鮫夢2

□脇役気質______
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 陽光、まだ冷たい風、土の匂い、水の音。それら全てに包まれるような感覚を抱きながら、目の前でじれったいほどゆっくりと上っていく煙を見つめる。音も無く、じわじわと炎に侵食される様に原形を失っていく紙の束。

 ふと背中に人の気配を感じる。困ったなぁ、わざわざ彼のいない時を選んでやったと言うのに、どうしてここにいるのだろう。



「う”ぉおい、何やってんだぁ」
「もう、大人にならなくちゃいけないから」



 はぁ”?と聞き返す彼に答えてやる義理は無いし、別に知らなくとも何の害も無い、ちょっとした私の感傷の結果なのだ。

 もう、大人にならなくちゃ。先程彼に示したのと同じ言葉を繰り返す。大人にならなくちゃ、もう。しっかりと刻みつけるように、穏やかに燃える炎へと目を転じる。



「…あ”?それ、てめぇがよく読んでた本じゃねぇかぁ?」



 もう表紙も大分焼けてしまったそれの正体に、よくまあ気付いたものだ。そんな感心を見透かしたように、あんだけしょっちゅう持ちあるいてりゃあ、嫌でも覚えるぜぇ、とスクアーロが続ける。



「だが、あんだけ気に入ってたってぇのに、何故?」
「だから、大人にならなくちゃいけないの」



 雲一つない青空に一本だけ上っていく煙を線香のそれに准(なぞら)えて、これは幼い私のささやかな葬儀なのだ。

 昔からずっと、心のどこかで分かっていた。私はヒロインにはなれない。それでも盲信的に只管、純粋であれ、一途であれ、優しくあれ、まっさらであれ、正しくあれと、望まれるような姿であろうとしてきた、それが当然のことだと、それがいつかは報われるものだと信じて疑わなかった。信じたがって疑いたがらなかった。

 それでも、正しくあろうと瞳の曇りを払えば払うほど、気付かされるのは自分の醜さ、そして何より、美点の無さ。

 知っていますか。最後に祝福されるのは、美しい心を持つ人だけなのです。そしてそれは残念ながら後天的なものではない。

 もう、どう頑張っても心の純粋な主人公たちに自分を重ねられない私は、主人公たちを称える為に貶められる脇役たちに自分を見る私は、そろそろ現実を見なければならない。頑張って花形になろうとするより、素敵に平和な脇役として、最後の最後は微笑ましく結ばれる主人公を見守る位のハッピーエンドに辿り着ければそれで良いと、大人しく悟って、賢く従って。

 その為には、ちゃあんと立場も弁えて。それなりの良心とそれなりに綺麗な心で以て、主人公たちへ祝福を捧げなくては。精一杯何でもない顔で呟く。



「     、       」
「…なんか言ったかぁ?」
「…いーえ」



 でも、もう少しだけ。もう少しだけ、ちゃんと諦めがつくまで、この本が皆灰になってしまうまで、この葬儀が終わるまで、この祝福は舌先に止めておいてもいいですか。そうしている間だけは、君も、そうやって一緒にこの火が消えるのを眺めていてくれますか。

 そうしたら、きっと私は、きっと、大人になれるはずから。心から君の幸福を祈って見せるから。

 参列者総勢二名。嗚咽も別れの言葉も無く、葬儀は淡々と進む。スクアーロも何も言わない。ただ焼かれて黒く縮んだ紙の残骸が時折風に乗って舞う。やがて炎が小さくなって、燻って、やがて燃え差しだけが熱い土の上に残される。

 漸く後ろを振り返った私は、出来るだけ綺麗に笑ってみせた。

 もう、大人なのだから。
 

脇役気質
 スクアーロ、結婚おめでとう
 スクアーロが私よりずっと綺麗に笑って見せた。ありがとうと言った。それだけ。それだけが、死にゆく幼い私への餞(はなむけ)だ。


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