鮫夢2

□お月さまへ_____
1ページ/1ページ

 ハローミスタームーンの続き)




 スクアーロと私は、暫くの間無言のまま互いの顔を眺めていた。生きたスクアーロの目を見たのは久しぶりだった。そして記憶の中のそれより、遥かに色濃い感情が滲んでいるように見えた。握られた腕の痛みさえ祝福のように、透明な月光の下に溶けていく。

 私の腕を握るスクアーロの右手が緩み、力なく落ちた。続いてスクアーロ自身の身体も、糸が切れたように揺らぐ。あっと手を差し伸べたけれど、スクアーロはバルコニーに凭れかかって何とか体を支えた。半ば手摺りに腰掛けるようにして、スクアーロが私の名を呼んだ。躊躇っているようだった。わたしは阿呆のようにはぁい、と答える。返答を考えるより事実を噛み締めて居たかった。

 もう一度、スクアーロが唇を開く。私はただそれを待つ。



「お前の顔が、真っ赤に塗り潰されて見えんだよ。目も、鼻も、口も、何もかも血色で潰されて見えねぇ」



 スクアーロは笑っていなかった。涙も止まっていた。ただ淡々と告げていた。私は彼の言っていることが分からなかった。そんなことにちっとも気付かないかのように、スクアーロは話すのを止めない。


 
―――――好いた女が居た。好きだと告げた。一緒に居てほしいと告げた。結婚してほしいと乞うた。それら全ては拒絶されることも無く受け入れられたけれど、それが彼女も俺を想っていることの証ではない事くらい気付いていた。月日が過ぎるうちにその欠落感は次第に膨れ上がり、圧迫し、呼吸を妨げ、耐え切れなくなってとうとう彼女に尋ねた。

 何故、俺と居る?

 一体俺は何を期待したのだろう。彼女はその質問には答えず、少し黙り込んだ。それから一言、「スクアーロなら殺してくれると思った」と呟いた。それからもう一言、「えいえん、」と。あまり心が通った時間は過ごせなかったが、彼女の言わんとしていることは分かった。

 つまるところ彼女は生きたくないのだ。そして自分を終わらせてくれる者として俺を認識していたのだ。それは寧ろ喜ばしいことだった。なにせ確かに自分は彼女の特別だったのだから。例え見出された存在意義が安っぽい袋には言った青酸カリと大差なかったとしても。

 それから彼女はいつになく饒舌に色々の事を話した。落ち着いた声だった。内容は要約すると、俺が彼女を殺すことで俺は彼女を永遠に自分の物に出来るし、彼女も永遠を手に入れられる、今俺が抱えているであろう欠乏感も彼女の抱える虚無感も救える唯一の手段なのだ、とかなんとか。

 それら全てがどうでもよかった。ただ、初めに彼女の零した二言だけで十分だった。凶器はこうなることを知っていたかのように初めから左手に備わっていた。俺は一度だけ彼女に、いいんだな、と確かめ、頷いたのを確かめて直ぐに彼女を葬った。即死出来る場所を切った。切ってからもう一度、いいんだな、と確かめる。返事は無かった――――――




 淀みなく語り終えたスクアーロはそれからもう一度、お前の顔が見えない、と言った。きっと幻覚だろう、とも言った。そうしてフッと黙り込んだ。元のような静寂だ。私の目に映る風景は何一つ変わっていない。変わったのは、たった一つの事実が私の中に蓄積されたことだけだ。

 気が付くと私は自分よりうんと背の高いスクアーロの襟首を掴み、思い切り引き寄せていた。近過ぎて見えないほど近くにスクアーロが居る。私は叫んだ。



「さあ見たまえよ!」



 さあ、私の顔を見たまえよ。血塗られているんだろう、見えないんだろう、私じゃない、お前が殺した人間の顔が見たいんだろう。

 スクアーロは表情一つ変えない。それでも叫ぶのを止められない。ああ、私はこのまま狂うのかもしれない。冷静な声が脳の片隅で呟く。



「見たまえ、見たまえよ!あの人は望みどおり永遠を手に入れたかもしれないけれど君は永遠を手に入れ損ねたんだ、君はあの時あの人を殺す前に君自身を殺すべきだったんだ、とんだ喜劇だ笑わせてくれる!そんなことさえ気付かなかったなんて君は愚かだ、愚の骨頂だ、ああおかしい!」



 それからスクアーロの横っ面を殴り飛ばした。無抵抗のやつれた体がバルコニーの柵に当たってずり落ちる。それでも無意識のうちにだろう、受け身をとって頭は庇っている。今まではそんな無意識の自己防衛だけがスクアーロの生存の証明で、唯一の希望の光だったのに、今となっては怒りしか感じない。座り込むスクアーロに合わせてしゃがみこむ。今度は辛うじて声を抑えた。却って禍々しい声だ。私は、狂っている。



「見たまえよ、体は生きたがっているよ。こんなに、こんなに愚かしい君に、本当は生きている価値なんかこれっぽちもないのに!これで分かっただろう、死に損なった君には、死ぬ権利さえない、許されているのはこのまま生き恥を曝し続けることだけだ。ああ、そうだ赤っ恥だ!もう君のことなんか知ったことか!」



 自分でも何を言っているのか分からなかった。まるっきり支離滅裂だ。まだ言いたいことは沢山ある。でももう何も無い。伝えるべきことも伝えられることも何も無い。今この瞬間も、私の存在は塗りつぶされたままだ。死んでしまいたいと思った。原因を作るだけ作って死んだ女が憎かった。それ以上に、そんな話を鵜呑みにしたスクアーロと、未だにスクアーロに執着している自分のほうがずっとずっと憎かった。



 えいえん、



 ふと、彼女が言ったという言葉が浮かぶ。ああ、馬鹿みたいだ。私はそんな永遠なら欲しくない。馬鹿みたい、馬鹿みたい、ああ、もう、皆馬鹿ばっかりだ!!

 声を上げて泣きたいと思った。産声を上げるように泣きたかった。そうだ、私はこれから生きて行くための呼吸がしたい。永遠?馬鹿じゃないの。



「ねえスクアーロ、」
「…」
「まだ、私の顔は見えない?スクアーロをいたぶっているのは、やっぱり血塗られた化け物のまま?」
「…」
「…そう」



 空に浮かぶのが月で良かった。だって太陽だったら明る過ぎて、私もスクアーロもお互いの心が覗けてしまう。背を向けて歩き出す。何かが、少しでも変わったのだろうか?



「また明日も来るから。」



 ああ、私も大概馬鹿なんだよなぁ。まだ変えれると信じている、その辺彼女を殺した時のスクアーロと一緒だ。

お月さまへ

「理解できない」
 後ろでそう呟いたスクアーロの事を、私もまだ理解できない。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ