屋を待つなんて甲斐が無い。このまま帰るのも無駄足が惜しい。スクアーロは渋々と言った体でカコの隣へと腰を下した。バーの主人はそれだけで、特に注文を取るでもなく当然のようにグラスにカクテルを注いで提供した。



「スクアーロ、ここの常連なの?」
「知ってるくせに聞いてんじゃねぇよ」
「どうして?聞くことに意味があるのに」



 それは、今のはただの世間話の種だったのに、ということか。

 生憎お前と世間話をするつもりはさらさらない。ゆらゆらとグラスの壁から離れた気泡が明るい色の中を上っては消える。周囲の穏やかな雑音とジャズの音が混ざって、溜まって、抜けて行く。



「何故邪魔をしたぁ」
「どうしてそんなことを聞くの?」



 何の邪魔か、とは尋ねなかったカコの口角には確かな喜色が見て取れた。



「質問に質問で返してんじゃねぇよ。」
「ははは、だって、そんなの当然じゃん。自分の情報が自分の知らない所で探りだされそうになってたら、出来るだけ防ぎたいと思うのは普通じゃない?これはねえ、警告と言う奴だよ。もう陰でこそこそあたしのことを探るのは止めておきなよ。」
「それを生業にしている監視屋の台詞とは思えねぇなぁ」
「それとこれは話が別。あたしが監視対象の事を調べるのは、そういう契約だから。そうじゃなきゃ、クソほども魅力的じゃない仕事内容ですからね」



 そしてこんどは自嘲と来た。それともこれは嘆きか。

 どちらにせよ、これは丁度いい機会なのかもしれない。カコの手元を見るとグラスは殆ど空になっている。スクアーロは手を上げてマスターを呼び、次いでカコのグラスを指す。隣で小さく目を見開いているカコの方は敢えて直視しない。



「陰でこそこそ、でなきゃいいんだろぉ?」
「…うん。それはもう。」
「話したきゃ話せ」



 これは、カコを探る絶好の機会だ。スクアーロが情報屋と接触するのを阻止し、というかわざわざ情報屋になり済ましてまでスクアーロを止めようとした割には、カコは自分の事を話したがっている、ように見えた。それはアルコールが入っているからかもしれないし、もしかするとこれも全て監視屋としての演技で、スクアーロを絆してより監視を確かにしようとしているのかもしれない。けれど、リスクを負わなければならない時と言うものはある。

 ここにきて漸く自分のグラスに口を付け、黙り込んでいるカコを待つ。カコの空のグラスが色鮮やかに酒を満たした物に変えられても、まだ黙っている。交わされるべき会話の代わりをジャズだかクラシックだかよくわからない音楽が埋める。

 ふふっ、とカコが声を零した。普段のような、裏表のない声を装ったものではない。ピン、ピン。目の前のグラスをコテコテに飾られた爪の先で弾きながら、ねぇ、とカコが囁く。その声色はまるで懇願だった。スクアーロはその短い呼び掛けのあとに続こうとした言葉まで聞かされた気がした。ねぇお願いだから、と訴えかけるように切実な懇願を。



「じゃあ、尋ねてよ。君があたしに持つ疑問と、興味を、言葉にしてよ、あたしに見せてよ」



 期待。真っ赤な両目に僅かばかり覗いたそれが自分に向けられていることをスクアーロはきちんと理解していた。

 まるでパンドラの匣だ。ここから飛び出してくるものといえば、どうせ碌でもない物に決まっている。分かっている筈の指先はすでに開け口の金具に添えられている。うまくやれば匣はその黒々とした口を開く。



「てめぇは…何故監視屋は、てめぇをうちに寄越した」

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